知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

類人猿グレコピテクスはヒトなのか?

類人猿グレコピテクス・フレイベルギ(Graecopithecus freybergi)は、ヒトとチンパンジーが分かれた直後の、最初の人類(ヒト)ではないのか、というニュース。

記事ではグラエコピテクス・フレイベルギ、となってるが、Graecoグレコローマンのグレコでギリシャを意味するから、日本ではたぶんグレコピテクス表記(意味は「ギリシャのサル」)だろう。

ニックネームとして、「ギリシャの人」という意味のエル・グレコこの呼び名の画家がいる。本名じゃないが)と付けてるとか。だからグラエコとするとシャレが通じない。

 

論文二つ。

最初は骨自体についての話。歯の付いた下あご、だけ。

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これだけ、って証拠が弱いんじゃないか/その歯の特徴はヒト限定条件なのか(部位の特徴がいろいろな種で偶然(あるいは原因があって)一致することはある)、というのは、事情にあんまり詳しくなくても感じるんじゃないだろうか?

後でニュース記事にあった他の学者のコメントを持ってくるが、「そこまで言える証拠ではない」というものが多い。注目すべき類人猿としては認めていたり完全否定ではない場合でも、期待感は高くない。ただし、問題提起の意味はある。

 

後のほうは、どういう場所で出たか、年代決定や環境推測の話。結果として、約720万年前という数字を出している。

ここは年代決定できる地層だったようだ。――南アフリカの洞窟の骨のように、年代決定できる適当な要素がない場合もある。

 

ここで、他の化石証拠を否定するような論文ではないことははっきり言っておこう。

たとえこれらの論文の主張が全面的に正しいとしても、アフリカを舞台とした人類の進化を否定するような話ではない。この一件だけなら、進化の一局面に関係するという程度だろう。

もちろん、これをきっかけに別の重大な新証拠が発見される可能性はある。

調査費用もかかるし、考古学者だって結果を出したいから、結果の出そうな実績ある場所ばかりが調べられたり、望ましくない理由で調査地域を限定されてしまっている可能性はあるんです。

掘りたい場所をいつも掘れるわけではないから、掘る口実があることは良いことだ

 

それに、グレコピテクスが本当に重要な種だったとしても、証拠が少なすぎて、分布を限定出来るような状況でもない。他の場所にもいたかも知れない。不在証明は出来てない。

ただし、現実にアジアにも類人猿(オランウータン)はいたり、アフリカ以外の場所(中間地点の中近東やインド含む)で類人猿の進化する局面は確実にあっただろう。

ギリシャでも、直接人類に繋がる系統かどうかは別問題として、ある程度進化した類人猿の系統がいた可能性ならばある。進化した場所がギリシャだとか南ヨーロッパとは限らないが。

現時点で類人猿の問題の部分がどんな感じでまとめられてたか(ルーシーアルディ(ピテクス)も登場)、なぜ特徴が一致するだけでは系統が繋がってると言えないのか、次回書きます。(この後のニュースコメントにも出てくる)

 

英語のニュース記事もいろいろ読んだ。

とりあえずニュース記事のほうが、同じ英語でも二つまとめてやさしく説明してくれてたりする。ときどき問題のある表現もあるが。

まずはグーグルニュース一覧。

Europe was the birthplace of mankind,...

ノースサイドストーリーという、イヴ・コパン(ルーシーを発見した国際アファール調査隊の共同責任者の一人)イーストサイドストーリーを踏まえた、しゃれた表現もしてるようだ。しかし若い人だと、さらに大元のウエストサイドストーリーを知らないかも。

どれを読むべきか、となると、タイトルのニュアンスに気をつけると効率的に読み飛ばせる。断言調は、発表を鵜呑みにしてるだけだったり誤解してる可能性があるから読まなくていい。

 

学者コメントの入った記事もあった。いくつか紹介しよう。

 

ワシントンポスト

  • アリゾナ州立大学の古生物学者Jay Kelleyは、この論文の支持者はほとんどいないと言ってる。初期のヒト亜族(原文homininただしこれはHomininiにチンパンジーを含まなかった時代の分類表現のようだ*1)の歯でこの特徴を持たない物もいて、この特徴は複数の種で同時に進化したのではないかと答える。
  • スミソニアン人類起源プログラムの古人類学者Richard Pottsは、グレコピテクスの骨を分析したことを評価する。そしてヨーロッパにおける類人猿(原文ape)の進化は1200万年~1000万年頃に最盛期を迎えたと述べ、歯がヒト(hominin)の証拠となるかについては「あまり説得力がない」とする。
  • ニューヨーク大学の古人類学教授Susan C. Antónも否定的。
  • 論文筆者の一人、トロント大学の古生物学者David R. Begunも、二足歩行を証明するために足の骨が欲しいと言ってる。また探しに行くそうです。歯が一本あったなら他の部分もあるはず、みたいなことも言ってる。

 

ヒストリーでは、David R. Begun自身が歯の分析について、論文よりは易しく説明してる。その後の人類のアフリカでの進化を否定する話ではない、ということも言ってる。

  • ただここでも、ジョージ・ワシントン大学のBernard Woodが、(Jay Kelleyと同様に、)別種の類人猿がそのような歯を持つ可能性は完全にあると答えている。

 

sciencenewsは、 説明の後、アルディピテクス関係者のハイレ・セラシエ(Haile-Selassie)のコメントを載せる。

  • ハイレ・セラシエエチオピア*2だがクリーブランド自然史博物館にいるそうだ)は、初期の類人猿(原文hominid*3)の中に入るかも問題だと答える。
  • イギリスのMatthew Skinnerは、グレコピテクスの分類は未解決だと同調し、ヨーロッパでも人類の起源は探されるべきだと答える。

 

newscientistは内容説明の後で、学者のコメントをたくさん集めてた(一部重複)。やっぱり認めるコメントは少ないが、重要な指摘もある。一部抜粋。

  • バルセロナのカタロニア古生物学研究所のDavid Albaは、グレコピテクスが普通の類人猿でないことは認める。しかしやはり歯だけでヒト亜族(hominin)だとは確信が持てないと言う。
  • ティム・ホワイト(Tim White。ルーシーにもアルディピテクスにも関わる)の否定意見もある。
  • ウィスコンシン・マディソン大学のJohn Hawksは、歯の特徴がサヘラントロプスやアルディピテクスでも論拠に使われたことを指摘し、これらの特徴はヒトの証拠にはならないのではないか、とする。――つまり、グレコピテクスの歯を否定することは、別の類人猿のヒト議論にも影響するわけだ。
  • カリフォルニア大学のNathan Youngは、これは中新世のサルがちゃんと評価されていなかったパターンにあたるとし、それが人類進化の文脈に置かれたのだとする。"Some solid science in the new studies risks being lost in a broader argument over whether or not Graecopithecus is a hominin"というのは、John Hawksの指摘と同様に、この論文が間違ってる場合でも他の類人猿の議論に影響が出てしまうと言ってるんだろう。

このぐらいでいいか。(訳が間違ってたらあしからず)

 

次回は「類人猿はどこからヒトなのか?」です。

このニュースの時点で、この問題がどうなってたかを説明しないとニュースの意味がわからない。サヘラントロプスとか説明が必要だし。

そしてここには、「ヒト」も含めた用語定義・分類定義の問題が絡んでくる。

みなさん、「ヒト」と書いてあるとき、どうイメージしますか? どんな定義を思い浮かべますか?

*1:この定義の変更による混乱はまとめざるを得ない。次回。

*2:実はラスタファリ皇帝と同名。

*3:これもhomininと同様に使用された定義で悩む単語。リンク先のオーストラリア博物館がNew definitions(The most commonly used recent definitions)とかPrevious definitionsと書いてることに注意。やっぱりまとめざるを得ない。

白保竿根田原洞穴遺跡

先島諸島石垣島白保竿根田原(しらほ・さおねたばる*1)洞穴遺跡wiki遺跡報告検索*2のニュースには反応しておかなければならないでしょう。

やはりこのニュースは、地元の琉球新報などが詳しく、重点の違う記事が複数あった。

一番最初は、まとめ的な、「世界的に見ても最大級*3旧石器時代遺跡」および「国内初の旧石器時代の墓地」という記事。

翌日、体格や風葬について詳しく書いた記事が出た。165cmってでかいよ。ちなみに港川人は、男で155cmぐらい。

ここに、歯や耳の話もある。「男性の頭骨からは日常的な冷水刺激によるとされる外耳道骨腫が確認できた。長年、潜り漁をしていたのではないか」など。海の人だ。

なお読売に、「骨組成の分析結果などからは、その後の時代の人々と比べると、海産物を食べた量が少なかったとみられている。」と書いてあった。

琉球新報は、さらに次の日も記事を出してる。

日本で最古って2万7千年前じゃなかったはずと思ってたら、「直接測定として」という限定が付いていた。

 白保遺跡は全身骨格の発見、人骨の古さ、数の多さ、保存のよさなどで驚くべき成果を上げてきた。骨にコラーゲンが残っていたことから、骨から直接、放射性炭素法による年代測定ができ、DNA分析も可能になった。
 日本最古の人骨とされる山下洞人や港川人などが周囲の地層や遺物からの間接的年代測定であることとは決定的に違う。その結果「白保4号人骨」は直接測定として日本最古の約2万7000年前のものと分かった。

  • この引用文中の山下洞人は、同時に出土した炭化物を測定して3万2千年前(較正年代だと3万6500年前)という数字が出ており、これが間接的な測定での日本最古の記録ということになる。なお港川人は1万8千年前(較正年代で2万年前)。*4

 

今後、白保人骨と港川人骨の間に、身長以外にどんな違いがあるのか、それははっきりした違いか個体差の範囲か、そして系統上の連続性がどの程度考えられるのか、が問題になるでしょう。

この先島諸島は、港川人の沖縄本島とは海を隔て距離的にかなり離れていて、年代も5000年以上違っており、多少違う系統だった可能性はある。

先島諸島沖縄本島にやってくる人々の元を考えると、中国大陸側の広い範囲の集団がいて、フィリピンから海を渡り台湾を経由してくる集団もあり得て、そこでの交流関係も問題となり、いろいろな可能性があるわけだ。*5

 

ここで、遺跡報告などの(つまり世間的には既出の)情報も書いておこう。

  • 白保人骨は5体のミトコンドリアが分析できており報告書第65集第3章第4節10)、そのハプログループは、M7aが3体/B4が1体/R以下の何か(分析不能)が1体、とのこと。

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    • M7aは、現在の分布がほぼ日本限定(後は韓国。台湾では見つからない)で、特に沖縄に多い(約20%*6)。縄文人にもいるため、日本の基層集団ではないかと書かれている。また、M7bやM7cが中国南部から東南アジア島嶼部にいることから、M7aも大陸南部で誕生したと推定されている(Kivisild et al. 2002)ともある。
    • B4も中国南部から東南アジアを起源とする。(さらに東南アジア島嶼部からオセアニア及びアメリカ大陸に拡がり、オーストロネシア人及びアメリカ先住民の系統となっている)
    • Rはこれ以上詳しいことがわからなかったが、これも東南アジアなど南方を起源とする事は「間違いない」と断言されていた。(強気な表現だ)
    • まとめると、「どの系統も中国南部や東南アジアから」(「地理的な位置関係を考えれば不思議ではない」)ということになる。ただし、M7aが(2万年以上前の)先島諸島で多く見つかるのに台湾で見つからないことは「解釈が難しい」とあるが。(過去はいたが何らかの原因で滅んだ、とするには、古い遺跡から存在証拠が出てきて欲しいだろう。地域的には、マラリアのような熱帯の疫病の影響もあり得るところだ)
  • 港川人と近いとされるのは(以前も書いたが)、オーストラリアやニューギニアの先住民だ。結びつくルートはいろいろあり得るが、港川人の祖先も少なくとも中国東南部は通過しているだろう。*7

 

そしてこれは、以前書いた、先島諸島を経由しない沖縄対岸との直接航海ルートだとか、沖縄渡来ルートの問題とも関わってくる。先島諸島組と沖縄本島組が別ルートだったなら、それだけ系統も離れる可能性が高くなるだろう。

ただし、別ルートでも多少近い系統となる可能性はある。台湾は氷河期の海面低下で大陸と繋がっているため、どちらのルートの集団も、結局は台湾を含む中国東南部経由で来たならば、ある程度共通した(先祖だとかが交流関係を持つ)集団の可能性があるわけだ。どちらにしろ、海を渡る能力という共通点を持った集団でもある。

また、先島諸島へも、ピンポイントで台湾経由(台湾原住民と関係性を持つ)とは決めつけられない。もう少し北の大陸などから、台湾原住民とは別集団、という可能性もある。

 

というところで、次の話。

3万年前の航海 徹底再現プロジェクト(公式)

去年の航海の詳細レポートもある

今年は竹いかだ、だそうで。

自分も、外洋航海の場合、船にある程度の耐久性はあるべきだと思います。

 

参考に、関野吉晴さんの航海の話を見つけたので貼っておきましょう。

この連載の3回目から10回目まで、大部分が「海のグレートジャーニー」。

インドネシアスラウェシ島から、フィリピン、台湾を経由して、(与那国は経由せず)西表島、最後は石垣島まで。

航海において、制限の付け方は違えど、同じように海流や風に悩まされてます。

「時期を考え、天気や海流や風を見て、計画的に航海しなければ、海を渡れない」というのが、共通解であるようだ。

 

ところで……

彼らは、たぶん島をひとつかふたつ移動するために、幾世代もの時間をかけていたはずだ。食料が豊富で航海技術が発達していたとしても、島にたどり着けるとは限らない。今とは違って地図がない。島がどこにあるのかも分からなかったのだから。

これ読んで、「渡り鳥の後を追いかけていけば、そこに島がある」みたいな、昔の人の渡りの知恵があったのを思い出した。

ところが、どこで何を読んだ知識なのか思い出せず、元が見つけられない。

 

*1:石垣市に寄れば、竿根田原の読みは「そねたばる」が正しいそうな。

*2:まだ下の記事の最新報告は出てなかった。

*3:記事タイトルの「世界最大」だと意味が違ってしまうよ。

*4:これらの較正年代は、後で紹介する「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」サイトに書かれているもの。

*5:土人骨が、たまたま珍しいお客だとか極端な個性(病気などの特殊事情含む)の個体、なんて可能性もある。考古学は宿命的に、少ないサンプルの生む偏りの問題を避けられない。だからこそ、たくさんの骨が出た白保は素晴しいわけだが。

*6:なお、調査関係者のミトコンドリアが混入した可能性も警戒されていた。

*7:昔、港川人が縄文人と似ているのではないかとされていた頃(コトバンクにこの古い記述が残ってた)、広西の柳江人とも近いとされていたが、こちらの判断はどう変わったんでしょうね?

ニュースが溜まってた

どういう訳か、興味があったり関係あるニュースは、いくつも固まってやってくる。

いくつも溜まってしまったから、それをまとめて一気に片付けてしまおう。

 

まず、全部書き出しておく。

最初に、白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡のニュース。

これは詳しくやらないといかんでしょう。次に別記事でやります。

以前も触れた、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の続報にも関わるわけで。

 

沖縄では、時代の違うこんなニュースもあった。

沖縄県の北谷(ちゃたん)町伊平の平安山原(はんざんばる*1)B遺跡から出土した土器が、縄文晩期(約2500年前。今では弥生時代ともされる年代)に、東北地方の亀ケ岡文化の大洞A1式をモデルに(どうも)北陸や中部出身者が西日本で制作したものだった可能性がある、という。

日本列島を縦断する話だが、少なくとも弥生時代には南洋の貝が交易で北海道まで到達してるという話があった(以前ちょっと触れてる)。

このニュースの分析が正しいなら、日本海側経由ルートで逆方向に物も人も文化も移動していたのではないか、ということになる。

面白い動きだ。

 

弥生時代と言えばこんな淡路島のニュースもあった。

やっぱり淡路島は只者ではない。

 

もう一つ、興味あるニュースがあった。

今度は人類レベルの話だ。

どんな内容で、どう評価されてるのか、英文の二つの論文と何本ものニュースを読んでたら時間が掛かった。

これも一回まとめておきます。

 

しかし、なんでこういうニュースはまとめてやってくるんだ?

*1:どっちの地名も普通には読めないからニュースにふりがな付けて欲しいよねえ。