知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

東北アジアのトナカイの民(似た名前の民族)

東北アジアシベリアの話をいくつか書いておく。ずっと前にしてた、似た名前を持った民族、特にトナカイに関係する民族の話だ。

名前が似ていても同じ集団だとは限らない、というやつ。トナカイの話もこの同じ記事の頃から何度もしていた。

f:id:digx:20161230181844j:plainトナカイ(カリブー)

 

似た名前の民族

スキタイには、サカペルシャ呼称)・サカイギリシャ呼称)・塞(中国呼称で発音はsekに近い)のような似た呼び名の集団と同じかという議論があった

また、匈奴とフン族も、名前は似ているが、実は違うのではないか、とされる。

実はこのフンのような発音は、ハンガリーHungaryの由来や、フィンランドのFinなども巻き込んだ問題なのだ。

フィン・ウゴル語派 - Wikipedia

このフィン・ウゴル語派が、フィンランドのサーミもシベリアサモエドも含まれている集団であることに注意して欲しい。

そしてこのフィン・ウゴル語派と関係する人たちの移住タイミングは、匈奴フン族よりもっとずっと古いのだ。

フィン・ウゴル語派(および上位のウラル語族)と関係する集団は、氷河期の終わった後早くに東から西へ移住したと考えられるわけだ。

ウラル語族分布
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Y染色体ハプログループN分布
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既出N論文、Genetic Evidence of an East Asian Origin and Paleolithic Northward Migration of Y-chromosome Haplogroup NからN移動の図。(東アジア起源だけど、西への展開はC2より北。今後いちいちツッコまないが、モンゴルやアルタイ起源ではありません)
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これと関係するのではないかと考えられるのが、トナカイの存在だ。

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このトナカイ文化の領域は、すぐ南にある馬文化の領域(次のチャリオット伝播図とかは参考になる)とは違うことが重要だ。

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ウマは、視界の開けた草原に住み、その草を食べる動物であり、その北の森やツンドラの地域には進出しなかった。

そこに住んでいるのは、トナカイ(シカ科オジロジカ亜科トナカイ属)なのだ。

なお、トナカイに似ているが家畜化はされていないヘラジカ(オジロジカ亜科ヘラジカ属)も一部重複する地域にいて、特にヨーロッパでは南寄りに拡がっている。

 

トナカイの民

ここからが今回の本題。

どういうわけか東北アジア地域には、このトナカイを意味するツングース語"Oro"などを民族名に含む、あまりにも似た名前の紛らわしい民族が、たくさん存在している。しかも、別名を追及してもそれも似ているのだ。

  • ツングース語族のトナカイの民
    • オロチOroch過去の別名にNani(意味は「土地の人」)もあるが、これはまた別民族のナナイ(Nanai)と同じ呼び名になっている。Nanaiのリンク先に書かれた情報に寄れば、このNanai/Nani「土地の人」は、自称として使った民族が複数あるそうだ。
    • オロッコOrokウィルタの別名)彼らもNaniと呼ばれたそう。ちなみにウィルタ(Ul'ta/Ulcha/Uil'ta)のほうも、別民族ウリチUlch。彼らも自称Nanaiの集団)とかぶる呼び名となっている
    • オロチョン(Oroqen。主に中国にいる)ここでロシアのエヴェンキ(Evenk)を調べると、彼らの中にもOrochon/Orochenの名を使ったものがいるとわかるし(日本語ウィキペディアにも言及あり)、ウデヘ(Udeghe)の別名にもOrochonがある。
    • エヴェンキエヴェンEvenも似た呼び名で、この両者も同族扱いされる場合がある。EvenはOrochelとも呼ばれたとされている。
  • コリャークKoryak。コリャーク語は古シベリア諸語とされるチュクチ・カムチャツカ語族も、語源はトナカイ(kor)とされる。またこの説明に登場する別の呼び名chavchu「トナカイの人」は、チュクチ(Chukchi。チュクチ・カムチャツカ語族)の呼び名の元になったともされる。

(アルファベット名称のリンク先はThe Red Book of the Peoples of the Russian Empireで、ここから内容の引用もしている)

 

この「トナカイの民」のみなさん、似てるというより、ほぼ同じ呼び名だらけで困っちゃうでしょ?

そして、記録される名前が似ているだけでは同じ民族とは言えないのがよくわかる。というかむしろ、同じ呼び名であっても同じ民族という保証はないことがわかる。

 

考えてみれば、こんな似た名前だらけになる理由は、充分想像のつく範囲にある。

同じような環境の地域で、似た暮らし方をして、似た言葉を使っていれば、自称民族名とか集団名として使われる単語がわりと限定されているために、必然的に呼び名の似る場合がある、というわけだ。

また他称の場合は、その人々が似ていれば似ているほど混同されたりひとまとめにされることも多いだろう。ただしこの場合、結果的に同じライフスタイルの異民族が合流するような場合もあり得るし、あるいは逆に元は同じ民族が地理的に分かれているというケースもあり得る。するとあとは、その集団の同一性の自己認識と、政府がどう扱うかも含めた、分類をどうするか*1の問題となる。

実際の場面では、自称でも他称でも、交流するときにそれぞれの区別/同一視を必要とする局面があるかないか、というのが呼び名の運命を定めそうだ。(これは、個人の名前で同じ名前だった場合に出てくる状況と同じで、呼び分ける局面がなければ同じ呼び名を放置しても、日常生活では問題が現れないわけ。しかし行政上では区別の必要が生じることになる)

 

おまけと期待

ちなみに、「トナカイ」はアイヌ語から日本語に入ったとされる言葉だが、さらに元となっているのはニヴフニヴフ語は孤立語。ちなみにNivkh自体は「人」の意味だとか)の言葉で、その意味は「引っぱる動物」だという。*2

この言葉は既にトナカイが家畜化された後の姿を指していることから、ニヴフは、古くからトナカイを相手にしているはずの「トナカイの民」集団とは別系統の集団ではないか、ということになる。

(なお、ニヴフの別名ギリヤークは船を漕ぐことを意味するという。ちなみに、ツングースでもネギダル(Negidal)エヴェンキ系だがトナカイとは無関係の名前で、海岸を意味するとあった)

 

も一つおまけに。

アイヌも「人」を意味する言葉で、この「人」を意味する言葉が呼び名になっているという民族集団は、世界中にたくさん存在する。

で、結構昔から指摘されてるそうですが、やはり「人」を意味してアイヌと似た音を持つ、イヌピアトイヌイットインヌなどの民族がアメリカ大陸北部にいる。

もちろんこれは偶然もあり得る。言語的に、意味が似て音も似た単語が別の言語で見つかることは全く珍しくない。どんな言語でも単語の数は非常に多いため、探せば偶然の一致は必ず見つかるわけだから。

それどころか、こんな論文もあります。

言語音、世界の日常言葉で多く類似か 国際研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

【9月13日 AFP】世界の言語の3分の2近くで、日常的なものを言い表すのに類似した音が使われている事例が多くみられるとする研究論文が12日、発表された。

論文はこちら。Sound–meaning association biases evidenced across thousands of languages

記事に書いてないけど、日本語でも鼻(nose)はハナですね。

 

しかし、アメリカ先住民とアイヌは遺伝的にも関係性があり得る。さらにイヌイットなどは海に生きる海獣狩猟民であり、特に海岸コース移住者との関係性が大いにあり得るわけだ。

ところが今のところ、このあたりのアメリカ先住民とアイヌを一緒に解析した論文を見たことがない。ここには、アイヌ入りの論文自体がまだ少ないという事情もある。

 

それで今は、いい論文が出てくるのを期待してるわけですよ。

トナカイだらけのツングース系も悪くはないんですが、アイヌとアメリカ先住民の関係を調べて欲しいなあと。

 

ちなみに、ニヴフ入りアメリカ先住民論文はあります。ADMIXTUREはないがTreeMixはあって、そこそこ面白いデータが出てる。

The genetic prehistory of the New World Arctic | Science

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Saqqaqサカク)はグリーンランドの4000年前の遺跡人骨で、現在のグリーンランド住民は入れ替わっており、子孫はアメリカ大陸に現存していないようだ。そのSaqqaqがどうもNivkhの近くに出てくるわけです。(ただし、シベリア勢が他におらずどの程度特殊か比較判断できない。おなじみのマリタ遺跡人骨MA-1はあるが。またSupplementには違うTreeMixも出てます)

 

さらに別の論文(同じSaqqaq入り)の、日本人も入ったADMIXTURE(民族対応番号は自分の書き込み)なども持ってこよう。(地図もあって都合がいい)

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Ancient human genome sequence of an extinct Palaeo-Eskimo : Article : Nature

ここにニヴフはいないがいくつか既出の「トナカイの民」がいて、コリャークがSaqqaqと関係するとされている。(ユカギールにもいるがほんの少し混ざってる程度)

ユカギール(Yukaghir)は北アジア諸語とされ名前の語源も不明(地図よりずっと東にもいて、ADMIXTUREを見ても三系統ぐらい混ざってる)。ヤクート(サハ)・ドルガン(Dolgan)はテュルク系で非常に近い関係。Hezhenはナナイの中国名ホジェンで、ケット(Kets)・セリクプ(Selkup)・ガナサン(Nganasan)・さらに登場しないけど周囲にいるネネツ(Nenet)・エネツ(Enet)は、軒並み「人」を意味する言葉が含まれています。

 

「これらの論文にアイヌがいたら、どんな状況が見えてくるか?」ってことですよ。

 

さて、大晦日も押し詰まってまいりました。

みなさん、良いお年を。

トナカイネタだからクリスマスに書けば良かった。サンタのソリがトナカイに引かれてるのは、ソリがどこで発明されたか(このへんとかアメリカには、雪のない地面(草地)の上を直接引っ張るソリもあった)とか、それがやがて車輪の発明に繋がるんじゃないか、というあたりまで面白いところ。

*1:細かい分類と大きな分類といったレベルの違う分類は共存できる

*2:日本語とオーストロネシア語の関係を知りたくて崎山理『日本語の形成』を読むと、当然他の言語の話も書いてあり、ちょうどそこにこのトナカイの話が出てきた。