知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

遼寧省錦州市のY染色体ハプログループC1a1の由来はどこにある?(中編)

今回は、歴史的可能性の検証だ。

 

まず最初に、結論に近い衝撃的な話を先に書いてしまおう。

自分としては、このLiaoningさんの件は、後の三燕(前燕後燕北燕)まで含めて、鮮卑に関係している可能性は大いにある、と考える。

実はこれは、鮮卑・三燕と関係する大凌河下流側で、ついに日本特有のレアなハプログループC1a1が出てきちゃった、という検証必須の重大事態なのだ。

つまりこれで、鮮卑と日本は、倭人の海人(C1a1)が自ら航海することで直接交流していた――鮮卑側だけが日本にやってきたのでもなければ、朝鮮半島勢力経由の間接交流でもない――可能性が高まったんじゃないか(ついに物的証拠が出たんじゃないか)、ということになってるわけだ。

このとき、既に「倭人」の出没が中国文献などで言及されていること、海人だったのは倭人側であり騎馬民族鮮卑が本来航海能力を持たなかったことは、もともと倭人側が航海する直接交流のあった可能性を示唆していたはずだ。

遼寧省錦州市地図

遼寧省文物考古研究所との友好共同研究 |JCIC-Heritage(出土品などの画像あり)

 中国遼寧省の西部地域には、4~5世紀頃、鮮卑(せんぴ) 族による前燕(ぜんえん) ・後燕(こうえん) ・北燕(ほくえん) という国家が樹立され、これらを三燕と呼び慣わしている。この三燕の時期は、日本では古墳時代に相当し、特に武器や武具などの面で、日本の古墳文化に強く影響を及ぼしたと考えられている。この遼寧省を中心とした三燕時代の墳墓出土品や都城遺跡の調査・研究、ならびに文物の保存と遺跡の保護は中国遼寧省にとってだけでなく、日本の原始・古代史研究にとっても重要な意味を持っている。

また同時に、そこで継続的に在住・交流してC1a1の子孫を残した者たちもいた(倭人を含む集落が実際にあった)。そしてその子孫こそがLiaoningさんだ、という理屈にもなるわけだ。

 

たこれは、既にした2世紀末の檀石槐の話とも無関係ではない。倭人はいつ頃から周辺地域に出没していて、鮮卑といつどこで出会い、歴史的に見てどの時点から交流して影響し合ってるのか(両者の交流の影響が出始めたのはいつ頃からか)、絡み合った可能性の追求と検証になるわけだから。

 

ただ、他のいろいろな可能性の洗い出しや内容の検証は、どうしても必要となる。確率が低そうな場合でも、その可能性をひととおり確認はしておきたいのだから。

 

これは衝撃的だ。ただ、あまりにも重大な事態のため、とりあえず中編・後編に分けます。どう考えても短い簡単な説明では済まないし、丁寧な調査も必要だ。

鮮卑と倭が直接結びついていた――遠交近攻のセオリー通りであるうえに、お互いの得意分野(馬と船)を生かすことのできる(周囲の国から見れば凶悪な)組み合わせ――と考えると、これは東アジアの古代史そのものなのだ。

だから(後編では)、魏志倭人伝邪馬台国)・三国志倭の五王三韓征伐好太王碑文など、思いつく限りの簡単には扱えないメジャー題材が回避不能で絡んできます。ただし、真面目に扱ったら本になるレベルの題材ばかりであるため、ほどほどに触れざるを得ない(内容を絞る必要がある)ことをお断りしておきますが。

(つまりLiaoningさんの件は、学術的影響が大きいのだ。だからちゃんとC1a1の詳細や古さを確認したいわけでもある)

なお、ウィキペディアに「倭・倭人関連の中国文献」というまとめ項目があったため、直感だけでも檀石槐の話は選び出せていた。しかし今回の件で調べるのは「倭人」限定ではなく、もっと後の時代も含め、さらに幅広く深く調べます。

 

というわけで、ここから中編の本編だ。今回は、もっと新しい時代の可能性を見ていく。

 

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スマトラ島でも73,000~63,000年前の化石発見――続報:ヒトが初めてオーストラリアに到達したのは約65,000年前だった

スマトラ島で重要な化石の発見があった。これは前々回のオーストラリアの発見に続くニュースでもある。

【考古学】現生人類のインドネシア到達の歴史を書き換える化石の発見 | Nature | Nature Research

現生人類がインドネシアスマトラ島に到達したのは、トバ山の壊滅的噴火より早い73,000~63,000年前だったことを示唆する新たな化石証拠について報告する論文が、今週のオンライン版に掲載される。今から60,000年以上前に現生人類が東南アジアに存在していたことを示す遺伝学研究が報告されているが、実際の化石証拠は極めて少なく、間接的なものだった。

スマトラ島のパダン高地にある更新世の洞窟(Lida Ajer)には豊かな多雨林動物相があり、19世紀後半に初めて行われた発掘作業でヒトの歯が2点見つかった。今回、Kira Westawayたちの研究グループは、Lida Ajer洞窟を再び調査して、これらの歯が現生人類に特有なものであることを確実に同定した上で、3種類の年代測定法を用いてこれらの化石の年代を決定して確実な年表を作成した。つまり、Westawayたちは、赤色熱発光法とpost-infrared infrared-stimulated luminescence(pIRIR)法によって堆積物の年代を測定し、この洞窟に関連する洞窟生成物の包括的な年代をウラン系列年代測定によって決めることで埋没年代を決定したのだった。

論文はこちら。

An early modern human presence in Sumatra 73,000–63,000 years ago

論文地図

 

このトバ山というかトバ湖(Lake Toba)(下図。長さ約100km、幅約30km*1)は、同じスマトラ島にある。噴火(トバ・カタストロフ)の最新の推測年代は73000年前とか74000年前だから、数字としては噴火よりわずかに後。しかし、「73,000~63,000年前」の数字を出すためには、それより前の時点でインドネシアに到着しなければならない。また、出アフリカはさらに前の年代になる。

トバ湖(Lake Toba)

 

次のニュースはタイトルだけ見るとオーストラリアだが、中にスマトラの話が書いてある。

6.5万年前に豪州進出か=現生人類、遺跡に居住跡:時事ドットコム


英語のニュースを読むと、 やっぱりトバ(Toba supervolcano explosion)が主役だった。こちらでは、噴火を見たかも知れないとか"just in time"とか、まさに噴火の災難の時にいたというニュアンスだ。

 

なお、出アフリカがトバカタスロフより前だと主張する論文(Pagani 2016)も引用されていた。

Genomic analyses inform on migration events during the peopling of Eurasia.

同じ論文だが無料。 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5164938/

We find a genetic signature in present-day Papuans suggesting that at least 2% of their genome originates from an early and largely extinct expansion of anatomically modern humans (AMH) Out-of-Africa (xOoA). Together with evidence from the Western Asian fossil record, and admixture between AMHs and Neanderthals predating the main Eurasian expansion, our results contribute to the mounting evidence for the presence of AMH out of Africa earlier than 75kya.

 

やっぱり、出アフリカはトバカタストロフより古いか。

 

*1:ちなみに阿蘇カルデラは、南北25km、東西18km。

遼寧省錦州市のY染色体ハプログループC1a1の由来はどこにある?(前編)

1.きっかけ

中国・遼寧省錦州市のLiaoningさんがY染色体を調べてC1、しかもどうもC1a1が出たようだ。

錦州市は渤海遼東湾の北の端にある。

遼寧省錦州市地図

そして、こちらの記事にコメント付けてくれた。

Y染色体で探る日本人の起源 4-2.氷河期が終わるまでにやってきた人々2 C1 - 知識探偵クエビコ

そして、とりあえず考えた中から、一つの可能性の解答はした。

しかしコメント欄は基本的に長い文章を書くのに向かないから、いろいろな可能性を書くとか、細かく詳しいことを書けない。

そこで、記事にしてしまうことにした。

実際この題材は、日本人が読んでも面白い、刺激的な内容になる。これは、海を越えた「倭人」が何者で何をしていたのかの追求そのものなのだ。

なお、Liaoningさんは日本語ができるそうです。ありがたい。でも、普段よりわかりやすい日本語で書かなければ。

 

なお、満州国など近代の戦争の影響も気になる地域だが、関係ないそうだ。

 

2.C1a1の確認

このLiaoningさんは、C2-M217は正式に否定されてるが、C1a1は正式には確定していない。

そこでまず、本当にC1a1なのか探っておきたい。他のCも含めて比較したいわけだ。

中国など東アジア周辺のC1系統について、おさらいしておこう。

以前読んだ論文(Zhong 2011Xue 2006)によれば、確実にC1bの旧C5(現C1b1a1。インドに多い)はわずかだか中国で出ていて、場所は新疆ウイグル自治区山西省だった。「C1a1でもC2でもないC*」*1は東北の黒竜江省で出ていた。C2-M217以外のC*(未確定*2)も、寧夏回族自治区(元は甘粛省寧夏地区)と西南の雲南省広西チワン族自治区貴州省湖北省で出ていた。そしてこれらはほとんど少数民族から出ていた。

C1b1a1以外のC1bは、オーストラリアのアボリジニ(C1b2b)も含め、インド・東南アジア島部・オセアニアにいる。ただし、北方のロシア・コステンキ遺跡の遺跡人骨からも出ている(この後の図参照)。詳しく調査されてないが、シベリア方面にもC2でないC*がいるようだ(Keyser 2009の遺跡人骨とDuggan 2013)。また韓国の未確定C*の中にも「C1a1でもC2でもないC*」がいる*3

また、系統的に日本のC1a1に近いC1a2も、ヨーロッパだけでなくアルジェリアベルベル人)・中東のアルメニア人・そしてネパールにもいる。

すると、日本とネパールの中間に当たる中国西南部の未確定C*には、同時にC1aもC1bもいる可能性がある。また、共通祖先が出る可能性もある。もちろん、これらは東南アジアでも出てくる可能性がある。北のC*は、可能性が高いのは中国西北部にいてコステンキ遺跡とも同様のC1b系統だが、他の可能性もある。

 

ここで、最近見た論文(The study of human Y chromosome variation through ancient DNA*4)の、ちょうどいい図を貼ろう。系統表記が旧分類だが、一番右のC1が現C1a1・C6が現C1a2で*5、一番左のC3(現C2)以外はすべて現在のC1に当たる。――おそらくこの年代には新しい知見が入ってる*6。しかしここで、大元の分岐年代にはさらに、前回の最新のニュース「ヒトのオーストラリア到達は65000年以上前だった」が関係してしまうわけだ。どうもC系統の出アフリカはかなり古いようだ。*7

ハプログループC系統樹(論文・旧表記)

以前作った表も貼ろう。(詳しくは、分岐年代でわかるY染色体ハプログループC - 知識探偵クエビコで)
ハプログループC1系統樹

 

また、日本や韓国のC1a1と比較しておきたい。どこが近くてどこが遠いか、そしてそれがどの程度なのかを見極めることが重要なわけだ。

そこで、心当たりのあったいくつかの既出論文などのSTRデータ縦列型反復配列(short tandem repeat)を確認し、「Liaoning-STR比較表」を作った。

Liaoningさんとのデータの一致率「Liaoning率」を計算してみると、C1a1とそれ以外で違いが出る。この近さならば、C1a1の可能性は充分に高いようだ。

Liaoning-STR比較表
一番最初がLiaoningさんのデータ。徳島集団の後のJeju55が韓国・済州島のC1a1。FS1-FukushimaまではすべてC1a1。
その後は他のC系統で、この範囲もある程度は一致するデータが出るが、一致率はだいたい40%を下回る。*8
最初のC1a2、546290Armenianが中東のアルメニア*9。nep-172がネパール。aus-m119,120はオーストラリアのアボリジニ*10CHBは中国北京のC3(現C2)。最後から三番目のSeoul-Gyeonggi3が韓国・ソウルの未確定C*で、否定されてるのはC1a1-M105・C2-M217・C1b2a-M38*11。S07AncientSiberia(Keyser 2009)は南シベリア*12の約3600年前の遺跡人骨、最後Even-Sebjan(Duggan 2013)はエヴェン族で、どちらもC2-M217は否定されてる*13
言及のないデータの出典は、Kim 2011*14Naitoh 2013*15Hallast 2015*16・そしてfamilytreedna(+Japan project)も多数使用。

Liaoningさんのデータは、DYS390=26・DYS635=22など、いくつか特徴的で独特な数字が出ている。しかし、いくつかの個性的な数字は、日本集団でも混ざってくる。特にFS1-Fukushimaは、まだ未調査部分も多いのに既に個性的だ。*17

この部分的な違い=変異の多さは、だいたい分岐の古さ(隔たり具合)に比例すると期待できる。(ただし注意点として、調べた対象がごく一部であるため、どの程度に珍しいか、それほど定かではない)

Liaoningさんは個性的な数字がいくつか混ざるため、分岐はある程度古い(最近の分岐ではない)と考えられる*18。しかし日本の平均的なC1a1と極端な違いはなく、比較すれば一致率はほぼ高めに出るわけで、分岐は極端に古いわけではないようだ。(もし極端に分岐が古かったら、他のCと判別できないぐらい個性的なデータが出ていただろう)

 

韓国済州島のデータJeju55*19は、個性が弱く平均的(DYS439=15だけ特徴的*20で、平均的であるためにLiaoningさんとは高い一致率になるが、特別似ているわけではない。またこのJeju55は、分岐が意外と新しい可能性もある。

この済州島海人海女(あま)の島なのだ。そして古代から日本との交流もあった(参考:耽羅三姓神話)。そしてこの済州島の海人は、近年でも日本と交流があったという(参考:海女 (韓国)・研究報告pdf)。海人は船を乗り回す航海能力を持った人々であり、だからこそ海を越えた交流において重要な役割を果たす。そして昔は現在と同じ国境は存在しなかったのだ*21――もちろん、海人はC1a1だけではなく、地域ごとにいろいろなハプログループを含んでいたと考えられる。そのため、関係した他のいろいろなハプログループも出てくるはずだろう。(ただし、特定のハプログループだけ(特定の一族だけ)が移住する場合もあるのだ。「創始者効果」参照)

 

Liaoningさんのデータに一番似ているのは、日本の徳島集団だ。まだ未調査部分はある*22が、一致率(一致数)の高い人々が集中し、特に直下に並べたTO145-TokushimaはDYS456=18のような特徴的な部分まで一致している。

瀬戸内海周辺の日本地図(動かせます)。中央右下、四国東部に徳島はある。

徳島阿波(アワ))にはいろいろな要素がある(以前忌部氏話はしてるが、ここも海人の「海部郡」(部民海部(あまべ)由来)がある。また北隣の淡路島(アワ・ジ淡路の話もした)も全体が海人の国で、魚介類を供給する御食国(みけつくに)」だった。そして、どちらも古代史において注目すべき重要地域だった。

また、別の考慮すべき事情もある。江戸時代は徳島藩蜂須賀氏が阿波・淡路両方を支配したが、この蜂須賀(蜂須賀小六)は別地域尾張国海部郡出身で、川並衆だったともいう(ともかく、木曽三川の水郷地帯で活躍していたわけだ)。つまり、配下の人々まで含めて少し由来が異なる海人の子孫たちもいただろう。出世したサムライには海人の子孫もいて(もちろん日本でも水軍は重要だった)、江戸時代の初期以前に各地へ散らばってる、というわけだ。*23

 

ただし、このデータはC1a1のごく一部で、調べた地域も一部でしかないため、もちろん決定的な事は言えない。少なくとも、徳島の周囲を一通り調べないと似た人たちの集中する本当の中心地はわからない。船の交流を考えると、瀬戸内海周辺・四国一帯・さらに九州北部ぐらいは調査が必要だろう。*24

また海人ならば、もっと似た傾向のC1a1が離れた別の地域から出てくる可能性も当然ある。日本以外で発見される可能性もある。*25

島国日本には、瀬戸内海・九州周辺・沖縄の島々のような、充分には調べられていない地域が、まだまだたくさんある。そしてこの瀬戸内海周辺や沖縄が、日本でもC1a1がやや高い比率で出てくる地域であり、どこかにC1a1の有力者の本拠地があった可能性も高く、そこでは局地的にC1a1が高比率で出てくるだろう。

 

3.C1a1はどんな事情で移動したのか?――今までの簡単なまとめと予告

本当はここからが、Liaoningさんの質問に対する答えとなる部分だ。

しかし詳しい具体的な追求は次回にして、今までのまとめを少しやって、次の予告をする。

 

Liaoningさんの質問に対しては、まずいろいろな可能性を考えた。特に、「他にも子孫が残ってる可能性」を考えた。この子孫は、時代が経つと失われたり見失われたり、永久に事情がわからなくなる可能性もあるから、なるべく早く調べたほうがいい。

それに、時代経過で子孫の失われる可能性が高いからこそ、「現代にC1a1の子孫が最も残っていそうな条件」という視点から答えを考えるのも、一つのやり方になる。実在するLiaoningさん自体が重要な物的証拠になってるわけだ。

そしてもし、Liaoningさんの先祖の地がわかって他の子孫も探し出せるのならば、(たとえ最初の推測が間違っていても)その場所と子孫たちを調べることが実際の証拠になるわけで、自然と本当に正しい答えを導き出すことができる

残る確率だとか関連性が無さそうに見えても、事実は小説より奇なり、実際に残っていたり関連してる場合はあり得るわけだ。確率の低さは不在証明(アリバイ)にならず、実在する証拠こそが存在証明となる。

 

だからこそコメント欄では、最も多くの子孫が残りそうな可能性を答えた。(その裏に、他の子孫もいるんじゃないか・まずは捜して欲しいなあという期待を込めながら)

liaoningさんの地域周辺にある可能性として、『後漢書烏桓鮮卑列傳に書かれた、檀石槐が魚を捕るため2世紀頃に移住させたという「倭人」千餘家がいます。 「種眾日多,田畜射獵不足給食,檀石槐乃自徇行,見烏侯秦水廣從數百里,水停不流,其中有魚,不能得之。聞倭人善網捕,於是東擊倭人國,得千餘家,徙置秦水上,令捕魚以助糧食。」 ただしこの「秦水」の場所は不明です。

引用元:後漢書 : 列傳 : 烏桓鮮卑列傳 - 檀石槐 - 中國哲學書電子化計劃
こちらに全体の読み下し文がある:古代史獺祭 後漢書 卷九十 烏桓鮮卑列傳第八十 鮮卑(フレーム)

 

もちろん、実際には他にもいろいろな(絡み合う)可能性があり、この『後漢書』の内容に関してもいろいろな問題がある。その追求を次回やるわけだ。

 

でも、日本人である僕たちに出来るのは、日本の状況だとかいろいろな証拠だとか、現在ある情報を整理したり再検討したり、推測することしかない。

Liaoningさんの先祖の地(中国国内)を追求するとか、他の子孫を捜すとかは、Liaoningさんや中国の研究者のみなさんに期待するしかないんです。

本当に重要な証拠を探し出すことができるのは、基本的には僕たち日本人ではないわけだ。

ただ、日本国内の研究に関しては、日本の研究者のみなさんと、自らお金を払ってDNAを調べてくれる人たちに期待しよう。(今回の僕のデータも、とりあえず知っていた物を改めて調べて、検討したわけだ。しかし日本には、僕が見てないデータもある)

 

*1:直接否定されているのはC1a1-M8とC2-M217のみ。するとC1b・C1a2の可能性があり、わずかだが未発見系統の可能性もある。

*2:旧C5(現C1b1a1)でもない。

*3:ある程度揃ったSTRデータがあるものは、今回作ったLiaoning-STR比較表の最後に入れた。

*4:化石人骨DNAを調べてる2017年5月の分岐図論文。

*5:ベルギーのGoyetの紛らわしい位置は、C1a2側と確定できる解析が出来なかったという意味のようだ。

*6:特に、日本のC1の拡がり始めた年代がやや古くなって、7300年前の鬼界アカホヤ噴火を意識させるような年代に描かれてる。

*7:ただし問題は、アボリジニと直結する男のC系統が、最初のオーストラリア人と関与してると証明されていないこと。

*8:ただし、未調査部分を調査すると違いが増えて、C1a1側の一致率も多少下がると思われる。もちろん部分的にはデータが一致するだろうから、時には一致率が上がることもあり得るけれど。

*9:C1a1以外だが一致率は高め。現在のイラン側Julfa(Jolfa)にいて、北隣にもアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァン自治共和国Julfa(Culfa)がある民族も国境も複雑な地域だ。

*10:データにははっきり書いてなかったが、C1b2b-M347に当たるはず。

*11:出た場所も正体も気になるため調べたが、Liaoningさんとはそれほど似ていないし、正体もやっぱり決め手がない。

*12:クラスノヤルスクの西・Sharypovsky(Charypovsky)

*13:最後二つもLiaoningさんとは関係ないようだ。しかし場所からの期待通り、二つはそこそこ似てる。ただ、ソウルのC*とはあんまり似てなかった。

*14:「High frequencies of Y-chromosome haplogroup O2b-SRY465 lineages in Korea: a genetic perspective on the peopling of Korea」:これが韓国のC1a1と未確定C*を記録してる韓国論文で、日本の徳島県山口県茨城県もこの論文のデータ。

*15:「Assignment of Y-chromosomal SNPs found in Japanese population to Y-chromosomal haplogroup tree」:ST4-SaitamaからFS1-Fukushima。なお、表に使った以外にも調べられた要素はある。

*16:「Y-Chromosome Tree Bursts into Leaf: 13,000 High-Confidence SNPs Covering the Majority of Known Clades」:珍しいハプログループの揃った分岐図論文で、データも豊富。(ブータンのDの共通祖先も出してる論文)

*17:このFS1データの範囲の大部分は、ハプログループが同じならだいたい一致すると期待される部分で、本当はそんなに違いが出ないはず(だから簡易なハプログループの識別にも利用できる)。しかしFS1は、この範囲にいくつも違いがある。

*18:ここからも近代の戦争の影響ではないと判断できる。

*19:これは自分が唯一知る、韓国で出てるC1a1データだった。

*20:familytreednaのCのデータを見ると、DYS439=15は非常に特徴的。しかし、今後DYS439=15で他のデータ(平均的部分)も一致するC1a1が日本で見つかる可能性もある。

*21:ただし、古代でも言語の違いの影響はある。とはいえ、海人だから文化はそれなりに共通し、海人文化関連の語彙・技術・伝承などは直接の関係性を持つ可能性もある。

*22:この未調査部分は、違いの出やすい部分もある。

*23:サムライは、父系が不確実(婿や養子をもらう場合もある)だったり、ある時点で先祖を偽ってたりする(それを伝承してる)場合があり、実際にはずっと大昔から先祖の地で繁栄していた現地の有力者(時にはルーツが縄文時代に遡る先住民族)だったりすることは多い。だから日本人は、自ら遺伝を調べて縄文D系統が出て、Dは良く出る多数派なのに、驚くこともある。

*24:徳島と共通する人々のいる地域に限定しても、この徳島周辺は怪しい地域が多い。有力な海部(あまべ)がいたとされる場所だけでも、淡路・吉備(現在の岡山県以上の広さで小豆島など瀬戸内海中部の島々も含む)・紀伊(和歌山)がある。

*25:海人は、離れ島のような僻地にいる可能性もある。船に住んでいる場合もあり、日本でも昔は瀬戸内海・西九州の西彼杵半島五島列島家船居住者がいたという。そのため、都市でデータ集めしているだけでは、データに入ってこない可能性がある。