知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

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不慣れなためまだ探り探りです。

ネアンデルタール人は「芸術家」だった? 世界最古の洞窟壁画+α

このニュース。

(CNN) 世界最古の洞窟壁画を描いたのはネアンデルタール人で、身体装飾として貝殻を身に着けていた。研究チームの論文が22日付の米科学誌サイエンスで発表された。いずれの行動も、ネアンデルタール人が象徴的な思考を持ち、現生人類のような芸術的感覚を持っていたことを示すものだ。
論文の共著者である英サウサンプトン大のアリステア・パイク教授は研究結果について、「ネアンデルタール人が現生人類のように思考し、行動していたことを間違いなく示している」と指摘した。
そのうえで、「今後はネアンデルタール人を別の種と考えるべきではなく、単に他の場所に住んでいた人類と捉えるべきだ」としている。

洞窟壁画や彩色した貝殻などは長年、初期現生人類の産物だとみられてきた。こうした初期現生人類はネアンデルタール人よりも進んだ認知能力を持つと考えられていた。
壁画の年代特定は難しい作業となることがあるが、今回の研究では、ウラン・トリウム年代測定法と呼ばれる新たな手法を活用。この手法は正確性が高く、他の手法を使った場合よりも年代をさかのぼることが可能だ。
研究チームはこうした手法を、スペインにあるラパシエガ洞窟など3カ所の壁画に適用した。壁画には赤や黒の動物の絵のほか、点や線、円形などの幾何学記号が描かれている。彫刻や手形なども残されている。
年代測定の結果、こうした洞窟内の芸術作品は6万4000年以上前に制作されたことが判明した。現生人類が現在の欧州にあたる地域に姿を現す2万年前のことだ。

実は、「絵を描くネアンデルタール」に、そんなに驚かない自分がいる。

そしてこのニュース、「今後はネアンデルタール人を別の種と考えるべきではなく、単に他の場所に住んでいた人類と捉えるべきだ」という発言に注目したい。

 

ナショナルジオグラフィックに、さらに具体的に踏み込んだ発言があった。

 ピカソの祖国スペインには、はるか昔から革新的な芸術家がいて、貝殻のビーズを作り、洞窟壁画を描いていたようだ。驚くべきは、彼らがホモ・サピエンスではなく、ネアンデルタール人だったらしいことだ。
 2月22日に学術誌『サイエンス』と『サイエンス・アドバンシズ』に発表された2つの論文によると、スペインの3カ所の洞窟で見つかった10点以上の洞窟壁画は6万5000年以上前のもの、またスペイン南東部の洞窟クエバ・デ・ロス・アビオネスで見つかった貝殻ビーズと顔料は11万5000年以上前のものであるという。
 これらはともに、現生人類であるホモ・サピエンスが最初にヨーロッパに到達する以前の最古のアート作品である。つまり、作者はホモ・サピエンスではないということだ。

(中略)
 研究チームは、同じ才能をもつネアンデルタール人ホモ・サピエンスについて、本当に別々の種なのだろうか、もしかすると、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスのヨーロッパの孤立した亜種なのかではないかとさえ考えるようになった。
ネアンデルタール人ホモ・サピエンスは認知能力の点では見分けがつきませんでした。ならば、両者を分けて論じることはできません」とシルホン氏は言う。「ネアンデルタール人ホモ・サピエンスだったのです」

やっぱりこれも、「ネアンデルタールホモ・サピエンス」という話だ。

問題部分の英語原文(リンク)。

”The conclusion has to be that Neanderthals were cognitively indistinguishable [from Homo sapiens], and the Neanderthal versus sapiens dichotomy is therefore invalid,” argues Zilhão. “Neanderthals were Homo sapiens, too.

 

ただしスミソニアンが、問題となるところをまとめて書いてた。

この絵を描いたのは、実はアフリカから秘かにやってきていた本家ホモ・サピエンスではないか?

確かに、描いたのがネアンデルタールだという確実な証拠はない。しかも「ホモ・サピエンスの不在証明」もできておらず、スペインがアフリカに非常に近いことで問題になる。(付け加えるなら、ホモ・サピエンスネアンデルタールの間で混血があることも問題になるかもしれない)

 

また、その年代測定法は合っているのか? また、どんな場合でも正しいのか?

どんな年代測定法も誤差は必ずある。また、条件次第で(まだ計算に入っていない重大要素があったり)、正しくない数字の出る可能性はある。この技法は新しいため、まだ何か問題は潜んでいるかもしれない。

 

それでも、 完全否定されるほど確実な反証があるわけでもない。

今後の発見と展開に注意しよう。

 

なお、問題の論文(無料)はこちら。サプリメント付き。

 

 

1万年前の英国人、褐色の肌に青い瞳 現代欧州の10人に1人とつながり

ちょっと前のニュースを、重点の異なる記事で。

最先端の科学分析によって、1万年前の英国人が褐色の肌と青い瞳の持ち主だったことが明らかになった。現代欧州人の10人に1人が、この時期の狩猟民とDNA的につながると言われている。
ロンドンの自然史博物館とユニバーシティー・コレッジ・ロンドン(UCL)の共同研究チームが7日、再現した頭部を発表した。
自然史博物館の研究チームが、1903年に英南西部チェダーで発見された英国最古の完全な形の人骨からDNAを抽出した。
(中略)
チェダー男の骨は115年前、英南西部サマーセット州チェダー渓谷にあるゴフ洞窟で発見された。その後の調査で、身長は約165センチと現代英国人にしては低く、おそらく20代で死亡したと分かった。
同博物館で人間の起源を調べている研究主任、クリス・ストリンガー教授は、「私は約40年もチェダー男の骨を調べてきた」と話す。
「だから、この人と対面するなど、数年前には考えらなかった。こういう外見だったかもしれないという顔と。こういう髪で、顔で、あの瞳の色と浅黒い肌の色のハッとするような組み合わせで。科学データからは、この人がこういう外見だったということになる」
(中略)
自然史博物館の研究チームは、耳の近くの錐体(すいたい)と呼ばれる頭蓋骨の一部からDNAを採取した。担当したイアン・バーンズ教授とセリーナ・ブレイス博士は当初、骨からDNAを採取できるかは分からなかったという。
しかし、チームは運がよかった。DNAが残っていただけでなく、欧州の中石器時代のゲノムとして、最高水準のカバー率(配列の正確さの尺度)が達成できた。
(中略)
チェダー男はゲノム解析によって、スペインやルクセンブルグハンガリーで発見された、いわゆる西部狩猟採集民など中石器時代の他の人類と近縁関係にあったことが分かった。

このスペインは、おなじみLa Brana Arintero(復元画像付き記事)(7000年前、Y染色体C1a2-V183,ミトコンドリアU5b2c1*1で、これも同じように浅黒い肌で青い瞳とされていた。ルクセンブルグLoschbour(8000年前、Y染色体I-L460,ミトコンドリアU5b1a)ハンガリーTiszaszőlős-DomaházaのKO1(7700年前、Y染色体I-L68,ミトコンドリアR3)を指しているようだ。

成人後のチェダー男はおそらく、牛乳を消化できなかったこともゲノム解析からうかがえる。牛乳消化は、青銅器時代以降に初めて広まった特質だ。
現代の欧州人は、チェダー男のような中石器時代の狩猟民の遺伝情報を平均10%受け継いでいる。
英国は過去約100万年もの間、人間の数が急増したかと思えば急減する状態を繰り返してきた。現生人類は早くて4万年前からブリテン島に住んでいたが、その1万年後の最終氷期の最盛期(LGM)のような極端に寒冷期には、よそへ移住するしかなかった。
ゴフ洞窟の様子から、狩猟採集民が約1万5000年前に島に戻ってきたことが分かっている。気候が一時的に回復した時に、あえて戻り、しばらく暮らしていたのだ。
しかし、その直後にまた気候が悪化し、住民は島を出るしかなくなった。チェダー男の骨に残された傷跡から、仲間の死体を食べていた可能性がうかがえる。儀式の一部だったのかもしれない。

牛乳を消化できなかったというのも面白いところ。現在のイギリスは、乳糖消化能力を持つ大人が最も多い地域なのだ。

 

ナショナルジオグラフィックは、「想像は出来てたはずでしょ?」という雰囲気。

「チェダーマン」と呼ばれている約1万年前の人骨がある。1903年に英国で発見されたその人骨を基に顔を再現したところ、明るい青色の目、わずかにカールした髪、そして黒い肌を持っていたことが明らかになった。
「一般の人々には驚きかもしれませんが、古代のDNAを扱う遺伝学者にはそうでもありません」と述べるのは、英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の科学者マーク・トーマス氏だ。
 実は、スペイン、ハンガリールクセンブルクから中石器時代の黒い肌を持つ古代人が見つかっており、そのDNA配列はすでに解明されている。今回行われた新たなDNA分析により、チェダーマンは彼らと遺伝的に近いことが証明された。また、1万1000年ほど前の最後の氷河時代の末期にヨーロッパに移住したと考えられる狩猟採集民の一団に属していたこともわかった。
(中略)
 トーマス氏によると、「目の色を決めるのは、ある特定の遺伝子と、その遺伝子の中にある特定の変異体」だという。「肌の色は、たくさんの変異体によって決まります」
 この地域の人々は時間とともに肌の色が薄くなっていったが、その理由や時期についてはわかっていない。
「肌の色が薄ければ、浴びる紫外線が多くなり、生成されるビタミンDも多くなるからでしょう」とビラール氏は推測する。ビタミンDは健康な骨を作るのに欠かせないが、紫外線を浴びることでも生成される。しかし温帯地域では、人が日光を受ける頻度は少なくなるため、多くの紫外線を吸収できるように、肌の色が薄くなったというわけだ。
「私の見解では、肌の色についてはそれが最も説得力のある説です」とトーマス氏も同意する。「しかし、この説では目の色は説明できません。何か別のプロセスが起こっているのです。性選択に関わることかもしれませんし、まだ私たちが理解していないことかもしれません」
 2014年の研究で提唱された別の説もある。人間が耕作を始めるようになったことで食生活の多様性が減り、日光からより多くのビタミンDを吸収しなければならなくなったというものだ。なお、現在の食生活では日光を浴びなくてもビタミンDをまかなうことができると彼は付け加える。

これは、個人的にもよくわかる話だった。

遺伝的な有利不利は、世代ごとに積み重なる複利計算で働くため、適応がネズミ算的な想像以上のスピードで進むことは、実際にずっと前に計算していたのだ。

瞳の色のほうが適応で説明できないから謎なんだと。なるほど。

 

Natural History Museum公式(いろいろ画像あり)

 

ワシントンポストにはこのニュースに対する反応の記事があった。

Meet Cheddar Man: First modern Britons had dark skin and blue eyes

それにしても、チェダーマンと聞いて思い浮かべるものは世界で共通らしい。

 

*1:この情報はy-str.orgより。以下も同じ。