術式の論理――祟りに対する怖れと、祭祀に対する信頼
前回は、歴史記録の記述、及び、祭祀の問題に踏み込んだため、付け足し。
遺伝学とか生物学じゃないから、基礎的なところは説明が必要だ。
祭祀とか、呪術的宗教的な儀式には、もちろんそれぞれの論理がある。
その術式の論理を踏み外すような想定は、やはりおかしいわけだ。
そしてここには、祟りを信じる心があり、祟りに対する怖れがある。
その祟りを避けたり鎮めるための祭祀があり、その祭祀の術式に対する信頼もある。
それは何も特別なことでなく、現代でも日本人は神社などで、定められた祭祀の術式(しきたり)に従って祈ったり、いろいろ儀式を行ったりするわけだ。
そしてこの祟りへの怖れは、古代のほうが影響力が強かったと考えられる。
この怖れは、日本書紀*1のような記録においてもつきまとってくる。
もちろん日本書紀のような公式の書物には、意識的にも無意識的にも、特定の立場に立った作為(造作)や思い込みが入るだろう。
さらにそこに、後から記録を編集するときの作為や誤解や思い込みや偏見の要素も付け加わる。
そのような変形は多いと考えざるを得ないものだ。
しかしそこには、迂闊に手を出し変形するわけにはいかない要素もある。
なにしろ、祟られてしまうのだから。
実際に害が及ぶと信じられているのだから。
そして、言葉や文字にも霊力はあると信じられているのだから。
そしてむしろ、祟られるが故に、しっかりと記録に残しておかなければならない事柄もあるわけだ。
日本書紀は、天皇家の子孫が読むためにも書かれているわけだから、祟りの情報は記録しておく必要がある。我々は祟られていないと無視するわけにはいかず、祟りこそ記録しなくてはならない。
祟りを認め、引き受け、記録し、そしてなんとか鎮めていかなければならないわけだ。
(南海トラフ大地震と津波の様なものも、引き受けるべき祟りとして受け止められたのかもしれない)
椎根津彦
椎根津彦が倭(やまと)の名に関わることは、初めから重要だと考えていた。
しかし最初は単純に、倭の名を名乗る海人がここにいる、という認識であり、王など権力とは全く関係ないものだった。それでも彼らこそが海外に出て行って、「倭人」とされる可能性を持っていると見たわけだ。
これが別の考えとなったのは、日本書紀の崇神天皇のところにある次の記述を、原文で読んでからだ。
「天照大神 倭大國魂二神 並祭於天皇大殿之内 然畏其神勢 共住不安」*2
これ以下の記述で、「倭大国魂神」は「天照大神」と二神並べて、明らかに同格で怖れられている。
そして天皇家だけでは鎮めることのできない、「倭大国魂神」の祟りを鎮めるため、倭国造の一族の「市磯長尾市」を神主とする。
ここで重要なのは、その後の時代変化で理由は忘れられてしまったかも知れないが、倭大国魂神はアマテラスと同格で怖れられる神だったことだ。
そして、この神を鎮めるのが倭国造の一族であり、つまり椎根津彦の子孫であることだ。
すると倭大国魂神は、術式の論理からすれば、本来は倭国造の神だと考えられる。そうやって正しく祀ることで祟りは鎮められるわけだ。
しかもアマテラスと同じレベルで怖れられていた。
つまり倭大国魂神や倭国造は、本来はアマテラスとそれに関わる者たちと同じレベルで重要な存在だったのだ、と考えられるわけだ。
この時、他の神の名前が怖れるべき対象として出てこないことにも注意していただきたい。
倭大国魂神は、その時点でそれだけ重要だったのだ。
そしてこの怖れは、祟りを避けたいと真剣に考えている限り、偽って書いたり造作できるような対象ではないはずだ。
(なお、「忘れられない限り」という条件を付けてもいいが、倭大国魂神が現在も大和神社で祀られていることに関しては変わりがない。この場合、たとえ本来の理由が忘れられたり変形してしまっても、「神社」という術式としては忘却されていないことになる)
そのつもりで日本書紀などを読めば、気になることはいくつも見えてくる。
たとえば、祭祀に使う天香山(アメノカグヤマ)の土を取っているのは、神武天皇ではなく、椎根津彦と弟猾(ヲトウカシ)である。
ここで、「土を取る」という行為は、誰がやっているかに強い意味のある、非常に象徴的な行為ではないだろうか?
そのあと椎根津彦は、一見すると神武がやっているように見える祭祀において、突如として口を挟み(「時椎根津彦見而奏之」)、祭祀をした結果を報告している。
この場合も、どう祭祀をするかを神懸かりして語ったのは神武であっても、実際に祭祀を行ったのは椎根津彦なのではないだろうか?
初代天皇・神武
話はこれだけで収まらない。
そもそも神武天皇は初代天皇なのだから、どれだけ修飾し持ち上げられていても、もともとの日本書紀の公式的見解においても、生まれついての全体の支配者ではなかったはずなのだ。
(最初から一地方の王の息子だったことはあり得る。*3)
最初は支配者でなく、どこかで支配者になったのが元の伝承であったと考えられ、それ故に、他の誰でもなく神武こそが初代天皇とされたはずなのだ。
実際には、日本書紀には神武の即位もしっかりと書かれている。この即位は隠されていないし、秘密でも何でもない。
それはずっと後、媛蹈鞴五十鈴媛命を妃としてからだ。
それまでは、日本書紀の本来の公式的見解としては、正式に即位していなかったことになるはずだろう。
(なお、古事記*4においても婚姻を境に呼び方が「天皇」へと変わる。それ以前は「天神御子」だ)
しかも、戦いによる王位の簒奪などではない。ということは、即位以前の実際の支配者は、神武周辺の記述に出てきていてしかるべきなのだ。
するとそこでもっとも王らしき行動を取っていたのは、やはり椎根津彦、ということになる。
しかも神武と椎根津彦は、最初から最後までずっと友好的な関係を保っており、一定の信頼関係が認められる。
本来この神武伝承は、中国の伝承のように、徳のある者への王位の禅譲の形だった、という可能性もありそうだ。
ただここで、両者の関係がいいほど、全体的な王位を継げなかったらしき直接の子孫(倭国造)との関係は問題となる。
実際にはどこかのタイミングで武力で倒されている可能性もあるわけだから。
また、椎根津彦が倭大国魂神の側であるなら、対となり怖れられるアマテラスも問題となるところだ。
そしてこれがおなり神信仰とも関係するかも知れないわけだ。
椎根津彦の相手の女の根神もいるはずであり、それがアマテラス信仰集団と関わるのではないか、ということにもなる。
そして、媛蹈鞴五十鈴媛命との婚姻を持って神武が即位することを考えると、この両者の関係も問題となる。
ここにもおなり神信仰のような関係性は想定でき、この媛蹈鞴五十鈴媛命も非常に重要なのだ。
倭大国魂神とは大きく異なり、その後アマテラスは皇祖神ともされる存在となるのだから。
*1:原文つきの本(岩波など)をお勧めするのが筋。とはいえ、読みのは大変で、まずは大まかにわかりやすいところから入って構わない。それに、そこで誤解や思い込みや偏見の要素を知ることができたりするわけだ。物語を面白くわかりやすく語ろうとすると、どんな変形が入るか、など。
*2:これは古代史獺祭 日本書紀からの引用。日本書紀にはいろいろな写しがあり、国会図書館デジタルライブラリーなどにも複数の電子書物があるが、お手軽に人様のサイトのテキストのコピーをします。