知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

ほぼ完全な弥生期の人骨出土 佐世保市・高島「宮の本遺跡」発掘調査

このニュースに反応しておこう。これも最近の海人話と無関係ではないのだ。

場所は長崎県の西海岸、九十九島の中にある高島佐世保市高島町宮の本遺跡長崎県公式佐世保市公式に図や写真がある。縄文時代草創期から古墳時代の複合遺跡)

f:id:digx:20171207221037j:plain

ここは旧松浦郡であり、松浦党末廬国家船など海人たちの領域だ。

以下、引用をたくさんやるが重要部分はこちらで勝手に強調する(色つけなど)。

長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】ほぼ完全な弥生期人骨出土 (12月6日)

 佐世保市の離島、高島(高島町)にある「宮の本遺跡」で、市教委は11月から本年度の発掘調査をしている。遺跡ではこれまでに弥生時代の人骨が40体以上出土。今回は新たに3基の石棺墓を確認し、うち1基からほぼ完全な状態の人骨1体が見つかった。今後科学的な分析を加え、詳しく調べる

 遺跡の調査は昭和50年代に始まり、昨年26年ぶりに再開した。本年度は11月7日から12月15日までの日程で、約150平方メートルの区画を調査。墓地の範囲などを確かめている。

 今回出土した人骨は弥生時代中期ごろのもので、頭蓋骨や骨盤の形状から若い女性とみられる。長さ約160センチ、幅約30センチの石棺に入っていた。足を伸ばした状態で埋葬する伸展葬で、副葬品はなかった。

 遺跡の場所はかつて砂浜だったとされ、海上交易に携わった民族の可能性がある。これまでの調査で墓地は南北約260メートル、東西約60メートルに広がっているとみられる。市教委は「今回で北限は確認できた」としている。今後、数年は調査を続けるという。

 調査を担当した学芸員の松尾秀昭さんは「墓地以外に生活用具や住居の跡などは見つかっていない。今後は当時、人が暮らしていた環境を明らかにしていきたい」と話している。

この毎日新聞の記事には、「宮の本遺跡は1977年8月、住居新築工事中に石棺五つが発見された。これまでの調査で55基の墓から43体の人骨が出土」(今回石棺墓+3で、その中でほぼ完全な一体の人骨が出た*1)という数字の詳細がある。

 

「今後科学的な分析を加え調べます」だから、これからどうなるかに注目したいニュースだ。

記事中にあえて「弥生時代の人骨」とあるが、これが「弥生人」と同じ意味ではないことに注意。(後でまた触れる)

 

そしてこの宮の本遺跡は、沖縄から北九州を経て北海道にまで至る、南島産貝製品(貝輪。材料はゴホウライモガイ・オオツタノハ貝の考古学(忍澤成視)*2の交易と関わる遺跡でもある。

九州沿岸地域の島嶼間における原始・古代の文化交流に関する研究 上村 俊雄*3

キーワード 南島産貝製品 / ゴホウラ製貝輪 / アワビ副葬の埋葬習俗 / 支石墓の下部構造 / 箱式石棺墓 / 地下式板石積石室墓 / 宮の本遺跡 / 浜郷遺跡

研究概要 日本列島の近海に沿って流れる黒潮は、一つは九州の西を過ぎて日本海に入り本州および北海道の西岸を洗い、他の一つは太平洋岸側の伊豆諸島に達している。本研究では、黒潮の流れに乗って原始・古代の南島および大陸からどのような文物が往来したのか、また九州沿岸地域にどのように影響を及ぼしたのかなどについて調査研究を試みた。調査研究の対象を1.南島産の貝製品(ゴホウラ・イモガイ・オオツタノハなど)、2.大陸の関係の深い支石墓の2点にしぼり、壱岐対馬五島列島などの島嶼および西北九州を中心とした九州西岸の沿岸地域を調査した。1のテ-マの南海産貝製品のうち、ゴホウラ製貝輪は有川町浜郷遺跡(五島列島)、平戸市根獅子遺跡(平戸島)イモガイ製貝輪は佐世保市宮の本遺跡(九十九島中の高島)、五島列島福江島大浜貝塚中通島浜郷遺跡宇久島宇久松原遺跡オオツタノハ製貝輪は宇久松原遺跡・福江島大浜貝塚などで出士している。また、埋葬人骨にともなうアワビの副葬列が中通島浜郷遺跡、福江島大浜貝塚で確認されたが、同様な列は沖縄本島読谷村木綿原遺跡にもあり、弥生時代五島列島と沖縄に共通した埋葬習俗が見られることは注目される。南海産貝輪は九州西海岸をかすめて北九州へ運ばれるル-トの中で五島列島へもたらされたと考えられる。2のテ-マの支石墓については、甕棺・土壙・箱式石棺などの下部構造について調査した。九十九島の宮の本遺跡、五島列島の宇久松原遺跡・神ノ崎遺跡(小値賀島)・浜郷遺跡などの箱式石棺墓の中に南九州特有古墳時代の墓制である地下式板石積石室墓を想起させるものがある地下式板石積石室墓の祖源は縄文時代晩期の支石墓に遡る可能性を示唆しており、五島列島方面から南九州西海岸に到達したものと考えられる。この見解については平成3年11月9日、隼人文化研究会で「地下式板石積み石室墓の源流」と題して口頭発表をおこなった。

ここで、上村俊雄さんの研究成果にある「沖縄出土の明刀銭について」も重要だ。明刀銭中国戦国時代の東北部にあったのもので、沖縄と中国東北部を結びつけるような交易も紀元前にあったわけだ。

城嶽(グスクダケ) 那覇市歴史博物館:那覇市内史跡・旧跡詳細

大正末から昭和初期にかけて発掘調査が行われ、中国の燕国(えんこく)(BC409 ~ 36年)の貨幣であった「明刀銭(みんとうせん)」や、沖縄では産出しない「黒曜石(こくようせき)」が出土した。

(ここで、沖縄で黒曜石の交易もあったことは非常に重要。これも相当に古い時代の交流証拠だ) 

 

さらにもう一つ、かなり古い(1997年)が重要な情報がある。

長崎大学出展人骨資料 特集 日本人類学会・日本民族学会連合大会50回記念

宮の本遺跡(図2-B)
長崎県佐世保市相浦港沖の高島の砂丘上に形成された埋葬と周囲の包含地よりなる遺跡である。1977年から80年の調査で根獅子遺跡と同時期の人骨39体(成人骨30体)が出土している。コルマン及びウイルヒョウの上顔示数がそれぞれ44.9(1例),57.9(1例)を示し,推定身長値は162.6cm(2例)で西北九州地域の中では高身長である。

そして。(他の長崎県の遺跡の情報も一通りあり)

内藤ら(1981a,1981b,1984)は,縄文人と強い類似性を示す西北九州弥生人の分布が,長崎県本土の西端部,五島列島,熊本県の離島天草だけでなく,大陸にも近い玄界灘に面する地域にまで広範囲に及び,脊振山系を境にして東と西の弥生人の形質には差があったことを明らかにした。

この古い文章で引用されたさらに古い文章は、西北九州の「弥生人」と書いてしまってる。

しかし、これは弥生時代の人間だけれども遺伝的には縄文人系統の影響が強い可能性があるんじゃないのか、ということになる。だからこそ、遺伝的にちゃんと調べるべき、ということになるわけだ。

 

そして、現代の住民を調べることも有効であるはずで、充分に面白い結果が出てくるはずでもある。日本はどこを調べても縄文に繋がるハプログループがたくさん残っていて、しっかり出てくるんだから。

長崎は離島も多い(五島列島だけでなく対馬壱岐長崎県)ため、それぞれに個性的なデータが出てくると思われる。歴史的に松浦党家船文化もある。また、出雲の話で方言に触れたとき、九州の中で長崎方言長崎市中心)だけが東日本側の奇妙な位置にあったり、何かと面白いデータが出てくる場所でもある。

 

*1:慎重に読むと、残る二つの墓から人骨が出たかが定かでない言い回しになってる。

*2:このオオツタノハは約6000年前の富山県小竹貝塚からも出てる。縄文時代前期の古い交流だ。

*3:「理葬」表記を「埋葬」に訂正した。(本当は引用では直さないべきだが、重要な言葉を間違えると検索にかからない)

原の辻遺跡で国内初の遼東系銅釧(くしろ)(腕輪)が出土

関係あるかも知れないニュース。

なんと期待より少し古いお話。

 

長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】原の辻で国内初の腕輪出土 (11月28日)

 県埋蔵文化財センターは27日、壱岐市の国指定特別史跡原の辻遺跡」で2007年度に発掘した青銅製品が、紀元1世紀ごろ(弥生時代中期から古墳時代前期)のものとみられる銅釧(くしろ)(腕輪)の一部だと判明したと発表した。
 同センターによると、出土品は長さ約4センチ、幅約1センチ。中国の遼東郡と呼ばれていた地域のもので、13年に国の重要文化財に指定された。同地域の銅釧が国内で出土したのは初めて。
 出土品が、遼東郡の羊草荘漢墓で報告された67点の銅釧と形状やサイズがほぼ一致したことなどから遼東系の銅釧と判明した。
 今回の出土により、これまで中国系の文物は、楽浪郡と呼ばれていた地域を経由して日本に流入したと考えられてきたが、同種の銅釧は楽浪郡では出土しておらず、一支国(いきこく)(壱岐)と遼東郡との交流があったと想定でき、対外交流が活発だったことを物語るものとしている。

朝日新聞

弥生集落から中国・遼東の腕輪 魏志倭人伝の「一支国」:朝日新聞デジタル

長崎県プレスリリース

原の辻遺跡で国内初の遼東系銅釧(くしろ)(腕輪)が出土したことが判明 | 長崎県

原の辻遺跡で平成19年度に発掘されていた青銅製品が、東アジア的な視点での研究の結果、紀元1世紀頃の遼東系銅釧であることが判明しましたので、お知らせします。なお、遼東系銅釧が出土したのは、国内で初めての事例となります。

原の辻遺跡出土銅釧

鞍山羊草庄汉墓(これが中国表記)は遼寧省の遼東側、鞍山市立山区羊草庄村にある。

原の辻遺跡と羊草荘漢墓の地図

出土地は、「原の辻遺跡高元地区」

1.青銅製品の概要(図1)

  • 調査主体・年度 壱岐市教育委員会平成19年度調査
  • 大きさ 残存長4.169センチメートル、幅1.238センチメートル、端部での幅1.162センチメートル、厚さ2.52ミリメートル、残存重量3.741グラム
  • 形状 外面には幅1.5ミリメートル程度の凹線が4条みられる。破片で出土(全体の形態は不明)
  • 出土地 原の辻遺跡高元地区(現在、国指定特別史跡)遺物包含層(弥生時代中期から古墳時代前期にかけての遺物が含まれている層)(詳細な時期は不明)
  • 国の重要文化財に指定(平成25年6月19日指定)
  • 報告時の名称 「帯状円環形青銅製品」(壱岐市教育委員会特別史跡原の辻遺跡壱岐市文化財調査報告書第12集,2008年)

2.研究内容

  • 2015年に中国で遼寧省鞍山市に所在する羊草荘漢墓についての発掘調査報告書が刊行される。(遼寧省文物考古研究所編『羊草荘漢墓』文物出版社,2015年)
  • 羊草荘漢墓では67点の銅釧が報告されており(図3)、原の辻遺跡の青銅製品と比較したところ、形状・サイズがほぼ一致。羊草荘漢墓では、埋葬状態で確認されたことから、銅釧(腕輪)であると考えられている。原の辻遺跡出土品は遼東系銅釧であることが判明
  • 羊草荘漢墓では、銅釧とともに出土した遺物(土器や貨幣)から王莽新・後漢初頃(紀元1世紀)という年代が特定される。原の辻遺跡出土品の年代は弥生時代後期前葉頃であると特定
  • 当センター実施科学分析〈蛍光X線分析〉(図2)と中国側の分析結果の比較。銅―錫―鉛の青銅製品という点で原の辻遺跡と羊草荘漢墓例は定性的には一致

3.出土の意義

  • これまで、中国系文物は平壌周辺にあった楽浪郡を窓口として日本へ流入したものと考えられてきたが、同種の銅釧は楽浪郡域では出土していない。また、これまで、原の辻遺跡では遼東系土器も出土している。楽浪郡を経由していたかもしれないが、遼東郡(図4)との交流も想定。
  •  遼東系銅釧が日本列島の弥生時代遺跡で同定されたのは初めて。東北アジア全体でも類品が少ない資料であり、そのような稀少な資料が出土したことは、原の辻遺跡における対外交流の活発さや重層性を物語る。

 

興味深い。 

 

Liaoningさんと東京集団の分岐年代は5500年以上前とされた―遼寧省錦州市のY染色体ハプログループC1a1の由来はどこにある?

Liaoningさんの続報(コメント欄)です。

  • 11/19、港川人など付け加えつつ少し修正

  • 2018/4/3現在、Y-Fullの年代は5100年(95%の確率で7100年~3600年前の間)となっています。今後も年代値は修整が入ると思っておいたほうがいいでしょう。(タイトルも過去形にしてみました)

C1a1確定――遼寧省錦州市のY染色体ハプログループC1a1の由来はどこにある? - 知識探偵クエビコ

1、青海省德令哈市のC1-M8の情報について、中国の復旦大学は最初のSTRを再確認しました。結論はC1-M105のSNPの分析が間違えた。青海省德令哈市にC1-M8がありません。前回の3人はC2のM48です。

2、私のBamファイルをRay Banks先生にあげました。以下の英語内容はRay Banks先生のメール回答です。

I suspect the findings suggest it has been about 5,500 years or more since you last shared a common grandfather with the 4 Japanese men. This is based on your having the 27 mutations I listed as NEW in the attached spreadsheet.

I have created a new investigational subgroup for the tree consisting of your first five NEW mutations. https://isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpC.html If anyone other than your relative is found to share any of these, we can upgrade those mutations to a confirmed status. Your mutations begin with the name Z45460.

問題は2。( 1は、仕方ないでしょう)

メールを訳すと……

この発見は、あなたが最後に日本人4人と共通の祖父を共有して以来、約5,500年以上が経過していることを示唆していると思われます*1。 これは添付されたスプレッドシートにあなたの27個の突然変異が新しく記載されていることに基づいています。
私はあなたの最初の5つの新しい突然変異からなる木のための新しい研究サブグループを作成しました。 https://isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpC.html あなたの親戚以外の人がこれらのいずれかを共有することが判明した場合、それらの変異を確定状態にアップグレードすることができます。 あなたの突然変異はZ45460という名前で始まります。

というわけで、早速ISOGGまで更新されてます (11/17確認)。一気に変更だわ。

https://isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpC.html (一部抜粋)

    C1a1a   P121
     C1a1a1  C
TS9336
    
  C1a1a1a  CTS6678^, CTS10729, CTS11058, Z7054, Z7180, Z7196, Z7643, Z7650^, Z7968^, Z7972^
    
  C1a1a1b   Z1356, CTS7128/Z1357, Z4160, Z7162, Z7228, Z7231, Z7232, Z7234, Z7237, Z7856, Z7869, Z7870, Z7898, Z7899, Z7900, Z7901, Z7902, Z7903, Z7904, Z7986, Z7988, Z7989, Z7991
     C1a1a2~ Z45460, Z45461, Z45462, Z45463, Z45464

最後にあるC1a1a2~が現時点でのLiaoningさんのハプログループで、この影響で日本のC1a1集団の名前が一つ伸び、C1a1a1-CTS9336以下になった。

 

このCTS9336は、Y-Fullでも増えてます。

まだLiaoningさん(YF11244 CHN[CN-21])のところに"Analysis in progress"はあるけれど、こちらの解析もとりあえず順調に進んでるようです。

https://www.yfull.com/tree/C/ (11/17確認)

yfull_C分岐図の一部20171117

なお、Sungirの位置も変わり、C1a2側のV20の前に入った(各所の年代も微妙に修正されてる)。ただしISOGGにこちらの変更は入っていない。

 

つまり、Liaoningさんと日本の東京の4人は、約5,500年以上前に分岐している。(新しい時代に日本から移住したわけじゃない)

ただし、東京集団との間で増えた違いは、今のところCTS9336わずか一つ分でしかない。(分析が進むと増えるかもしれないが)

ここでやっぱり、日本側で東京以外のデータがないことが問題になってくる。*2

日本国内でも東京4人とは別系統の、Liaoningさんと近い系統だったりもっと古いC1a1がいる可能性はあるわけで、まだまだはっきりしたことは言えないわけだ。

実際、東京のみの4人(JPT-NAxxxxx)は、日本のC1a1すべてを代表できるほどの幅を持っていないでしょう。

f:id:digx:20171020023737p:plain

特に、南西に離れた離島・沖縄のC1a1は分析が出てこず、上の表にも入っていない。

 

ここでLiaoningさんの「約5,500年以上前」という数字が、結局7300年前の鬼界アカホヤ噴火の年代を突き抜けるほど古くないことも重要になってくる。

鬼界アカホヤ噴火

C1a1は、古い系統なのに明らかに変異が少なく、どうも1万年以下の年代のボトルネックを持ってることが大きな問題だった。そしてこの原因の有力候補が鬼界アカホヤ噴火だったわけだ。*3

ハプログループC系統図(旧表記)
図のC1が現C1a1に当たる*4The study of human Y chromosome variation through ancient DNA

 

そしてここで、鬼界アカホヤ噴火直撃を回避した、ボトルネックを突き抜けるほど古いC1a1が残ってる可能性があるのも、地理的にはまず沖縄方面(本島以外も重要)なのだ。*5

また、東に遠い地域も可能性はある。そもそも南九州以外は、完全に滅ぼされるほどの被害は受けていないのだ。火砕流に直撃された範囲にあった貝文土器文化(※縄文文化とは異なる集団で、ハプログループD以外の関与が想定できる)が不運すぎたわけで。

そしてここで、貝文土器文化の民が海を越える人々・海人でありそうなことも重要となる。

避難民が逃げられそうな場所がどこにあったがが問題だが、海人は遠くまで行ける手段を持っているわけだ。

 

(以下追記)

そしてこの問題は、港川人(DNA解析不能らしい)白保人骨ミトコンドリアだけ解析され、南方由来とされるM7aだった)など沖縄方面で出た古代人たちとも関係している。

港川人は「オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い」とされているが、これは(既出分岐図を見てもわかるとおり)C1bなど古いC1系統と関係する可能性を意味しているわけだ。

そしてこのC1a1系統は、縄文時代から日本に存続していても多数派ではないため、縄文人側の特徴とそれほど似ている必要がないのだ。

*1:suspectとsuggestが二重の慎重な表現。

*2:この問題は前回予測していたこと。そして実は、この程度の古さの分析が出てくることも、ほぼ予測通り・期待通り(鮮卑と関係するには、少なくとも1700年程度は離れている必要があった)。若干古すぎるように見えるかも知れないが、日本国内の集団だけでもそれほど変わらない年代幅はあると推測されていた。

*3:他の原因でボトルネックが発生した可能性もある。しかしそれでも、Liaoningさんが以前から想定されていたボトルネックを突き抜ける古さを持っていなかったという事実は変わらない。

*4:C6が現C1a2、C3は現C2で、残りはすべて現C1b系統。

*5:ただし沖縄方面のC1a1も、後の時代に移住して繁栄した新しい集団という可能性はある。これは調べてみればはっきりすること。