知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

松帆銅鐸の年代

松帆銅鐸には反応せねばなるまい。

ただし、問題点を指摘させていただく。

 7個の銅鐸のうち3個と、その内部につられていた「舌(ぜつ)」2本に付着していた植物片8点を、専門業者に依頼して分析。このうち4号銅鐸とその舌から採取された4点が紀元前4~同2世紀のものと判明した。他の銅鐸などに由来する試料は紀元前22~同8世紀との結果が出たが、炭素の含有量が少ないなど試料の質に起因するエラーと考えられるという。

 銅鐸研究の第一人者の奈良文化財研究所の難波洋三客員研究員の話「銅鐸に伴う有機物によって埋納年代を測定できる出土例は今後ほとんどないと考えられる。これまで議論のあった埋納年代を検討する上で非常に重要なデータだ」

 大阪大大学院文学研究科の福永伸哉教授(考古学)は今回の測定結果の意義を強調しつつ、「新たな謎が投げかけられた」と指摘する。これまで埋納時期と推定されていた弥生時代中期後半から後期初めは、青銅器に代わって鉄器が普及するとともに環濠集落が消滅するなど、社会が変容する時期と重なっていた。しかし、松帆銅鐸がそれより100年以上も前に埋納されていたことで、「なぜ大量埋納されたのか。背景を再検討する必要がある」と話す。

 植物はイネ科の茎やススキ属の葉、種類不明の樹皮など。混入状況の調査結果から、分析年代は埋納時期を示すと考えられる。

 「銅鐸が早い段階にまとめて埋められたのは、淡路・松帆が弥生人にとって精神的にも特別な場所だったことを裏付けるのではないか」と兵庫県教育委員会の山下史朗文化財課長は推測する。

 松帆銅鐸調査研究委員会委員の森岡秀人・関西大大学院非常勤講師は、発見当初から最古の埋納例となる可能性を指摘しており「想定した紀元前の年代値発表に驚いた。埋納は何段階もあり、松帆は最も古い段階で、弥生中期中頃と考えてよいのでは」との見解を述べた。

 

あとは似たような記事ばかりか。

 

何が問題か?

それは、銅鐸は人間の手で埋められた物だと言うことにある。自然に埋まった訳じゃないんです。 

 

考えてみてください。

物を埋めるなら、まず地面に穴を掘るわけだ。

そして穴に埋める物を入れ、掘った土で埋め戻す。

これが普通のやり方でしょう?

 

しかし、このやり方ならば、穴の中にある土は、地面を掘り返した土なのだ。

その土は埋めた後で堆積した物ではなく、埋める前からそこに堆積していた土なのだ。

ということは、その土は、埋めた時点より必ずいくらか古い物となる。

より古い年代のエラーとされるサンプルが出てることも、この推測を支持してないか?

 

 

ただし、正式な発表にはこの可能性がちゃんと書いてあるかも知れない。

ニュースだとか自治体レベルの発表が、面白そうな所だけ書くことはあり得る。