知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

武器による傷のある遺跡人骨のお話

もう一つ気になったニュース。

西欧人が殺したのかと思ったら、アボリジニ同士の争いではないかというお話。

 

これ読んで、思い出した日本の論文がある。

 

受傷人骨からみた縄文の争い

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/handle/10367/5261

まるで科捜研のようで面白いですよ。

次の参考資料と一緒にどうぞ。

別の論文(武器・防具のイラスト資料付き) Nara National Research Institute for Cultural Properties Repository: 東アジアにおける武器・武具の比較研究

岡山市埋蔵文化財センター平成24年度企画展『発掘された武器』 このパンフレットに武器や防具の写真がたくさんある。

今回受傷人骨の分析を行う際、主に以下の 5 点に着目し、縄文時代の殺傷の実像を浮かび上がら せるため、(イ)使用された武器、(ロ)負傷の状況、(ハ)殺傷の過程および戦法、を抽出した。

  1. 傷の形状<円形・楕円・楔形孔(刺創・打痕)V 字状・U 字状溝(切創・割創)など>
  2. 傷の位置<正姿勢での頭部・四肢・体幹の正面・側面・背面と骨端からの距離など>
  3. 傷の数
  4. 傷の角度<武器の射入角度 ※衝撃時の姿勢を推定するには損傷した骨を地面と水平・垂直に 立てた時の傷の為す角度(腕の回転)など、今後はより詳細なデータが必要である>
  5. 破損状態と傷の深さ<傷周辺の亀裂や凹み・剥離・色調など>

(イ)使用された武器:「1. 傷の形状」をよく観察することで使用された武器を割り出すことができ る。人骨の状態と傷の残存具合にも左右されるため完璧に特定することは難しいが、創傷・打痕な どだけでもある程度限定でき、大きさや形状、刃部の状態なども推定可能である。次のⅠ~Ⅲの分 類は以上の観察をもとにした傷の性質と、武器の機能(藤尾 1999)を併せて考えられる殺傷である。

 Ⅰ 主に刺突・殴打の傷を残す武器(石斧・棍棒・短刀・短(石)剣・槍)による殺傷
 Ⅱ 遠距離用武器(弓矢・投石・投弾・投槍)による殺傷
 Ⅲ 遠近複数武器と複数人による殺傷

……と、こんな風に続きます。

 

殺傷パターンのまとめは、弥生時代の物も含めてこうなってる。 

縄文時代の殺傷パターン【図 1】

 Ⅰ. 背後から至近距離での頭部への殺傷

 Ⅱ x.弓矢による高所(樹上)からの殺傷

 Ⅱ y.弓矢(投槍)による近距離での殺傷

 Ⅱ z.飛来した石鏃を防いだ痕

 Ⅲ. 遠・近複数武器による殺傷

f:id:digx:20160923134901g:plain

※注。Ⅱxの樹上攻撃について本文中に次の説明がある。「縄文時代 特有のパターンで、少なくとも本論で採り上げた弥生時代の受傷人骨には頭部に鏃が刺さった痕跡 のある例も、高所から矢を射られたと考えられる例もない。」
なお、弥生時代になんらかの防具を頭にかぶっていた可能性は考慮されてなかった。「防具が発達してない弥生時代」とは書いてあり、どうも弥生時代の時点では頭を守る防具の証拠がないようだ。
ちなみに福岡市博物館のサイトにも弥生時代の木のよろいの話があります。

 

弥生時代の殺傷パターン(藤原 2004 改変)

 Ⅰ. 背後からの至近距離の殺傷

 Ⅱ a.弓矢による下肢(腹・腰以下)への側・後方からの殺傷

 Ⅱ b.弓矢による上肢への正面からの殺傷

 Ⅱ c.多数の弓矢による遠距離からの殺傷

 Ⅲ. 遠・近複数武器による殺傷

 Ⅳ a.利器(刀剣類)による切傷

 Ⅳ b.利器(刀剣類)による殴打・防御痕

 Ⅳ c.首の切断(首狩)

f:id:digx:20160923135713g:plain

f:id:digx:20160923135719g:plain

f:id:digx:20160923135724g:plain

この弥生時代の違いは、もちろん刀剣類(金属製だけでなく石剣なども半数以上の割合で存在)の登場の影響が大きい。

同時に、石斧のような振り下ろして殴る武器が使われなくなる。

ただし石の鏃(やじり)は使われ続け、残っていた鏃の9割が石というデータが出てる。ここで、鉄や銅は回収されたのではないか、なんて話も書いてある。

なお、岡山のパンフレットに、鉄製品の増加は弥生時代後期だとある。

 

また、弓矢の使われ方にも違いがある。

少数の戦闘から、集団で弓矢を使うようになり、縄文時代より規模の大きい「戦争」のような状況(集団乱戦状態)が見て取れる。

頭の傷の少なさも(論文とは違う自分の考察を書いちゃうが)、頭を狙って仕留める余裕がなく、むしろまず傷つけて戦闘不能状態にすることが優先される、戦い方の変化の影響があるようだ。

論文には、弥生時代の武器は体を狙っても「致命傷となり得る深い傷が与えられる」と書いてあります。

自分は、致命傷じゃなく、まず動けなく(戦えなく)すればいいと考える。相手の数を減らすことを優先したいわけ。

 

ところで「首狩」、気になりませんか?

首狩は人類学・ 民族学例にあるように、「人身供儀・流血供儀」などの儀礼的な殺傷が行われた可能性もあり(藤原 2004)、なおかつ首狩例は中期以降の北部九州にしかみられないため、戦闘によるものと判断するに は別の要素が必要となるだろう。

って書いてある。

__殺した証拠(戦功のアピール)って可能性もあるはずだがその考慮はないな。

確かに、戦闘というより、戦いの決着が付いた後で可能となる行為だと考えられる。