西方遺跡データのY染色体ハプログループ2
今回も西方の遺跡データ。
再び主な目的を確認する。
もともとの目的はモンゴロイド仮説の検証だ。
昔の時点で西にモンゴルのC2(旧C3)系統(もしくはその先祖の段階)がいないとわかれば、彼らは西回りの北方ルートでモンゴルに到達したわけではないことがわかる。
しかし今回は、世界をまたにかけていろいろな人々に触れていて、内容が盛りだくさんな気がする。
そして今のところ、より古い時代の西方遺跡のデータにC2は発見できていない。
どうしてもデータが少ないため、不在証明は難しいが、証拠がなくて存在証明できないわけだ。
さらにもう一つ。
現在C2のいる地域でも、過去にC2がいないとわかれば、それは新しい時代に増えたものだとわかる。
このとき、C2が増え始めた時代も突きとめたい。
そしてミトコンドリアの追及では、鉄器時代の始まりに西方でアジア要素が増えていた。
それは予想した匈奴&フン族でなく、それ以前のスキタイ(ヘロドトスの記述にもある東方起源伝承あり)のタイミングだった。
しかもユーラシア大陸の極北、スカンジナビア半島では、もっとずっと早い時点からミトコンドリアの東方要素が増えていた。ただし、現在であっても西方の極北にY染色体C2は存在しない。これはスカンジナビア半島だけでなく、もう少し東まで事情は同じだ。
ウィキペディアにある、現在のY染色体ハプログループC2の分布(比率)。西で拡がったカザフスタン周辺が問題の場所。
彼らC2もアメリカ組であることに注意。つまり、氷河期が終わるまでに極東北部に到達していた集団なのだ。
極北集団に関係しそうなY染色体は、ハプログループNだ。ただし彼らNはアメリカ組でなく、氷河期終了後に北で広まったと考えられる。*1
では、C2の西方への登場も、スキタイのタイミングだったのか、違うタイミングなのか、それともやっぱりモンゴル帝国なのか?
そして、それを確認するためのデータを探したわけだ。
ぴったりな物はまだ見つからなかったが、とりあえず少し早い時期中心のウラル山脈南部中心のデータを見てもらおう。(また表に色を付けた。だいたい古い順で、ある程度場所をまとめてる。クリックで拡大します。※7/23追記。このY染色体ハプログループのラベルはISOGG2014年版であって最新版ではない。おおよそ変わってないし、そんなに細かい分岐見てないし、必要なときは変異マーカーを見てるが、注意が必要です)
一番右は少しツッコんだ(信頼度低め)解析結果を出すhttps://genetiker.wordpress.com/2015/06/11/y-haplogroups-for-prehistoric-eurasian-genomes/(など)より(こっちは書かれた時点でのISOGG最新版か)。慎重すぎる解析結果は、大雑把すぎて余計な誤解を招くため、解析のある物はセカンドオピニオンとして採用した。まあ、いつでも、本当はもっと細かい下位分類の可能性があると考えなくちゃならんのです。
まずはRばっかり目に付く。最初二つは既出のスカンジナビア半島の付け根Karelia。
そして西の古い時代にたくさんいた緑系のIあたりは稀にしか見かけない。
最初の頃にQ1a(アメリカ組)もいる。*2
そして問題とするC2は、とりあえず見あたらない。(もっと、現在C2の多いカザフスタンのデータが欲しいところだが)
Y染色体ハプログループQの分布(比率)。現在のウィキペディアの文章は問題あり。「*」は単に未分類の意味だ。
ここであらためてRの内訳をよく見ると、最初の頃は多くいたR1bが紀元前2500年あたりからいなくなり、R1aが急激に増えるのを確認できる。*3
特に増えているのは、赤字で表したR1a1a1b2(2016最新版でも同じラベル。変異マーカーだとZ93)以下の系統で、実はこれはインドなどアジア方面で多く、インドのアーリア人と関係するとされるのだ。*4
これはミトコンドリアで変化が観察できたスキタイよりもさらに前の時代であり、実際表にあるスルナ文化Srubnaya時点のミトコンドリアの側には、あまりわかるような変化が見られない。*5
なお、ミトコンドリアC1(アメリカ組)が早い時期から見えるが、これはこの北の地域に古くからいた東方要素だ。
たぶんトナカイ文化でしょう。ただし、車輪(チャリオット)の発明に先んじるはずのソリ(コトバンク)が、文化の広まりにとっては重要だったか。
あ、色分岐図も出しておきましょう。表はこの色です。
場所で注目すべきは、地名背景にピンク色を付けたサマラ(Samara)。
クルガン仮説がインド・ヨーロッパ語族の原郷(Urheimat)と想定する、まさにその場所なのだ。だからヨーロッパの学者が熱心に調べてくれてるわけだよ。
そしてまさにこのR1aこそが、インド・ヨーロッパ語族と関係すると考えられているのだ。
ロシアのサイトにあったR1a分布図。このR1aの分断を作ったのが何者かと言えば、その主犯こそが後のモンゴル帝国などのC2でしょう。
なお、EupediaにもR1aの図がいろいろある。Haplogroup R1a (Y-DNA) - Eupedia
そしてこの若干東過ぎるサマラが、ヤムナ文化(YamnayaとJamnaは綴りの違い)・スルナ文化・そしてスキタイの範囲だとされ、以前のミトコンドリアのデータなど、いろいろな論文でこの区分として含まれている。
このサマラは、馬で渡れる場所も限られる、地理境界のヴォルガ川の東岸にあるため、むしろ川自体や、すぐ東のSintashta文化(表にあり)、北のウラル語族(トナカイ文化)地域などとの結びつき(ミトコンドリアC1など)を考えるべき、文化の境目となるような場所だと思われるのだが。*6
なお、ウラル語族はこんな分布を持つ。ヴォルガ川(Wolga/Volga)の位置とハンガリーに注意。(この図は英語版にある)
東にあるのは、次の図の赤で示されるSintashta文化。(地図上に地名がないが、サマラの場所も地図の端の文化の境目にある)
ここで、バイカル湖・アルタイ山脈近くの南シベリアのデータに進もう。(ただ、Y染色体の古いデータがない)
このAfanasieve(Afanasevo)やAndronovo(文化の範囲はオレンジだが、本来の由来地名も西北端にある)は直前の地図にもあるところ。
この地域のミトコンドリアは、最初の頃あまり東方要素が強くなく、紀元前1500年あたりから東方要素が増えてくるようだ。(アメリカ組ではないFも含めて)
しかしY染色体の側は、データが少ない上に時期も限られるが、Q1aが多めに見えるところにR1a(どうやらアジア系)やJ2とか、中央アジアの集団が強い。
そして、ミトコンドリア側に変化が見えても、この南シベリア地域まで来ても、いまだにY染色体C2(旧C3)は見えてこない。
どうもNはいるらしいが。(周囲では既に拡がってるはずなのだ。Nの分布図参照のこと)
データが少ないとはいえ、C2(旧C3)は全然遺跡データの西や北には現れてこない。
ここでバイカル地域が、さらに古い時代にマリタ遺跡のRがいた場所だということも思い出していただきたい。
なお、この地域のY染色体データ(時代は1800BC-100AD)はミトコンドリアで扱った論文にもあった。これは一つを除いて全部R1a1で(これ以上分析されず)、しかし最初の古めの年代のサンプルは唯一C(xC3)とされ、するとこれは現在のC1にあたり、これは注目にあたるかもしれない。
まあ、ロシアのKostenki遺跡からも出ていた、現在のインド西部に多いC1b系統のような気はするが。
C1b系統はオーストラリアにも相当に早い時期に到達していた。C1a系統もヨーロッパの西の端にいて日本にいて、実はアフリカのベルベル人でも見つかってる。二つ合わせたC1系統は、クロマニヨンより古い時代に、かなり世界に拡がってたようだ。
もうちょっと、今回の論文にある残りの西の話をしておこう。
スペイン・イタリア少し(アルプスのアイスマンもいたぞ)・ハンガリー。※追記。アイスマンの情報あったんで書き足しました。変異マーカーはL91で、2014年版だとこのG2a2a1b、2016年版だとG2a2a1a2。
この時代は緑(GHI)ばっかり。現在のスペインやイタリアに多いR1bは、この時点ではまだあまりいない。ハンガリーでも出てこないし。なお、前回の古い時代の表のほうにイタリアVillabrunaの14000年前のR1b1が出てました。
でも、最初のおなじみのLa Branaだけじゃなく、C1a2は結構出てきます。
そして、鉄器時代になって早速ハンガリーに現れるNが面白い。ハンガリー語もウラル語族で、マジャール人も元はウラル山脈あたりにいたと言います。サマラのことを思い出してください。名前もどこか似たフィンランドなんかはNが過半数を超える国ですが、ウラル語族の下にフィン・ウゴル語派(Finno-Ugric)があって、そこにフィンランド語もハンガリー語もあるでしょう?
長くなってきたんで、ここらへんで一旦切ります。
残りのデータに触れながら、あふれてきた謎を多少なりともまとめていく予定。
とりあえずC2が見あたらないのはわかった。
だけど、ミトコンドリアで見えた、鉄器時代に西へ移動したのは、結局Y染色体だと誰?
そもそもR1bとかR1aも、いつからヨーロッパの西のほうで増えたんだ?
そのへんですね。
- 今回のメイン論文。Mathieson 2015。
Eight thousand years of natural selection in Europe | bioRxiv
この論文は他の論文のデータも含んでます。ミトコンドリアでも使ったこの論文(Haak 2015)とか。
- データを付け加えた論文。Allentoft 2015。(この三つの論文はよく話題になってる)
- ハンガリーのNのあった論文。それ以外のデータはかぶってたが。
Genome flux and stasis in a five millennium transect of European prehistory. - PubMed - NCBI
- 追加。アイスマンの分析論文。
- いくつかの遺跡人骨サイトのリンクもあらためて。こういうところからデータ探したよ。
引用した解析ブログ(攻めてる) https://genetiker.wordpress.com/
Y haplogroups for prehistoric Eurasian genomes | Genetiker解析ツール配布元(穏便) http://www.y-str.org/
Genetic Genealogy Tools: Ancient DNAこんなところもある。 Introduction to Ancient DNA
*1:なお、ウィキペディアのNの項目の、日本と遼河文明を関係づける解釈には同意しません。Nは日本の周囲のどこを見ても日本よりは高頻度で、普通に各種渡来民にその頻度で含まれていた可能性があり、細かく系統を調べないといろいろ言えないのです。
*2:ちなみにQ1bだとアメリカ組ではない。
*3:どうもR1bもまた古くからのアメリカ組のようだが、コロンブス以降の移民R1bとの区別も難しく、まだ詳細不明。 https://en.wikipedia.org/wiki/Genetic_history_of_indigenous_peoples_of_the_Americas#Haplogroup_R1
*4:なお、Z93系統の起源がどこかはまだ決定的でないが、文化的には南のコーカサス方面(マイコープ文化とか)からとも言われる。ただし、遺伝的な起源地がいつどこかと、何がきっかけ(文化の起源)でいつから繁栄したかは、別問題。R1a自体はもっとずっと古い起源を持ち、このウラル山脈南地域のデータでも昔から確認できる。
*5:Srubna cultureのwikipediaにあったのも、まさにこのSamaraのデータ。
*6:確かに現在の地域区分はウラル山脈とウラル川をシベリアや中央アジアとの境界とし、サマラ地域はぎりぎりで「ヨーロッパ」に含まれるが、これはずっと新しい時代に政治的に作られた区分だろう。川の名前もドナウ・ドニエストル・ドニエプル・ドネツ・ドンまでは同じ語源Dānu(スキタイ語などインド・ヨーロッパ語で川。インド神話にもケルト神話にも女神Danu(ケルトはこちら)がいる。エリダヌスという川の星座もある)を含むが、ヴォルガは違っていたりする。ちなみに、ドニエストルが「近い川」、ドニエプルが「遠い川」だそうな。