知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

意外な出雲データと、文化の変移のお話

斎藤研究室の2016年の論文に、出雲のゲノムを解析したPCA(Principal Component

Analysis.主成分分析)の画像があった。

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Language diversity of the Japanese Archipelago and its relationship with human DNA diversity.(pdf)

意外にも、出雲の人々のほうが東京サンプルよりも韓国人から遠いというのだ。そして同時に中国の南北両方のサンプルからも遠いという。

 

これは、「出雲には縄文海人D1b1aが多く、玄界灘海人(47z想定)とは元の勢力が異なる」と予測している自分にとってすら意外なことだった。

大国主とペアで描かれる少彦名だとか(wikipedia古事記』・『日本書紀』・『播磨国風土記』)、国引き神話阿用郷の目一鬼(『出雲国風土記』。風土記はまとめた本もあります)など、出雲神話で語られてる話があったり、具体的な渡来人の名前がこれらの書物にいくつかあったりするわけだ。

だから、出雲勢側にいくらD1b1aなどの縄文勢が多くても、さすがにある程度渡来人勢力は多い地域だろうと思ってた。

それが、日本の中でも比較的縄文勢力が多いはずの関東・東京よりも、出雲のほうが大陸勢力から遠い数値が出た、というのだ。

面白い!

もっと詳しい出雲に関する解析がそのうち出てくるんじゃないか、と期待します。

なお、この論文は主題が言語にある。この論文には、琉球語の日本語からの分岐は2000年以上前など(他の論文の、1500年前・2200年前といった数字も記される)とされ、こんな方言の距離関係図がまとめにある。

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最も注目すべきは、調べられた中に"OLD JAPANESE"奈良時代に話されていた上代日本語を指す)・"MIDDLE JAPANESE"(その後だが、中古日本語中世日本語を合わせたものにあたる)といった古い言語が入っていることと、その位置。

つまりこれを普通の樹枝状の分岐図に直した場合、分岐のルートとなるはずの琉球語との分岐部分は、古い言語と琉球語の間のどこかにあるわけだ。

なお、ここには古いものほど遠くへ行く方言周圏説に従った分布も表れていると思われる。

ここで、伊豆諸島でも南側の八丈方言(これも八丈語として日本語から分ける説あり)が、これら古い日本語にも琉球語にも近い、ルートとも近いだろう特別な位置にあることも重要。

また、八丈方言が古い形の日本語に近いということは、少なくとも伊豆半島ぐらいまではずっと日本語圏であって、アイヌ語圏ではなかったのだろうということにもなる。(このあたりは遺伝学的にも以前触れ、もう少し先の関東までは古くからの日本語圏かもしれない)

その他では、山口が奈良などの畿内勢と非常に近い、というのも面白い。かたや福岡は離れているわけだ。

しかし、九州で長崎弁だけが離れて東日本側にあるのは何故なんだろ? 論文には瀬戸内方言の影響って書いてあるが、実際はそれどころじゃなく栃木と並ぶ位置になってる。数字のイタズラ?

 

関東の稲作開始時期

ついでに、その関東の稲作導入が遅れたという、以前諏訪の御柱についてのNHKスペシャルで聞いた話を書いた論文(これは日本語)も見つけた。

弥生文化の輪郭 : 灌漑式水田稲作は弥生文化の指標なのか

問題の話は「3.弥生文化の質的要素」にある。

次の図の、水田稲作開始期を示す点線の位置に注意。

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それほど大差でなく百年程度だが、確実な証拠としては関東は東北より遅い。そして一番遅れたのは諏訪のある中部高地だ。(※引用しませんが、この図の根拠は論文にいろいろ書いてあります)

 

ただここで、このデータをどう読むべきかについて、論理学レベルの話をしなければならない。

「存在証明」できなくても、それは「不在証明」にはならない。

不在であるという証明は別に求められ、しかもそれは存在証明よりずっと難しい。

存在証明は証拠が一つ見つかれば成立するが、不在証明は探して無かった場合でも、「現在わかった範囲では」という限定付きでしか成立しない。

たとえば――地震を引き起こす活断層は見つけること自体が難しい。見つかっていなくても活断層の不在証明にはなり得ないのだ。多くの活断層は隠れていたり部分的にしか見つかっておらず、実際に活動して始めて未発見部分が発見されることになる。(このとき、地震の規模が活断層の長さから推定されていることにも注意が必要。活断層の未発見部分が連動すれば、当然のように地震の規模も大きくなる)

 

実際には、「確実に存在証明できる領域」と、「条件的に絶対存在しない領域」の間に、「存在証明できないが存在する可能性の考えられる領域」が多少拡がっているものなのだ。(上の図には、意図は違うが「ボカシ」と表現される領域があり、だいたい感覚的にはこんなイメージになる)

またこのとき、絶対存在しない条件を考えるのも、不在証明においては重要となる。これはまさに推理小説とかのアリバイの証明と同じだ。しかしこのアリバイも、実行可能な手段が見つかるだけで崩壊するものだ。

ちなみにこの論文では、定義によって弥生稲作から縄文稲作を分離している。始まりの問題ではいつでも、定義の境目の問題も発生するわけで、微妙な状態の違いによって定義で分けられる場合もあるわけだ。

だがこのとき、定義を変えることによって境目を固定しようとするのは、学問的には問題のある方向に走りやすい行為かもしれない。定義がわかりにくいものとなったり、世界全体の学問的常識から外れたり、本末転倒した議論になりやすいのだから。(※ただし、それまでそれほど厳密でなかった定義だとか、定義問題の発生した場合は、新たな知見を用いてしっかりと定義し直すことは必要ですよ)

 

ついでに。

関東などは、頻繁な開発によってしっかり地面が掘り返され、そのため比較的考古学調査されてる地域であるため、現時点で見つからないことが(完全ではないが)やや説得力を持つ。

その点では、地面を掘り返す開発の少ない地方ほど、充分な考古学調査はなされてないわけだから、まだ多くの新発見があり得ることになる。

(高速道路を通そうとしたら、その工事現場で高速道路に沿うように次々と遺跡が見つかる、なんてこともある。もちろんこれは遺跡が偶然高速道路沿いに並んでるわけじゃなく、実は周囲は一面遺跡だらけなのだと考えられるわけだ。また、東日本大震災後の話でも、集落ごと高い丘の上に引っ越そうとしたら、遺跡が見つかったり調査が必要になったり、なんて話がたくさんありました。調査には予算と手間がかかるわけで、充分な調査は難しいものだ)

 

ちなみに、この論文書いたのも『縄文論争』の藤尾慎一郎さんなんです。

この方の公式国立歴史民俗博物館のサイトで見つけたんでついでに。

生業からみた縄文から弥生」とか、面白く読ませていただきました。

  

海人に関する追記

これもまだ最初の話と関係する話ですよ。

ちょっと前の記事(前編続編)で、D1b1aの山陰海人とC1a1の瀬戸内海海人は縄文海人と書いた。(正確には、どちらも他の系統を結構含んでいるとした)

しかし、玄界灘の海人(47zと想定)については、縄文海人とは書かなかった、というか書けなかった。

これはちゃんと理由がある。

玄界灘の海人は、縄文時代から(現在の国境定義で言うところの)日本にいるが、同時に大陸側にもまたがっており、この二面性が重要な問題となる。

つまり、定義的に縄文人とも大陸側の人間(後の渡来人になり得る)とも決められない要素を持っていて、それこそがこの人々の最も重要な特徴だと考えられるわけだ。

もちろん、生活の内容や交流の程度や後の状況を調べれば、縄文人か大陸人か定義的な境目を決めて、定義の上で玄界灘海人を二つに分割し、片方を縄文人と呼ぶことも可能だろう。

しかし、そもそも現在と同じ意識的な国境はなかったはずの時代でもあり、「間にまたがっていること」自体を評価して、あえて切り離さず中間に置く分類(あるいは発想・着眼点)とすることにもメリットがある。

これは、言葉や文化の違いとして表れることもあり得るし、またまさに遺伝的な違いとして表れることが期待できる要素でもある。

実は最初の論文にも、渡来民の時期をさらに二つに分ける説の図があった。

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この第一波(Phase 1)は4000年以上前の縄文時代の時点であり、場所は北九州だともされる。それ以上の明言はないが、条件的にはまさに玄界灘の海人勢を指しているようだ。

 

これは実際に、ちょうど47zがそうであるらしいように、既にいろいろなデータに反映されて見えている可能性が大いにある。

最初の出雲の問題も、この「間にまたがってる」人々などが大きな鍵を握っている可能性があるわけだ。

 

ただし僕自身は、この件と別で、早い時期の沖縄ルート渡来民(オーストロネシア移民系)も少しいると考えてるわけだ。こちらも本当にいるなら、やはり影響はどこかに出る(既に出てる)可能性がある。