中国古代文明側の可能性追求――遼寧省錦州市のY染色体ハプログループC1a1の由来はどこにある?
つづきを予告していた記事です。
「Liaoningさんと東京の4人との分岐年代は5500年以上前を示唆するか*1」ということになると――その約5500年前あたりにC1a1が中国側から日本へ渡来した/中国側のどこかでC1a1が分岐した可能性はあり得るのか?
なお今回の記事は、自動的に、C1a1限定の話でなく――5500年前程度の時代に、中国側から日本へ何者かが渡来した可能性はあるか?――を追求するためのリストにもなっている。
また、話の展開で、イネなど栽培植物がどのように伝播しているのかもちらっと触れることになる。
そしてさらにこれは、自動的に中華文明の形成を探る話に繋がっていくことにもなる。
実はこの約5500年前あたりという年代が、ちょうど面白い時代に当たっているわけだ。
約5500年前の中国文化リスト
約5500年前(BC3500)という年代は、中国の新石器時代文化で、おおまかに次の文化群に当たっている。
以下のリストの数字はこの地図中の数字に対応。(それぞれの年代には諸説あり、幅を持って見る)
- 遼河上流域1:紅山文化(Hongshan,BC4700-BC2900)。遼河文明
玉竜 - 黄河下流(山東省)2:大汶口文化(Dawenkou,BC4100-BC2600) 。雑穀とイネの栽培。
鬹(gui) - 黄河中流域3:仰韶文化(Yangshao,BC5000-BC3000)。アワ・ムギ・イネの栽培。 後継の龍山文化(Longshan,BC3000-BC2000)は山東省側にも拡がる。
フクロウの面 - 長江中流域4:大渓文化(Daxi,BC5000-BC3000)。稲作、ハプログループ旧O3-M7*2。
- 長江河口・杭州湾北方6:崧澤文化(Songze,BC3900-BC3200)~良渚文化(Liangzhu,BC3500-BC2200)。稲作、ハプログループ旧O1*3。先に馬家浜文化(Majiabang,BC5000-BC4000)。
良渚玉璧 - 杭州湾南岸5:河姆渡文化(Hemudu,BC5000-BC3400)。稲作。
河姆渡遺跡(再現) - 台湾11:大坌坑文化(Dabenkeng(Dapenkeng),BC5000-BC3000)。まさにオーストロネシア語族移住図と関係する文化。
- 福建8:殻丘頭遺址(Keqiutou,BC4500-BC3500)*4
- 珠江デルタ10:咸頭嶺遺跡(Xiantouling,BC5000-BC4000)(xiantouling - Google 検索)*5
- 珠江中流域9:頂螄山遗址(Dingsishan,BC6000-BC3000)(dingsishan - Google 検索)*6
これらは、日本との関係を期待する人たちも多そうなリストだ。
しかも、もちろんこれら文化の間(先行文化・後継文化も考えて)でも、人や物の交流は当然あると考えられるわけだ。
そしてここから、中華文明も形成される、ということになる。
ここでとりあえず、オーストロネシアの文化(大坌坑文化など)は、我がサイトでずっと問題にしている、日本や沖縄方面との関係もあり得る文化だ。(以前の記事で考証し、遺伝的起源地は中国南部でも西にあり、出台湾コースだけでなく南シナ海西回りコースもあるだとか、問題も書いたところだが)
そしてこのオーストロネシア文化は、良渚文化(リストでは少し新しめの年代)あたりとも関係するという。
それに、海を越えて移動する文化であるわけで、影響は図に示された一方向とは限らず、いろいろ単純ではない双方向性を持った動きもあり得るわけだ。
稲作との関係
以前まとめて記事にした稲作(およびイネの元種のあった広西など)との関係も問題となっている。*7
そして以下の稲作などの伝播図(milletはアワ・キビなど雑穀総称。vegecultureは主にタロイモ(サトイモ)とされる)も、今回の問題と直接関係してくる。年代と登場文化名に注意して見て欲しい。*8
中国の遺跡人骨解析
さらに、中国では遺跡人骨の解析も積極的に行われており、古い時代どこにどういう系統がいたかは結構わかっている。
※ただし、特定地域の墓のような場合、遺跡人骨がほとんど特定の一族や特定系統集団のみで構成されてしまう可能性があって、当然データも大きく偏るだろうことに注意が必要となる。――また、どうしてもサンプルも少ないという問題が避けられない。
まずは時代が古めの、約4000年以上前の図だ。
(なお、かなり前にも以下の二つの円グラフ地図を借りたが、間違いと誤解要素とHengbei新データがあり、今回は勝手ながらその円グラフ地図を修正し、昔の記事も直した。*9)
- 北のHongshan(遼河文明紅山文化)周辺はNが多い。*10
- Longshan(黄河龍山文化陶寺遺跡Taosi)は旧O3ばかり。(ただし若干新しい時代)
- Daxi(長江大渓文化)は旧O3の特にM7が多め。ただし未分類のグレーが多い。
- Liangzhu(長江良渚文化馬橋遺跡Maqiao・新地里遺跡Xindili)は旧O1が多い。未分類もある。
ここで、南方のグレーを含む円グラフの論文*11は、旧O1-M119・O2a-M95・O3-M122(それぞれ現O1a・O1b1a1a・O2)のみ調べているため、未分類のグレー部分はそれ以外の何かすべてに当たる。よってその他という意味だが具体的に「C,N,D,otherO...」と記す。*12
このグレー部分に何が含まれているかは重要だ。
この「C,N,D」はO以外で中国で多い三つだが、他にQやRなどの可能性もある。さらに、これらはOの大元が調べられていないため、現O1b1a2-CTS10887(曹操の子孫とされる集団も含む)や、さらに旧O2b(現O1b2。日本と韓国に多い)あたりもグレーに含まれる可能性がある。(特に現O1b1a2はどこかに含まれていそうだ)
次に、時代が新しめ、約4000年前から以降の図。
- Wucheng(呉城文化、江西省)は旧O2a多め*13。既に殷(紀元前17世紀から前11世紀)と同時代の文化。
- Hengbei(横水鎮横北村西周墓地、山西省運城市絳県)は西からやってきたらしきQ(馬やチャリオットの伝播と関係するのか?)が多くなる。これは周初期(西周)の倗國の墓とされ、殉死者(すべてO)も27人中7人含む。*14
- Pengyang(彭陽県、寧夏回族自治区固原市*15)はQばかり。*16
- しかしTaojiazhai(陶家寨、青海省西寧市)とさらに4000年前の磨溝(甘粛省甘南チベット族自治州。斉家文化)ではすべて旧O3a-M324で、これは羌族*17だという。*18
そしてここで、他の遺跡との比較がある最後の磨溝(Mogou)論文(Ancient DNA reveals genetic connections between early Di-Qiang and Han Chinese 2017.12)によれば……
……と最後にModel1が肯定され、北部漢民族はMogou系統とHengbei系統が合流して成立したのではないか、とされている。
Mogou系統(旧O3a-M324)が当時の(古)羌族とされることを考えれば、これは非常に興味深い説だ。*19――ただし、既にHengbei(時代は周初期)もいろいろ合流していそうであり、そこも上手く説明できるもっと良いモデルが存在する可能性はあるだろう。
C1a1の問題
ここで、C1a1の問題に戻ろう。
問題の、確実なC1系統は遺跡から直接は出てきていない。またD系統も出てこない。
ただし、そもそも存在/不在が調べられていなかった、という場合も多い。(なお、中国南部ではNだとかもあまり調べられてない側にある)
ただしここで、少数派だったとすれば、少数のサンプルでは簡単には出てこない。そのため、なかなか不在証明は出来ない。それに遺跡人骨はどうしても分析不能で正体のわからない場合も多いわけだ。*20
また今回は、直接遼寧省にあって唯一ハプログループC(赤)(これ以上の解析は不能)も出てる紅山文化(Niuheliang=遼寧省凌源市から建平県の牛河梁遺跡)も気になるだろう。しかし、この地域の後の時代の調査でも、現在の調査でも、CでもC2(旧C3)ばかり出てくるのだ。C1a1の可能性を完全には否定できないが、確率的にはそれほど期待できない。
ただし、C2でないらしきCは、前編の時の調べで、詳細は不明だがシベリア側でも韓国でも出ていた。とはいえこれらも、検証してみた結果ではC1a1以外のようだった。
もちろん、過去の一時期だけどこかで多かったという可能性もあり、たとえ現在少数派でも、いつかは発見される可能性もある。――ヨーロッパの例では、現在調べてもほとんど出てこない珍しいC1a2が、遺跡から多くはないけれど着実に出てくるわけだ。
なお、Y-FullはLiaoningさんのC1a1も解析中では無くなり、そのまま状況が確定したようだ。
つまり、日本の東京集団とLiaoningさんを隔てる変異は、今のところCTS9336だけ。
今後、日本側の調査範囲を拡げていったとき、――Liaoningさん側と共通する変異を持つ人々が出てくるか/Liaoningさん以前に分岐した古い人々が出てくるか――が、大きな問題となる。
しかしもちろん、中国側で重要な新発見がある可能性もゼロではない。
楽しみに待ちましょう。
*1:原文では、「I suspect the findings suggest it has been about 5,500 years or more since you last shared a common grandfather with the 4 Japanese men. 」
*2:ミャオヤオ語族説あり。
*3:オーストロネシア語族やタイ・カダイ語族説あり。
*4:説明中に殻丘頭遺跡が登場する日本語の文章はこちら(台湾主題で対岸との関係を論じる)。英語版wikiもDabenkengの中の項目にあった。
*5:情報はそのうち出てくると思われる。
*6:頂螄山貝塚のほうの説明が出てくる日本語pdf(鯉の話)があった。(食用の「養鯉」も歴史が古いようだ)
*7:A map of rice genome variation reveals the origin of cultivated rice | Nature
*8:これら画像の元論文は、Pathways to Asian Civilizations: Tracing the Origins and Spread of Rice and Rice Cultures | SpringerLink(なお、この論文はシノ・オーストロネシア語族説を採っている)
*9:元画像はAncient East Asian Y-DNA maps | For what they were... we are/おそらくこのデータの元は、Eurogenes Blog: Lots of ancient Y-DNA from China(dienekesのコメントでも詳細データ)。人のデータを使うと結局修正が面倒だ。
*10:Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China
*11:Y chromosomes of prehistoric people along the Yangtze River | SpringerLink(Li et al. 2007)
*12:なお、分析不能は計算から除いている。(見つかっていないのと同じ)
*13:ただしこれはサンプル数3しかない。論文は同じくLi et al. 2007。
*14:Ancient DNA Reveals That the Genetic Structure of the Northern Han Chinese Was Shaped Prior to 3,000 Years Ago
*15:草廟郷周庄Zhongzhuangと古城镇王大户Wangdahu。北狄(Bei-Di)か?
*16:Ancient DNA from nomads in 2500-year-old archeological sites of Pengyang, China | Journal of Human Genetics
*17:現在調べるとD1aも多いチベット・ビルマ語派の民族。(そういえば、殷の生け贄で最も多かったのは当時の羌族。周と牧野の戦いのいきさつ(太公望羌族説だけでなく)も思い出すが)
*18:この後紹介する磨溝が主役の論文が最新で出てたが、グラフは変更無し。(All Mogou and Taojiazhai males shared 100% Y-DNA haplogroup O3a/M324, and many maternal haplogroups (D4, M10, F, Z) とある)
*19:意外かも知れないが、既に言語学では中国語がチベット・ビルマ語派と同じ語族としてまとめられてるところではある。
*20:また、ある程度規模が大きくてわかりやすい墳墓だとかばかりを調べると、そのような墳墓を作る特定種類の文化と階層に偏ったデータになる。