知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

日本の人口の変遷 ――論文を読む前に知るべき島根県の特殊さ――

島根県を扱ってる日本の全染色体分析論文を紹介したい。

しかしその前に、論文には言及がないが、日本の人口の変遷やっておきたい。これはどうしても必要な知識なのだ。

中国の人口の変遷はやったわけで、日本の人口変遷もやっておく必要性を感じたわけです。

 

なお、問題の論文「The fine-scale genetic structure and evolution of the Japanese population」からは、島根県だけでなく、沖縄や西日本*1の僻地の特殊性も見えてくる。

問題の論文は、そそられる図がたくさんあって、内容も豊富。

だが、結論に飛びつくのは早い。

実はこの論文の島根県は、人口変遷から見て日本でも特殊なのだ。

日本の人口の変遷

最初に、なぜ遺伝学の話をするために人口の問題をやる必要があるのか、を書こう。

現代の遺伝データは、現代に至るまでのすべての人口移動・増減変動の影響を受けている。そして(近)現代は過去と比べ、人口も人口移動量(出入り)も文字通りに桁違いで多い

だから、人口変化に関わる新しい(大きな)出来事は残らず考慮が必要となる。

流入増加イメージ
人が流入して単純に倍に増えたとしたら、元いた人々の割合は半減する。

そしてこのとき住民の全染色体の構成を見れば、いろいろな全要素の平均だから*2おおよそは人口変化に比例した変化量になると考えられる。だからこの場合、元集団の要素はだいたい半減するだろう。*3

 

もちろん、実際の人口の変化はもっとずっと複雑だ。元の住民と新しい住民の自然増減があり、一部勢力だけが繁栄したり衰退したりもする。もちろん異文化交流もあって混血したり、争いもある。特定地域・特定集団で自然災害や疫病も起こる。後でまた移住したりもある。結果的に、ずっと大きく偏って増えたり減ったりするわけだ。

だから分析には、各地の地方史の、特に新しい時代の現代史・近代史を知ることが必要となる。昔の状況や変化は、常に新しい人口変化で薄められ打ち消される傾向にあるわけだから。*4

たとえば、お金を払って染色体を調べる企業などでは、今住んでる場所でなく先祖のいた場所を質問することで、現代の人口移動の影響を何代か分取り除いた分析を出す。

また学術的な公式データでも、移民を調べた分析では当然考慮されてることでもある。

歴史的な人口変遷の追求は、日本を考えても世界の他の国を考えても必要なのだ。

しかしこの作業をクソ真面目にやると、普通はまず知らない各地の細かい地方史や、農業技術などの変遷・自然災害・病気・飢饉など、いろいろな社会的・地域的事情を調べる必要があったり、結構な手間が掛かる。

ところで、疫病に関しては巡り合わせの問題であり、いつでも移住者側に有利とは限らない。

もちろん、栄養状況・衛生と医学の知識(現代人ほど高度な知識でなくても良い)は病気になったときでも生存に関係するから、そこでは文明が意味を持つだろう。

しかし、現代の文明人であっても熱帯地域の疫病は怖ろしい

現地人が現地の疫病を経験済みで既にある程度は適応してることを考えると、古い時代の文明人(絶対的な知識はまだない)と現地人との間で、生存率で有利になるほどの文明差はないのではないか? *5

『銃・病原菌・鉄』にツッコんだ話ですよ。

異なる集団の最初の出会いには、この疫病なども関係し、「移住者の持ち込む疫病」VS「土着の疫病」のような状況も起こる。

さらに、いくつかの地域からの別々の渡来民(あるいは交易者)が、お互いの疫病に無防備、という状況もあり得る。

日本の海人を調べていても、「岸からちょっと離れた小島」を拠点として好むという事情に気がつくのだが、そこにも(交易の都合だけではなくて)「不意に持ち込まれる疫病対策」の側面があるように思う。

船によって外部から危険な疫病が持ち込まれてしまったとき、小島の住民は皆殺しにされるかも知れないが、本土など他の地域まで影響が及ばず、自然とそこで感染が止まってくれる、ということになるわけだ。

これも――「外部と交易し、未知の疫病の危険に晒され続けていた海人の体得した知恵」――なのではないだろうか?

魏志倭人伝に「持衰」の風習も記録されていたが、あれは理屈としては「炭鉱のカナリア」か)

 

ここで、問題は疫病だけではない

さらに「元の住民にとっては経験済みで(あるいは伝承などがあって)ある程度は対応できる、あらゆる土着の災害」も起こるのだ。

つまりこのとき、世界のどの地域でも、元の住民*6の方が災害などの地域事情(ちょっとした悪天候・季節変化の知識まで含む)に通じているため、いつでもある程度の「地元アドバンテージ」はあったわけだ。

そしてその「地元アドバンテージ」がないため、移住者側が決定的に不利となる場合もあり得る。

ここで日本も、非常に怖ろしい大規模自然災害がてんこ盛りだったわけだ。そしてその中には、津波地震・噴火のように滅多に起こらず現代文明でも認識と対処の難しい災害も含まれていた。これらの災害はむしろ、進んだ文明で被害は大きくなるのだ。(「津波の来る場所に原発を作るアホな原始人」は存在しないわけで)

しかしそんな災害でも、古くからの住民は、伝承やタブーがあって避けていたり、安全な地域にいたことで結果的に生き残り続けていたことはあり得るのだ。もしある場所に住民が1000年*7住み続けていたならば、そこは結果的・必然的に1000年間はひどい災害が起こらなかった安全な実績を持つ地域」なのだから。

これは論文もある「東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究*8。さらにおまけ「日本の神様が教える安心・安全な土地(LIFULL HOME'S PRESS)*9

これらは私の先祖とも無縁ではない。富士貞観噴火の現場だけじゃなく、曽根丘陵*10上の大塚集落*11とも関係してくる話だ。低地である甲府盆地の特に西側(巨摩(コマ)郡など)は、まさに高麗移民が入ったとされる地域*12だが、実はそこは日本住血吸虫症の流行地なのだ。対して丘の上は(洪水もない)安全地帯*13。さらにこの日本住血吸虫及び宿主ミヤイリガイは、分布があまりに局地的*14で、(いつの時代から病気が存在するかは不明だが)おそらく大元は中国から*15持ち込まれている。(日本住血吸虫とミヤイリガイの起源を問う遺伝学の論文ももちろん*16あります(英文だがリンク))

 

ここで、人口の変化が大切なわけだから、日本の昔の地域別人口変動グラフ(200-1846)と、都道府県(一部抜粋*17)の人口変動グラフ(1873-。だいたい明治以降)+通しの全国総計人口表も見てもらおう。*18

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先に全国総計人口表*20

ある程度まとめた倍率も書くと、200年から900年は約11倍、1150年から1721年で約4.6倍。しかしその後江戸時代に起きたのが享保の大飢饉(1732)などの江戸三大飢饉(被害地域に偏りあり)*21。そして明治以降(1873-2015)も約3.8倍ある。

トータルすると、日本の総人口は、中世から現代(1150-2015)だと約18.6倍、古代の200年から2015年までで約210倍に増えている

200年より前の古い状況はほとんど残らなくても不思議ではない増え方(210倍の単純計算で0.5%以下でもおかしくない)。しかし実際には、古いY染色体ハプログループ集団なども同じように増加することで現在まで大量に残ってるわけだ。

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データ元は過去の都道府県の人口一覧 - Wikipedia*22 (凡例の都道府県名の後の数字は、左が1873年の人口順位*23で右が2015年順位*24

※戦後の海外からの引き揚げについて説明しておく。軍人353万(グラフは349万の推計を使ってる)・軍人以外の海外在住者300万人とされ、1949年の時点で合計624万人が帰った(それ以後も規模は小さいが帰還が続いた)とされる。実は戦後の日本の人口増加はこれらも含むものだった。*25

ただし日本の地方の現状はあって、人口があまり増えないまま、今は減少してる地域もある。今度は同じデータから、全都道府県の人口増減率(1945以降、5年ごとの国勢調査+前述の修整も入る)だ。

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なお、2000年(平成12年)以降は日本政府公式の1年ごとの人口推計値増減表も存在する。(e-stat:人口推計 / 長期時系列データ(平成12年~27年)*26

 

ここで重要な事実がある。

論文の島根県こそが、あまり人口が増えないで減った代表例なのだ。

今度は、2015年人口が該当年から何倍になったかのワーストランキング。

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明治初頭から見て島根県の人口増加は日本でワーストなのだ。

島根県の2015年人口は694352人2017年推計値はさらに減って684668人*27で、1873年明治6年)の推計値*28630437人から一割ほどしか増えていない。そして2015年人口を超えたのは1893年明治26年)のことで、戦争中(1944年)は一時減ったが1945年は増えた側となり、1955年の929066人(1873年の1.47倍)までは普通に人口増加していた。

しかしそれ以降は……

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島根県は、1955年から2015年までの60年間で人口の約四分の一を失っている(こちらもワースト)

なお、現在(2017年の最新推計値でも)人口減少が最もひどく、既に同じく四分の一ぐらいの人口比率を失っているのが秋田県(1955年1348871人から2015年1023119人)だ*29

ちなみに、日本の地域別将来推計人口によれば、秋田県の人口は2045年(30年後)で41.2%減と、さらに減少が加速するという。(人口減少の加速は全国的だが)

これもf:id:digx:20180405141326p:plain表を作ってみた

次に、人口が最大となった年と2015年で減少率(マイナス表記)を計算した値も比べよう。*30

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左の減少率表(当然島根がワーストで、東北・四国は宮城・香川を除き登場。関東や中部はない*31を見てわかるとおり、人口減少県では前表の1955年前後で最大人口だった県が非常に多い。――実はこの後が日本の高度経済成長(期間は1954-1973とされる)だが、つまり人口減少県の多くは日本の経済成長の時期に人口を吸い取られてるのだ。

そして右表は(元は全く同じデータで)最大人口増加の少なかった順に並び替えた物だが、結局この基準でもワーストは島根県だ。ただし石川県のように、あまり人口は増えなかったが減った割合も少ない人口変化の小さな県も登場し、左表と意味合いは異なっている。

今度は東北が一つもない。しかし北陸四県と山陰の島根鳥取は8位までにすべて登場日本海側だらけのランキング*32。そして四国も勢揃いし、9位以上はこの三地方で独占。13位愛媛(ここも論文にある)だけ少々外れるが、間の県も瀬戸内海周辺で地域性は似る。人口変化の大小に強い地域傾向があることは明らか、だろう。

この右表の上位県(山陰・北陸・四国など)はいずれも、明治以降の人口変化が小さいため、江戸時代(以前)の状況(遺伝・風習など)がまあまあ良く残っている、と考えられる。*33

もちろん、日本全国どこでももっと細かい地域を追求すれば、離島・山の中・半島能登鵜祭気多大社)・紀伊熊野・日前國懸・高野山・吉野・そして伊勢志摩)・伊豆(伊豆諸島も含め賀茂郡)など多数)のように独立性の高い地域もあって、それぞれに古い状況の残る地域はあるだろう。

 

この「明治以降の人口変化の影響が少ないと考えられるリスト」に、論文の島根県(1位)と愛媛県(13位)があり逆に東北がないという状況は、考慮されるべきだと思うわけだ。そしてやはり、「日本海側の特に北陸(越国を調べていたら」という思いも残る。

(なお沖縄の場合は、人口増加があっても島であるため独立性が高く特徴的になると考えられる。……残る問題は福岡だが、西に遠いため地域性が異なるか

 

というところで、次回以降はついに論文に入る。

 

*1:ただし、島根以外の日本海側が調べられていなかったりデータの地域に偏りはある。(そして人口変遷を知ると、何故この偏りが問題となるかがわかる)

*2:もちろん実際には、二つの集団が元からある程度似ていたりして、要素を部分的に見れば同じ=違う物として解析されない場合もあり得る。――これは、要素を部分的にしか調べてない古い論文(本)を見る場合の注意点でもある。後に詳細に分析することで結論の変わる(既に判断が変わってる)場合は当然ある。

*3:しかしこのとき、Y染色体ミトコンドリアのような個別要素を部分的に見る場合、性別の影響も出てくる。これは結婚制度・相続制度も関係するが、さらにそれぞれに要求され好まれる遺伝的特徴(能力や見た目)も影響してくる。このとき、特定の系統が重視され選択され、偏って残ることになるだろう。――性淘汰はいろいろな動物で、鹿の角だとか孔雀の羽根のように、生存における有利不利を超越するほど極端に表れるもの。(なお、出産時の有利不利のように性別で偏って生存数に直結する要素もある)

*4:このとき、元いた人口に対してどのぐらいの人口移動があって、結果的にその前後でどのぐらいの比率が変化したか、その変動率が大きいと影響は大きくなる。またボトルネックも重要で、減った状態から増えればそれだけ変化の割合は大きくなる。

*5:対応の難しい熱帯性疫病のような強力な疫病の存在を考えると、本来は熱帯地域の人間の方が疫病に強い(その病が相手を殺すため、異文化集団との出会いにおいて有利な側に立つ)傾向だったのかもしれない。

*6:ちょっと古めの移住者も含む。何世代か住んでいれば、それなりに地域事情を学ぶことが出来る。

*7:おわかりと思いますが、本当は1000年ぐらいでは短すぎる。

*8:ただし、実は斐伊川は昔それほど暴れ川じゃなかった、という研究(島根ネタだからまた言及する)が別にあるため、このスサノオと熊野神社を重視する論文は再検討が必要。

*9:どこの地方でも、古くから災害で破壊されず続いてる神社・寺などは安全の証明。ただし、立て直しと引っ越しに注意。また、意図的に危険な場所に建てられる神社もある。

*10:古い遺跡が多く、古い馬の骨(甲斐の黒駒伝承もある)も出土してる。

*11:赤烏元年(238)呉鏡出土(卑弥呼の時代で魏でなく呉の側の鏡)。ちなみに神社は昔は熊野三社が揃っていた(この神社は古い「はじめタイプ」コマイヌがあることで狛犬マニアの方々にも有名。昔話まである)。

*12:ただし同時に、武蔵国高麗(コマ)郡へ出ていった記録もある。

*13:ただし盆地と丘の境目は曽根丘陵断層帯という活断層帯。

*14:ちなみに、他の流行地の中に福山市神辺町片山(古くは吉備穴国と呼ばれた地域)があるが、ここは西へ芦田川を少し遡ったところに蘇民将来伝承疫隈国社こと素盞嗚神社があるところ。(スサノオ牛頭天王の疫病を防ぐ祇園信仰の話もあるわけで、興味深いでしょう?)

*15:どこか経由してる可能性はある。

*16:どんな生き物にも研究者はいる。そして病気が絡むと切実度が高くなる。

*17:今回の論文の地域も意図的に選択。

*18:どれもwikipediaデータなどを参照(日本政府の公式統計なども見たが基本的にはwikiの判断に従う)。全国総計人口も10で割って同じ折れ線グラフに書き込んだ。

*19:ただし、統計のない古代の人口の予測値は、未発見の遺跡が常にあるため、いつでも予測値より多めの人口がいると考えるべき。――予測計算するなら、「未発見遺跡」とさらに「失われた(あるいは発見不可能な)住処遺跡」をプラスアルファとして付け加える必要がある。

*20:データは前後の図のつなぎ合わせだが、2045年の数値は日本の地域別将来推計人口のもの。増加率は5年ごとに換算(比較のため国勢調査に合わせた)。

*21:疫病もあるが、コレラの流行の影響だとかはあまり見えない。(人口問題を考える場合、死なないで自然治癒可能な体力=栄養(結局は食物)の影響が大きいか。――たとえ一時的に人口が減っても、人口を支える食物生産があれば回復は可能、と言えるところ)

*22:データ注釈。1945年は沖縄・奄美群島推定値。また人口増減を見るためアメリカ占領下の沖縄・奄美などの人口も全国に加わえている(奄美は鹿児島県にも加算)。さらに1944年・1945年は全国人口に軍人も加えてる(ウィキペディアの注釈を読むと、1940年は軍人も含まれてるが両年は含まれていないとあった)。

*23:1873年のトップは新潟(実は重要な日本海側の問題)――なお、1920年以前は県境変化を考慮するため「1920(大正9)年10月1日の庁府県境域による庁府県別人口」(同じページの下のほうにある)を使ってる。

*24:グラフに10位静岡まではあり、載ってない11位は茨城。

*25:少し早すぎる1945年(※11月1日付の統計)で増えてる地域(長野県など)もあるが、これは疎開の影響が大きいか。

*26:しかし、この表ぐらい長いスパンで一覧したほうが、人口増減の時代変化を把握しやすいはず。

*27:2015年など5年おきの統計は国勢調査による公式人口。それ以外の年は、人口に関係する各種届け出から計算された「推計値」。

*28:現在の島根県にあたる領域の人口を合計して算出。(島根県領域の変化詳細は島根県#近・現代の年表を参照のこと)

*29:島根県と並ぶ戦前からの減少県で、1960年からはずっとワースト。――東北の太平洋側では2011年東日本大震災の影響があった(特に福島)のに、それでもなお5年ごとの人口増減率だと日本海側の秋田がワーストだった。

*30:「最大年1873年対比率」は、人口最大年の人口が1873年から何倍になっているかを計算した物。――なお、ある程度増えてから近年急激に減り始めた県もある。(青森県の減少は1985年から、福島県は1995年から)

*31:ただし16位は右表にもある新潟(-7.4%)。

*32:なお、東北日本海側も山形17位2.120・秋田18位2.324と東北の中では上位。

*33:ただし人口減少(移住)も、産業構造の変化や炭坑のような鉱山関係など、業種が廃れると移住か転職が必要となるわけで、特定集団に偏る場合はある。