知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

Y染色体で探る日本人の起源 4-1.氷河期が終わるまでにやってきた人々1 D

後期旧石器時代から日本列島にいるY染色体ハプログループ

 日本人の男の三分の一強の多数派が、縄文時代どころかそれ以前の後期旧石器時代から、おそらく35000年ほど前から日本列島にいたY染色体ハプログループ集団の子孫である。

各地のY染色体D1b比率(パーセント)
沖縄九州四国中国関西北陸東海関東東北北海道アイヌ
45.1 30.8 28.5 30.0 31.5 32.4 32.9 37.2 35.6 42.3 89.5

データの詳細については3.日本人の構成参照のこと。ここの比率の表は今後も更新するつもり。

 アイヌは9割近くが。逆に南の海を渡って沖縄でもやや多めの数字が出る。
 九州というか西日本は若干低めだがほんの少しのことで、日本列島の主要部分にはそれほど差がなく、この分布はが追い出されたような様子がないことを示している。

 同じ大陸の端の島という環境で時代違いの進入があったイギリスの分布データなどを見ると、日本の比率の差は少なすぎるのだ。

 わずかな差ではあるが、一番低い数字が出るのは九州でなく四国で、中国地方も低めに出るところに、人類学や古代史の過去の予測を少し裏切る面白みがあったりするわけだ。(今の九州のデータは北九州ばかりに偏っていて、確かに周辺的な要素を持っていそうな南九州があまり入っていないのにもかかわらず。四国でも、瀬戸内海側でない高知はどうなのかが気になるところだ)

 逆にが若干高い比率で出る関東地方は、実はもともと旧石器時代など最終氷期以前の古い遺跡も非常に多い地域である。ひょっとすると日本のの分布は、カルデラ(混血により比率の下がった本州)の中の中央火口丘(東国出身の武士集団とか、さらに古い東国出身の防人集団も考慮すべきか)かもしれない。

 

 この、ほぼ日本固有のY染色体集団には、より詳しい分類ではD1b(旧表記D2)というラベルが付けられている。またこのD1bの下にもD1b1D1b2以下の多数の分類があり、これらの分岐も非常に古いという計算結果が出ている。
 しかしD1b系統は海外で遺跡人骨としても未だに出土せず、ほぼ日本限定の存在なのだ。朝鮮半島南部にわずかに現存するが、これは近代の朝鮮併合もしくは古墳時代任那などの影響だと考えられる。半島南部には日本の人間が作ったらしき前方後円墳もあるのだ)

 

 そのため、古い出アフリカ集団にも含まれていた可能性のあるは、経路は不明だが東に移動し、非常に古く、おそらく後期旧石器時代には日本列島にまで到着し、当時の遺跡を残した存在であるようだ。そして、D1b以下の分類の分岐が起こったのは日本列島か、極めて近辺だと考えられるのである。

 分岐が極めて近辺で、大陸側にD1bが残らなかった可能性は否定できない。日本列島への進入口は複数あるため、D1bがその複数の進入口から入っていれば、遺伝的にも大陸側で分岐していたことになるわけだ。旧石器時代のうちに日本列島に到着する可能性を持つハプログループの候補はある程度限定されるため、D1b集団が大陸側で分裂している可能性は考えておこう。

f:id:digx:20160424025806j:plain

日本列島にどこから入った?*1

の親類たちと分布

 その他のハプログループが、世界のどこに存在するか紹介しよう。

f:id:digx:20160422021313j:plain

For what they were... we are: Synthesis of the early colonization of Asia and Australasia by Homo sapiens (haploid genetics)
旧ラベルの上にほぼ海岸移動ルート説だが、わかりやすい地図だったので引用。D*のところがアンダマン諸島。マクタン島はフィリピン中央の小島密集地にある。グアムもフィリピンの東にかすかに見える。こちらのサイトには母系の移動地図もあるので(もちろん英語だけど)どうぞ。

 四万年以上前に分かれた古い遺伝的親戚であるD1a(以下同様に下位分類あり。旧表記D1とD3で、近い関係であったためD1a1D1a2aとされた)チベット人に多く、その周辺にもいる。
 これらD1の分岐より前に分かれたの古い親類D2(最初の世界地図にない追加された集団)が、フィリピンのマクタン島(セブ島の東隣)などにいる。(マクタン島はマゼラン艦隊とラブラプ王の先住民集団が戦い、マゼランが死んだ場所として非常に有名。いや、滅ぼされなくて良かった)

 さらに、インド洋のアンダマン諸島や太平洋のグアム島などには未分類のD(未分類を意味してD*と表記される)がいて今後の研究が待たれる。
 この人たちとチベット周辺集団のどちらが日本集団と近いかが、日本のの移住経路の予測にも影響するのだ。(この研究次第でまたラベルが整頓され付け替えられる可能性もある)

 なお、これらの「*」は、単にその研究でそれ以上調べなかったことを意味する記号であり、あくまでも未分類を意味する。
 ただしこの場合、調べた変異が存在しないことも意味するため、変異がなく元のオリジナル配列に近い、つまり未分化のルーツに近い集団である可能性もあり、それ故に注目されている場合がある。
 しかし実際は、このY染色体の研究がまだ充分でないために出る、未知(または未調査*2)の別の変異を持つ未分類集団という場合が多く、過度の期待は禁物というものだ。

 なお、繰り返し現在の表記と旧表記の話をしているが、これも表記が変わっているだけでなく、新しいD2などのように、ちゃんとそれまで未分類だったものが分類に付け加わっているのだ。旧D3がD1a2aD1a2でなく!)と一文字余計に増えているのも、旧D3より上位の分岐として新しく分類に付け加わった(それまでは未分類だった)ハプログループがあるためである。

 

 ここで、問題の仲間のチベット人が、高地の低酸素状態に順応する変異した遺伝子(スーパーアスリート遺伝子とも表現される)を、化石人類のデニソワ人から貰ったという、特殊な高地適応能力を持つ人々だという話題は知っておくべきところか。

 チベットの人々が持つEPAS1の変異は、デニソワ人のサンプルで見つかった変異とほぼ同じものだった。
 だがこの変異の痕跡は、漢民族以外の、デニソワ人の名残を受け継ぐとされる他の民族集団には全く存在しない。デニソワ人由来のゲノムの割合が5%と民族の中で最も高いメラネシア人にも、その痕跡はみられない。
 アフリカを出たホモサピエンスのグループは、中国へ向かう途中でアジア中部を通過した際にデニソワ人と交配したとの説を論文は提唱している。
 中国に移住したホモサピエンスのグループは、その後2つに分裂した。一つはチベットに移動し、もう一つは低地に残り今日の漢民族となった。
 研究によると、種族間で交配を重ねた結果、チベット人の87%がEPAS1の貴重な変異を獲得するに至ったという。それに対し漢民族は、共通の祖先を持っているにもかかわらず、全体の9%しかこの変異を持っていない。

ちなみに日本人もこの変異はあまり持っていない。またチベット人には、男も女も漢民族に通じる染色体が混在している。

 

今現在の日本のの移住経路の予測はどうなっているか?

 これらの分布状況などから、の移住ルートの推測(日本だけでなく他のの移住ルートの推測も入る)は、おおまかに北方大陸横断説南方海岸ルート説に分かれるが、決定的な過去の証拠は出てこない。

 遺跡から学者さんたちは推測しているが、移住して遺跡を残すのはすべての人類であって日本人のの祖先限定ではない。
 世界のいろいろな方向で遺跡が見つかるのはむしろ普通で、遺跡人骨のDNAを分析して直接日本人の先祖たるが出てこない限り、直接の先祖の移住ルートに結びつくものではないことに注意していただきたい。
 まあそのうち大陸のどこかで決定的な遺跡人骨証拠が発見される可能性はあるから、楽しみに待ちましょう。

 とは関係ないんだけど、だからこそマリタ人の話もここでするべきか。
 北方ルート説の人たちは、1928年に発見された、このシベリアマリタ遺跡の人骨に期待してたはずだよ。
 NHKもやらかしてたし。

 NHKスペシャル | 日本人 はるかな旅第1集マンモスハンター シベリアからの旅立ち

 2013年に、NHKスペシャルにも出てきた、24000年前のシベリアのマリタの人骨を調べた結果、それは日本人の先祖ではなく、実は……

 アメリカ先住民*3の先祖であり、しかもそのY染色体のハプログループがR*で、R1R2に分化する前のものであり、さらに母系のミトコンドリアハプログループもで、実はどちらもヨーロッパに多いが東アジアにほぼいない系統だった、という結果が待っていたのだ。

英語版wikipediaにも説明がある。こんな重要な話なのに日本語の記事がないが。
Mal'ta-Buret' culture#Relationship_to_American_Indians_and_Europeans
論文のデータも見たい?
http://www.nature.com/nature/journal/v505/n7481/extref/nature12736-s1.pdf

 日本人の祖先について、マリタ遺跡の存在を論拠にしていた説は、これで重要な論拠を無くしてしまったわけだ。(マリタ遺跡の発見が1928年で、かなり昔から知られていたことに注意。つまり間違っていた期間が長くて影響も大きいわけ)

 だから、この事実がわかった2014年以前の日本の人類学に関する本や、言説には注意が必要となる、ということになってしまったわけだ。(それで崎谷さんのDNAでたどる日本人10万年の旅とかはもう古くてお薦めできず、それ以後に書かれた海部さんや篠田さんの本をお薦めするわけだ)

kindleもあるのに気づいた。

 ただ少しフォローしておくと、実際にはあくまでも、アメリカ先住民となったヨーロッパに繋がる系統の存在を証明しただけであって、必ずしもシベリアにおける東アジアに繋がる先祖の不在を証明したわけではない。マリタがたまたま東アジアに繋がる系統と無関係の場所であったとか、偶然とサンプルの少なさが生み出す問題もあり得なくはないわけだから。(私自身は、アジア人の先祖がモンゴルを通っていることが前提条件になってしまっている、根本的に駄目なネーミングである「モンゴロイド」は全く支持できないが、論理としてはそうなる)

 ついでに、この事実はアメリカ大陸のベーリング海峡ルートで来た可能性を大きく高めている。ただしこちらも論理として、バスク人とかのケルト系海洋民族が大昔に大西洋を渡っていた可能性を否定する証拠とまではならないわけ。

 

 北方大陸横断にもいくつかのルートがあり得る。

 ヒマラヤの北を通って、大陸の北方まで行って九州から入ったり、北海道から入ったり、一旦は北に行くがヒマラヤの東からは中国南部に出て海から沖縄づたいで入るようなコースもあり得る。
 今はチベットもヒマラヤの南を通って東からチベット高原に入ったという推測もあるがチベットに西から入るコースは地形障壁が多く、アンダマン諸島を考えても、少なくともインド東部まで海岸コースが妥当か)、この場合でも日本のはヒマラヤの東から一旦北上した(ちょうどのように)というルートも考えられるわけである。

 

 逆に、ずっと南方海岸沿いで来るというのが南方海岸ルート説である。
 しかしこの場合でもそこから一旦北に行って九州から入ったり、さらにずっと北に行って北海道から入ったりなどもあり得る。
 時期が早いと最終氷期の海水位低下がそれほど進んでいないため、対馬海峡黄海なども充分に陸地化しておらず*4、海岸ルートでもすぐに海を渡らず北に迂回する可能性はあるわけだ。

 

 本州と大陸との間には海があるため、その海をどうやって越えたかは北ルート南ルート共通の問題として存在する。
 の日本への到達は最大海水位低下(二万年ほど前)以前の出来事であり、しかも最大海水位低下のときでさえ本州・九州・四国は一体化したが大陸とは繋がっていないとされるのだ。

f:id:digx:20160429165817j:plain

 対馬海峡および津軽海峡はどちらも大陸と繋がるか議論となる微妙な深さ(約135m)を持っているが、繋がらなかったというのが最近の見解。(日本第四紀学会および海水準変動 - Wikipediaなど参照)

 ちなみに最終氷期に、対馬壱岐五島列島甑島種子島屋久島は九州に繋がる。そして瀬戸内海はすべて干上がってしまう。島根の沖の隠岐も繋がる。ただし伊豆諸島や佐渡は繋がらない。(繋がりの正しいこの地図の出典はhttp://www.mdpi.com/2075-4450/2/2/128 これは虫の論文だった。虫の研究者は陸の繋がり方に敏感だからいい。ただし済州島のあたりは伸びた古い黄河の河口地帯になりそうだから、陸と海の境界はもっと入り組んでるだろう)

  ただし北海道宗谷海峡が浅い(60m少し)ため樺太づたいに北の大陸と繋がった時期があり、逆に南には本州との間に最大海水位低下時でも津軽海峡が残り、本州側とは全く別の状況だった。*5

 つまり北海道ならば海を渡らずとも到達できた時期があるわけだ。

 もちろん大陸に繋がる以前の宗谷海峡が残っている状態でも、より早く簡単に渡れる状況になっていた、ということでもある。*6
 その頃の北海道は地続きのオホーツク圏の一部となり、普通に周囲との交流もあったと考えられる。(なのにアイヌY染色体に北方要素がそれほど混じってないのをどう判断するかも一つの問題。三内丸山遺跡集団との関係性の問題もあり、アイヌもその時期と、北と南でかなり違ったようだが。ちなみにミトコンドリアではN9bというラベルが、アイヌだけでなく日本人全体に拡がる古い北方要素だとされる)

 

 だがしかし、人類は古い時代でも多少の水域は当たり前のように越えて移住している。
 そもそも出アフリカの時もアラビア半島との間のバブエルマンデブ海峡を越えている。このとき海水位低下量はそれほどでなく、海峡の幅はまだ広いままなのだ。*7

f:id:digx:20160422020737j:plain同じサイトから。

 また数多あるユーラシア大陸の大河も、半端な海峡より渡るのは大変なはずだが、それほど回避することなく越えているはずである。

 それどころか、東南アジアのスンダランドから幅広く非常に深い海(最大70km、さらに最低でも8つの海峡)で隔てられたオーストラリア大陸など(ニューギニアと合わせたサフル大陸という呼び方がある)にも、相当に古い時代に渡っている。(インド洋のアンダマン諸島D*の人たちも海を渡っている。さらにフィリピンもユーラシアに繋がらなかった側に入っている。生物境界線はウォレス線でなく新ウォレス線(Huxley Line))

f:id:digx:20160422021313j:plain

f:id:digx:20160501122647p:plain

 なにしろ、オーストラリア最古の遺跡は穏便な数字でも約45000年前(過激な60000という数字もある)に遡るのだ。

 そして日本列島においてもかなり早い時期に海を渡ったらしく、本州に35000年前ぐらいの遺跡がある。
 結局、日本人の祖先も何らかの手段で、かなり早い時期に海峡を越えているのだ。

 旧石器時代長野県八ヶ岳東南麓の矢出川遺跡などから見つかった、約60kmの海を渡る必要のある伊豆七島神津島の黒曜石の話もある。

  (黒曜石についての論文探した。上部旧石器時代における中部高地黒曜石原産地の土地利用変化

 

 なお、日本列島にどこから入ったかはそれ以前のルートとは切り離すべき別の問題である。

 日本列島内部の移動は、日本列島以外の状況と切り離して各方面から研究可能であり、そこから日本への進入部分もわかる可能性がある。

 それ以前のルートは証明手続き自体が違っており、日本以外のの移住ルートの問題もしっかりと踏まえなければならない。
(なお、この移住ルートの問題とも関係する寒冷適応のベルクマンの法則については、独立した項目を立てることにした。この法則が成立するか、問題があるのだ)

移住が単なる移動とは別種の行動であることに注意。

 海に生きる海洋狩猟民が内陸部に移住しようとすると、そこでライフスタイルの変更が必要になる。逆もまたしかり。(とはいえ、経由地に居住しない長距離移動も充分に可能ではある)
 ただし、結婚による異集団の結びつきがあれば、そこで結果的に子孫のライフスタイルが変わる場合がある。
 結婚のことを考えれば、日本人の男と女の移住ルートもそれぞれに別の問題なのだ。(たとえば現代でも、父と母が別の地域の出身だったりすれば過去の移住ルートも違っていたことになる)
 また結婚は必ずしも一方的な民族移動ではなく、相互の交流があったことも意味している。つまり本当は移住ルートに関して一方通行の矢印ばかり引っ張ってちゃいけないわけだ。

 

 この、後期旧石器時代からいて、それ以後のすべての人類移動と人口増減の影響を受けているはずの日本固有のD1bが、これだけ多数しかも日本全体に満遍なく残っている、という状況こそが、過去の弥生人征服シナリオを否定し、新しい日本人成立のシナリオを要求するわけである。

 この題材に興味のある人なら知っていそうだが、科学博物館にも「我々は、形態と遺伝子のデータに基づいて、旧石器時代から縄文~弥生移行期まで日本列島住民の身体形質がいかに変化したか、という問題を再検討し、日本人形成過程の新シナリオを構築しようと試みました。」というページ(2010年だからマリタの事実発覚前)がある。

 更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究

 そして結局、「合意が得られなかった」という結果に達していたりするわけだ。

 そろそろ明らかにしておくと、私自身は、分類すると混血説になる。しかし、これ自体は別に特別な説ではない。

 私は、その移住の時期と規模が非常に問題だと考えているわけだ。

 移住者は相当に早い時期からやってきていたと考えているのだから。

 

 さて、縄文時代に日本にいて現代に子孫が残る人々はまだいる。
 このD1bだけではないのだ。

 

 

Y染色体で探る日本人の起源』 目次

 0.プロローグと案内

 1.知識編

 2.世界のY染色体

 3.日本人の構成

 4-0.まずは時代の定義

 4-1.氷河期が終わるまでにやってきた人々1(今いるのはココ!)

 4-2.氷河期が終わるまでにやってきた人々2 C1

 4-3.氷河期が終わるまでにやってきた人々3 C2(旧C3)(ただいま制作中! 近日公開)

 5.その後やってきた人々(ただいま制作中! 近日公開)

 6.混合民仮説(ただいま制作中! 近日公開)

 

*1:元絵に矢印追加。元絵はBy Davison A, Chiba S, Barton NH, Clarke B. - Davison A, Chiba S, Barton NH, Clarke B. (2005) "Speciation and Gene Flow between Snails of Opposite Chirality" (in English). PLoS Biology 3 (9, e282). doi:10.1371/journal.pbio.0030282 [1], CC BY 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2174417

*2:韓国の論文のC*の例のように、何を調べていないかは研究報告でわかる

*3:実はこの表現の場合、アメリカインディアンだけでなくアメリカ大陸(あるいは太平洋の島まで含めたアメリカ合衆国)に昔からいた先住民族すべてが対象となっている。かなり意味範囲がややこしい呼び方なのだ。

*4:黄海は浅いため最終氷期に干上がってしまう。また、東シナ海で陸地化する領域もかなり広い。

*5:津軽海峡も冬なら氷の上を渡れたかもしれない

*6:ちなみに、ユーラシアとアメリカの間のベーリング海峡宗谷海峡より少し浅い。

*7:ちなみにバブエルマンデブ海峡の水深は137mで、たまたま日本の問題となる海峡と同じぐらいの深さであり、後の最大海水位低下でも干上がらないようだ