知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

白保竿根田原洞穴遺跡

先島諸島石垣島白保竿根田原(しらほ・さおねたばる*1)洞穴遺跡wiki遺跡報告検索*2のニュースには反応しておかなければならないでしょう。

やはりこのニュースは、地元の琉球新報などが詳しく、重点の違う記事が複数あった。

一番最初は、まとめ的な、「世界的に見ても最大級*3旧石器時代遺跡」および「国内初の旧石器時代の墓地」という記事。

翌日、体格や風葬について詳しく書いた記事が出た。165cmってでかいよ。ちなみに港川人は、男で155cmぐらい。

ここに、歯や耳の話もある。「男性の頭骨からは日常的な冷水刺激によるとされる外耳道骨腫が確認できた。長年、潜り漁をしていたのではないか」など。海の人だ。

なお読売に、「骨組成の分析結果などからは、その後の時代の人々と比べると、海産物を食べた量が少なかったとみられている。」と書いてあった。

琉球新報は、さらに次の日も記事を出してる。

日本で最古って2万7千年前じゃなかったはずと思ってたら、「直接測定として」という限定が付いていた。

 白保遺跡は全身骨格の発見、人骨の古さ、数の多さ、保存のよさなどで驚くべき成果を上げてきた。骨にコラーゲンが残っていたことから、骨から直接、放射性炭素法による年代測定ができ、DNA分析も可能になった。
 日本最古の人骨とされる山下洞人や港川人などが周囲の地層や遺物からの間接的年代測定であることとは決定的に違う。その結果「白保4号人骨」は直接測定として日本最古の約2万7000年前のものと分かった。

  • この引用文中の山下洞人は、同時に出土した炭化物を測定して3万2千年前(較正年代だと3万6500年前)という数字が出ており、これが間接的な測定での日本最古の記録ということになる。なお港川人は1万8千年前(較正年代で2万年前)。*4

 

今後、白保人骨と港川人骨の間に、身長以外にどんな違いがあるのか、それははっきりした違いか個体差の範囲か、そして系統上の連続性がどの程度考えられるのか、が問題になるでしょう。

この先島諸島は、港川人の沖縄本島とは海を隔て距離的にかなり離れていて、年代も5000年以上違っており、多少違う系統だった可能性はある。

先島諸島沖縄本島にやってくる人々の元を考えると、中国大陸側の広い範囲の集団がいて、フィリピンから海を渡り台湾を経由してくる集団もあり得て、そこでの交流関係も問題となり、いろいろな可能性があるわけだ。*5

 

ここで、遺跡報告などの(つまり世間的には既出の)情報も書いておこう。

  • 白保人骨は5体のミトコンドリアが分析できており報告書第65集第3章第4節10)、そのハプログループは、M7aが3体/B4が1体/R以下の何か(分析不能)が1体、とのこと。

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    • M7aは、現在の分布がほぼ日本限定(後は韓国。台湾では見つからない)で、特に沖縄に多い(約20%*6)。縄文人にもいるため、日本の基層集団ではないかと書かれている。また、M7bやM7cが中国南部から東南アジア島嶼部にいることから、M7aも大陸南部で誕生したと推定されている(Kivisild et al. 2002)ともある。
    • B4も中国南部から東南アジアを起源とする。(さらに東南アジア島嶼部からオセアニア及びアメリカ大陸に拡がり、オーストロネシア人及びアメリカ先住民の系統となっている)
    • Rはこれ以上詳しいことがわからなかったが、これも東南アジアなど南方を起源とする事は「間違いない」と断言されていた。(強気な表現だ)
    • まとめると、「どの系統も中国南部や東南アジアから」(「地理的な位置関係を考えれば不思議ではない」)ということになる。ただし、M7aが(2万年以上前の)先島諸島で多く見つかるのに台湾で見つからないことは「解釈が難しい」とあるが。(過去はいたが何らかの原因で滅んだ、とするには、古い遺跡から存在証拠が出てきて欲しいだろう。地域的には、マラリアのような熱帯の疫病の影響もあり得るところだ)
  • 港川人と近いとされるのは(以前も書いたが)、オーストラリアやニューギニアの先住民だ。結びつくルートはいろいろあり得るが、港川人の祖先も少なくとも中国東南部は通過しているだろう。*7

 

そしてこれは、以前書いた、先島諸島を経由しない沖縄対岸との直接航海ルートだとか、沖縄渡来ルートの問題とも関わってくる。先島諸島組と沖縄本島組が別ルートだったなら、それだけ系統も離れる可能性が高くなるだろう。

ただし、別ルートでも多少近い系統となる可能性はある。台湾は氷河期の海面低下で大陸と繋がっているため、どちらのルートの集団も、結局は台湾を含む中国東南部経由で来たならば、ある程度共通した(先祖だとかが交流関係を持つ)集団の可能性があるわけだ。どちらにしろ、海を渡る能力という共通点を持った集団でもある。

また、先島諸島へも、ピンポイントで台湾経由(台湾原住民と関係性を持つ)とは決めつけられない。もう少し北の大陸などから、台湾原住民とは別集団、という可能性もある。

 

というところで、次の話。

3万年前の航海 徹底再現プロジェクト(公式)

去年の航海の詳細レポートもある

今年は竹いかだ、だそうで。

自分も、外洋航海の場合、船にある程度の耐久性はあるべきだと思います。

 

参考に、関野吉晴さんの航海の話を見つけたので貼っておきましょう。

この連載の3回目から10回目まで、大部分が「海のグレートジャーニー」。

インドネシアスラウェシ島から、フィリピン、台湾を経由して、(与那国は経由せず)西表島、最後は石垣島まで。

航海において、制限の付け方は違えど、同じように海流や風に悩まされてます。

「時期を考え、天気や海流や風を見て、計画的に航海しなければ、海を渡れない」というのが、共通解であるようだ。

 

ところで……

彼らは、たぶん島をひとつかふたつ移動するために、幾世代もの時間をかけていたはずだ。食料が豊富で航海技術が発達していたとしても、島にたどり着けるとは限らない。今とは違って地図がない。島がどこにあるのかも分からなかったのだから。

これ読んで、「渡り鳥の後を追いかけていけば、そこに島がある」みたいな、昔の人の渡りの知恵があったのを思い出した。

ところが、どこで何を読んだ知識なのか思い出せず、元が見つけられない。

 

*1:石垣市に寄れば、竿根田原の読みは「そねたばる」が正しいそうな。

*2:まだ下の記事の最新報告は出てなかった。

*3:記事タイトルの「世界最大」だと意味が違ってしまうよ。

*4:これらの較正年代は、後で紹介する「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」サイトに書かれているもの。

*5:土人骨が、たまたま珍しいお客だとか極端な個性(病気などの特殊事情含む)の個体、なんて可能性もある。考古学は宿命的に、少ないサンプルの生む偏りの問題を避けられない。だからこそ、たくさんの骨が出た白保は素晴しいわけだが。

*6:なお、調査関係者のミトコンドリアが混入した可能性も警戒されていた。

*7:昔、港川人が縄文人と似ているのではないかとされていた頃(コトバンクにこの古い記述が残ってた)、広西の柳江人とも近いとされていたが、こちらの判断はどう変わったんでしょうね?