知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

西方遺跡データのY染色体ハプログループ3

いつのまにか世界全体の人類史の謎の話に拡がってしまう。

西方遺跡データはこれで最後。今回はヨーロッパの話ばかりやります。

 

まず、R1bやR1aの謎を片付けよう。

ドイツでは、少なくとも紀元前2500年あたりから、両方たくさんいるのだ。知ってて隠してた。

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この年代、前回のウラル山脈南のステップ地帯で、アジア系のR1aがR1bを追い出す変化があったのとほぼ同じだと考えられる。ただしどうやら、ドイツのR1aはアジア系とは違う、後に残る系統となるようだが。

また、R1aとR1bの境目は文化の違いに対応するのか。R1bはBellBeakerのようだ

初期に見える見慣れないTって何者か、色で思いだそう。稀にヨーロッパにいて、アフリカ東部で多い。インドにも多い集団がいて、パキスタンに多いLとTが兄弟だから、そのへんがルーツか。

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ドイツ周囲のデータもある。(残念ながらフランスとかイギリスはなかった)

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どうやらR系統の現れるタイミングはだいたい同じ。

ただ、スウェーデンは初期のI2じゃなくてI1が押し返してる。年代順に並べただけなのに、ミトコンドリアまで綺麗な順番に並んでしまう、意外な単一性を持ったスウェーデン

現在の状況。おお、これが現在に繋がるんだ。

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ハンガリーでR1aは見つからなかったが、これは文化圏の違いか。縄目文土器文化(https://en.wikipedia.org/wiki/Corded_Ware_culture#Genetic_studies)

Eupediaにちょうどいい地図がある。R1aの東での移動方向には同意できないが。そのへんの地域はCopper Ageも古いという地図を、Eupedia自身が同じページで出してらっしゃる。東はR1aの系統もアジア系で違うわけだし。
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R1bもR1aも、移住の理由とタイミングは違うはずだが、結局どちらも似たような時期にヨーロッパの西へと移住したようだ。R1bはどうも南寄りルートらしいが、しかしハンガリーあたりから南のバルカン半島などは古い状態が残っている。

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実はこの西方遺跡データシリーズ、ほぼこのEupediaに該当する話だったわけ。たぶん同じ論文も参考にしてる。当然ヨーロッパの人たちは地元の論文まで詳しく見てるだろうけど。

ま、ツッコミどころ見つけるならヨーロッパを身びいきしてる部分だ。

 

まだあるぞ。 

次はトルコとアルメニア。中近東に近づき、コーカサスの南でもある。つまりこれはヨーロッパの南東の入口の話。

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トルコ(このBarcinは西のほう)もこの時代のY染色体は南欧と似てるが、少し分岐の古いGやHが多くなるのが特徴。Rはいない。そしてここにもしっかりおなじみのC1a2がいる。

現在でもコーカサスに多く、特にこの二つの国の間(北側)にあるジョージアことグルジアGeorgiaに多い。*1

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データの時代も違うアルメニアは、がいたり、かなり様子が違ってます。*2*3

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ところで、両国のミトコンドリアに関しては、Y染色体ほどの極端な違いは見えない。

ただし、このデータではそれほどはっきりしないが、Hの、場所よりも時代変化による増加傾向はあると考えられる。西のヨーロッパではもう少しはっきり、Hの時代による増加傾向が見えるのだ。

ユーラシアの西方は、アジア勢とアフリカ勢の進出部分を除けば、結果的にだいたいどこも似たり寄ったりのミトコンドリアの配分になっていたりする。(Saamiは特殊だけど)

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それと、配分の似た集団同士だと、入れ替わりがあっても結果に見えてこないことになってしまうのか。お互いに入れ替わらなかったとは言えないんだ。

 

ちなみにEupediaの現代のY染色体分布図集はここにある。

東端のサマラ地域は見てチェックしてたりします。

 

 

あ、問題を一つ忘れてた。

鉄器時代に東のミトコンドリアとともにステップ地帯へ移住した、Y染色体は誰だ?

カザフスタン地域はまだいいデータがないので答えを出せない。フン族も後回しにしておきます)

 

可能性があるのは、R1aと、わずかな

ハンガリーにも鉄器時代に現れていた。

現代のウクライナでも5%以上おり、やはり北方から、サマラのあたりだけを通るわけではないが、南のステップ地帯への進出はあったと考えられる。

バルト海の東南もNの比率は高いので影響があり得る。

飛ばして、中央アジアからシベリアにはそこそこの比率でおり、わずかにヨーロッパにいるため、他の者たちと混ざる形で移動してくることはあるだろう。

いくつもある移動タイミングの一つ、だが。

もっと後のモンゴル帝国のタイミングでの移動もあり得るが、モンゴル人自体のQの比率は5%以下しかないため、C2以上の特別な影響が出るとは思えない。(東アジア南方でところどころにいるQの、モンゴル帝国由来説も、どうもあやしいのだ)

で、現代のウクライナにいる者たちから考えれば、鉄器時代でもまだR1aの移住も続いていたかもしれない。

R1aももともと中央アジアにいたわけだ。

 

論文は前回と一緒。コピペしよう。

*1:なお、コーカサスから北への人々の移動を想定する場合、この濃い緑のGがヴォルガ地域のヤムナ文化などのデータに見あたらなかったことが問題になる。現在でもこの地域にはGが見あたらないし。

*2:ヨーロッパにいるのはほぼE1b1b(M215)限定。E自体はアフリカの再多数派。

*3:まあ、出アフリカ再検証も後でやろう。中近東をちゃんと調べたらアフリカ勢がアフリカから出てたわけだし。