知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

類人猿はどこから「ヒト」なのか? (化石編前編)

今回は、実は分類より先に書き始めてた化石編だ。やっぱり長いんで途中で分けよう。

 

次の図が、ヒト科(hominidae)以下の化石も含んだ分岐図(wikipediaより)

ただし、まだ意見の分かれてる部分(ヒト属homoがどこから分岐したのか、など各所)も多い。自分もすべてに合意するわけではなく、一つの例として載せる。*1

参考リンク
スミソニアン Human Evolution Timeline Interactive Human Family Tree Species
諏訪元 東京大学総合研究博物館(一番下に図がある)

ヒト科分岐図
先に化石以外の現存種をまとめて訳しておく。一番上にHomo sapiens(ホモ・サピエンス)がいる。以下飛んで、Pan troglodytesがチンパンジー、Pan paniscus ボノボ、Gorilla gorilla ニシゴリラ、Gorilla beringei ヒガシゴリラ、Pongo pygmaeus ボルネオオランウータン、Pongo abelii スマトラオランウータン

 

では化石側。

まずは、マイナーだが、一番古い部分の下から三番目にいるOuranopithecus(ウラノピテクス*2ギリシャブルガリア・トルコで出た)に注目して欲しい。

もともとこれが、問題のグレコピテクスと同類ではないか、とされていた類人猿なのだ。

Ouranopithecus spp.(http://carnivoraforum.com/topic/10276201/1/) 情報はここが多い。

ウラノピテクス

分岐図上では類人猿Dryopithecusと繋がれているが、まだ証拠は充分でない。場所からすれば東に行ったオランウータンやギガントピテクスのアジア類人猿集団(Ponginae)と関係する可能性があり、さらに同時代のゴリラとの分岐部分に書かれてるNakalipitecus(また後で出てくる)に似てるという話もあり、つまり結局「関係性はまだ不明」だろう。図でも大元の分岐部分は描かれていない。

 

以下、重要なチンパンジーとヒトを分ける分岐部分(=ヒト族(hominini)とヒト亜族(hominina)の境目)から、有名な骨を中心に説明しよう。

ヒト科分岐図において、重要なその位置に描かれているのがサヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensisチャド*3

これはグレコピテクスと逆に、歯の付いた上あご側(頭蓋骨全体)が出てる。

サヘラントロプス・チャデンシス
List of human evolution fossils - Wikipedia*4

 

このように、部分的に少ししか骨が出て無い場合、新しい他の骨が出てきたりして研究が進んだとき、最初の予想は間違ってました、という可能性もあるから注意しよう。

参考記事

  • だいたい、生きてる動物の分類・分岐図でも、遺伝を本格的に調べるようになったら、あちこち書き換えられたわけで。最近も、「新種のモモンガ発見」「キリンは4種いた」などの話があったが、これらは全身を詳しく調べても、結局その見た目だけでは分類を確定できなかったことを意味している。ただし、違うのではないかと怪しまれてはいたとか。
  • 形の上での収斂進化(しゅうれんしんか)は、辞書などの説明で「異なる系統の生物が(中略)似るように進化する現象」という感じだから、離れた系統でなければならないかのように誤解してしまう。しかし実際には同種の別個体群の間に同様の進化圧が加わっている場合にも、別個に収斂進化のような現象は起こりうる*5
    そして、極めて近いが別種(見た目の近い別系統でも良い)で収斂進化が起こった場合、元は違うのに「見た目のそっくりな別種(別系統)」が生まれるわけで、分類系統の判断を間違わせる原因になっているだろう。
  • この適応(+偶然)による近似は、グレコピテクス問題とも、この後の類人猿系統の問題とも大いに関係する。この近似は形態比較による分類学を脅かすものであり、特徴が似ていても、同類・同種だとか祖先(同系統)とは限らないわけだ。
    もちろん、実際に遺伝的な関係がある可能性もある。ただしそのときでも同時に、その「ヒトの特徴とされる要素」を、ヒトの祖先とは別の系統が相当早くに獲得していた可能性もあったりするわけだ。
    これが、グレコピテクス問題の示唆する他の議論への最大の影響だろう。歯の問題だけではなく、可能性としてはたとえば、「最初に直立二足歩行をした系統でも、ヒトの祖先とは限らず、後に子孫を残さず滅んだかもしれない」ってことにもなるんだから。

なお遺伝学が、誤差は大きい数字*6だが、チンパンジーとのヒトの分岐を計算している。計算例をいくつか出そう。

 

オロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis。ケニア)は大腿骨・手の一部・歯・下あごの一部しか出てない。が、その大腿骨に「二足歩行をしていた証拠が残る」と主張される。約600万年前。

実は島根大学が絡んでるのだ。*9

オロリン・トゥゲネンシス

なお、より古いゴリラとの分岐部分(900万年前)に名前の見える類人猿ナカリピテクス・ナカヤマイ(Nakalipithecus nakayamai。ケニア)も島根大学(+京都大学)関連。

Nakaliは地名だが、ナカヤマイは島根大学の中山勝博さん由来で。(次のお知らせに詳しい事情あり)

京都大学-お知らせ/ニュースリリース 2007年11月13日 ケニヤで発見された1000万年前の新しい大型化石類人猿
 

アルディピテクス属のアルディピテクス・カダッバ(Ardipithecus kadabbaエチオピアアファール)も部分的にしか出てないが、直立二足歩行の証拠があるとされる。年代は約550万年前。

アルディピテクス・カダッバ

このカダッバは、分類をアルディピテクス属と認められAustralopithecineにも入るため、現時点で最初のヒトと主張する資格がある、ということなる。

実際、産総研年代計算のリリース記事では、このカダッバが「最古の人類と考えられる」と書かれていた。この記事の図にはサヘランピテクス*10(サヘラントロプス)とオロリンの名前もちゃんとあるが、カダッバとともに、「ヒト・チンパンジー共通祖先の近縁種」と慎重に決めつけない「近縁種」表現*11をされている。(以下の図)

f:id:digx:20170615191742j:plain

しかしこれも部分的にしか出ておらず、証拠としてはそんなに強くない。

そこで次の、全身骨格の出てるアルディピテクスの別種ラミダスに注目が集まる。

 

全身骨格でルーシー以上に残るアルディ(これもエチオピア・アファール)は、アルディピテクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)。全身骨格としては現時点で最古の約450万年前。

アルディ頭蓋

アルディ全身

ちなみに、このラミダスの最初(アルディではない)の発見者が東大の諏訪元さん。

TALK -対話を通して-:化石が物語る人類の始まり 諏訪 元×中村桂子

次の部分は重要な発言だ。

中村  ヒトとチンパンジーの分岐が600万年前とすると、440万年前のラミダスより、もう一段階古い猿人がいた可能性もありますか。
諏訪  その可能性はありますね。特に、分岐はもう少し古い可能性がたかいので…。しかし、ラミダスは足の親指が大きく開いているというかなり類人猿に近い特徴を持っているので、これ以上類人猿に近づくと・・・。
中村  もう区別がつかないかもしれない。するとギリギリ人類の特徴を出しているのがラミダス。

考古学は、化石にはっきり違いがあるときしか「区別できる」と断言できないのだ。

ということは、ヒトとチンパンジーが分岐した直後のあたりは、まだ差がほぼないと考えられるわけだから、考古学的には区別が付かないということになってしまう。つまり、このような境目部分には、最終的な決着が付けられない、曖昧にせざるを得ない領域が出来てしまうのだ。

ただ、どの程度に可能性があるか、一番詳しい専門家が可能性の評価をして欲しい。可能性が半々でも片方が確実に高い場合でも。

 

今回はアルディピテクスまで。

断り無しに「最初のヒト(人類)は何か?」と問われた場合、たぶん問題になってる範囲はこのあたりまで。しかし証拠不足もあって位置づけの定まらない種が多く、単純には答えにくいでしょう。

次はアウストラロピテクスだ。

 

 

*1:たとえ間違ってると思っても、仮にでも線を引いてくれたほうがわかりやすい場合が多い。というか、可能性のある線は全部引いてくれるのが一番良い。

*2:確認できてないが、Ouranoはギリシャの神ウラノス(Ouranos,Uranus)由来のはず。

*3:名前のSahel(サヘル)はサハラ砂漠の南側周縁部を指す。)))、別名トゥーマイ (Toumaï) だ。約700万年前。

ただし、もしもチンパンジーとの分岐前の共通祖先ならば、問題の最初のヒト候補からは外れることになる。重要なヒトの祖先候補ではあるが。((名前の後半はanthropus(ヒト)じゃなくてpithecus(サル)で、つまりサヘルピテクス(Sahelpithecus)が適当かも知れない。サヘラントロプスはヒト主張の入った名前なのだ(nature「Sahelanthropus or 'Sahelpithecus'?」。後で出てくるが、日本語でサヘランピテクス(ちょっと間違い)と書いてある例はあった)

*4:必要な骨の画像はだいたい並んでます。

*5:この現象は、種の進化においてしばしば起こっているかも知れないもの。

*6:突然変異率の見込みだけでなく、一世代あたりが何年かという数字が変わるだけでも予測数値が変わってしまう。

*7:サイズが大きかったんで縮小しました。

*8:東西を結ぶインド産。ラマピテクスと同じ地層から出てくるため同一種説があるそう。ちなみに名前の由来はインドのシヴァ神。(なぜか類人猿のネーミングは中二病力が高い)

*9:どうも島根大学のゆるキャラに名前だけ流用されてるらしい。説明にないが。

*10:変えるならサヘルピテクスであるべき。前述。

*11:なお、正確には直接ヒトの祖先にならなかった近縁種(親戚のおじさんみたいな関係)、という可能性はいつでもある。過去の種のすべては見つけられないのだから。

類人猿はどこから「ヒト」なのか? (分類編)

今回は、グレコピテクスのニュースの続きで、類人猿のまとめをやる。

自分もこの段階は今まで記事にしてなくて、知識のアップデートも整理もしてなかった。ちょうどいい機会だ。

 

ただし別のニュースが飛び込んできたから触れておこう。

今度の「人類の起源」は西のモロッコで、「ホモ・サピエンス」レベルのお話だ。

いつもながらヒト関係の言葉の定義には注意が必要。言葉の選択がふさわしくなかったり、特にニュースのタイトルでは言葉が省略されて混乱の元になる。また今回の場合、直前にグレコピテクスのニュースがあったため、記事を書く側も使い分けを意識したと思われる。

 2件の論文は、古代人類5人の頭蓋骨と骨のかけらや、狩猟や食肉処理に使われていた石器に基づくもの。いずれも、現在のマラケシュ(Marrakesh)に近いジェベリルー(Jebel Irhoud)にある先史時代の野営地から見つかった。

 独マックス・プランク進化人類学研究所(Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology)の古人類学者、ジャンジャック・ユブラン(Jean-Jacques Hublin)氏は「この資料は人類の起源を示すもので、アフリカを含むあらゆる場所で見つかった中で最も古いホモ・サピエンスだ」と語っている。

 これまで最も古いとされてきた19万5000年前の化石は、エチオピアで見つかった。この発見は、アフリカ東部が進化上の「エデンの園」、つまり、人類がアフリカ内外へと広まった起源の地であるとの説につながった。

 研究チームは、新たな発見により、いわゆる「人類のゆりかご」がアフリカ全土に広がっていたことが示されると指摘している。

グーグルニュース検索。(今回は「ホモ・サピエンス」が一番正しい言葉の選択だ)

30万年前の人類化石は初期ホモ・サピエンスか

nature記事

論文(読むのは有料だけど、画像はタダで見られる)

New fossils from Jebel Irhoud, Morocco and the pan-African origin of Homo sapiens

The age of the hominin fossils from Jebel Irhoud, Morocco, and the origins of the Middle Stone Age

英語のgoogleニュース検索(あえて人名でも検索してみたが、こちらでもタイトルの主流は"homo sapiens")

Archaeologists unearth the oldest...

(人名検索 Oldest Homo sapiens fossil claim...

今回も学者コメントを期待してワシントンポスト・newscientistを読んでみたが、分類は議論となるようだ。

ただしここで、もともとホモ・サピエンスの範囲の定義をどうするべきかという部分で議論のあったことが話を複雑にしている。

ホモ・サピエンスの問題も今回の類人猿のまとめに関わるため、後で書くことにしよう。

 

まとめに戻る。

現時点で、類人猿とヒトの関係がどう考えられてるのか、分類や定義がどうなっていて、実際の化石がどう並べられてるのか、知らないとニュースの位置付けや意味はわからない。そして、詳しく説明してるうちに自ずと答えが出てきたりもする。

そして、どこからが「ヒト」「人類」なのか、一般的な「ヒト」関係の言葉の定義も問題になってくる。

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この大型類人猿の図(ウィキペディアより)も、定義に注意しなければならない言葉"human"を含んでいる。他の言語でも言葉の定義は問題だ。

 

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松帆銅鐸の年代

松帆銅鐸には反応せねばなるまい。

ただし、問題点を指摘させていただく。

 7個の銅鐸のうち3個と、その内部につられていた「舌(ぜつ)」2本に付着していた植物片8点を、専門業者に依頼して分析。このうち4号銅鐸とその舌から採取された4点が紀元前4~同2世紀のものと判明した。他の銅鐸などに由来する試料は紀元前22~同8世紀との結果が出たが、炭素の含有量が少ないなど試料の質に起因するエラーと考えられるという。

 銅鐸研究の第一人者の奈良文化財研究所の難波洋三客員研究員の話「銅鐸に伴う有機物によって埋納年代を測定できる出土例は今後ほとんどないと考えられる。これまで議論のあった埋納年代を検討する上で非常に重要なデータだ」

 大阪大大学院文学研究科の福永伸哉教授(考古学)は今回の測定結果の意義を強調しつつ、「新たな謎が投げかけられた」と指摘する。これまで埋納時期と推定されていた弥生時代中期後半から後期初めは、青銅器に代わって鉄器が普及するとともに環濠集落が消滅するなど、社会が変容する時期と重なっていた。しかし、松帆銅鐸がそれより100年以上も前に埋納されていたことで、「なぜ大量埋納されたのか。背景を再検討する必要がある」と話す。

 植物はイネ科の茎やススキ属の葉、種類不明の樹皮など。混入状況の調査結果から、分析年代は埋納時期を示すと考えられる。

 「銅鐸が早い段階にまとめて埋められたのは、淡路・松帆が弥生人にとって精神的にも特別な場所だったことを裏付けるのではないか」と兵庫県教育委員会の山下史朗文化財課長は推測する。

 松帆銅鐸調査研究委員会委員の森岡秀人・関西大大学院非常勤講師は、発見当初から最古の埋納例となる可能性を指摘しており「想定した紀元前の年代値発表に驚いた。埋納は何段階もあり、松帆は最も古い段階で、弥生中期中頃と考えてよいのでは」との見解を述べた。

 

あとは似たような記事ばかりか。

 

何が問題か?

それは、銅鐸は人間の手で埋められた物だと言うことにある。自然に埋まった訳じゃないんです。 

 

考えてみてください。

物を埋めるなら、まず地面に穴を掘るわけだ。

そして穴に埋める物を入れ、掘った土で埋め戻す。

これが普通のやり方でしょう?

 

しかし、このやり方ならば、穴の中にある土は、地面を掘り返した土なのだ。

その土は埋めた後で堆積した物ではなく、埋める前からそこに堆積していた土なのだ。

ということは、その土は、埋めた時点より必ずいくらか古い物となる。

より古い年代のエラーとされるサンプルが出てることも、この推測を支持してないか?

 

 

ただし、正式な発表にはこの可能性がちゃんと書いてあるかも知れない。

ニュースだとか自治体レベルの発表が、面白そうな所だけ書くことはあり得る。