読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

「日本列島人形成の三段階渡来モデル」について

日本人 遺伝学 古代史 神話

前回の最後で、渡来民を二段階に分ける説が出てるという話をした。

f:id:digx:20161213170734g:plain

なお、今回の記事タイトルの三段階は、この新しい渡来民の二段階に、旧石器時代の最初の頃の渡来を一段階目に数えている。だから、合わせて三段階。 部分的には異なるが、大きな方向性はこの図の二段階説と同じだ。

 

斎藤研究室の主である斎藤成也先生は、この三段階説について詳しく書いている。

日本列島人の歴史 (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)
 

そこで、タイトル「日本列島人形成の三段階渡来モデル」を付けられた、該当部分などをしっかり確認したわけだ。

 

さらに。

このタイトルで検索したら、インタビュー記事も見つけた。(出雲の話もしてた)

このインタビュー記事には、一番最初に出した図を段階別で詳しくした、本にあった図もある。(説明がついてカラーのため、本の図よりわかりやすい。リンク先の記事で大きい画像が見られます)

f:id:digx:20161218171841j:plain

そして次の説明が付く。これは本だともっと長い説明があるところだが、概略は同じだ。

第一段階は約4万年前から約4000年前(旧石器時代縄文時代の大部分)です。第一波の渡来民がユーラシアのいろいろな地域から様々な年代に、日本列島の南部、中央部、北部の全体にやってきました。

第二段階は約4000年前から約3000年前(縄文時代末期)です。日本列島の中央部に第二の渡来民の波がきました。第二波の渡来民の子孫は、日本列島中央部の南側において、第一波渡来民の子孫と混血していったことを示します。一方、中央部の北側と北部および南部では第二波の影響は、ほとんどありません。

第三段階は、約3000年前から現在までです。本州の中央部に第三段階で水田稲作の技術をもたらした渡来人が列島に入っていって、日本列島の中央部(福岡県、瀬戸内海沿岸、近畿地方の中心部、東海地方、関東地方の中心部)に移動していったことを示します。この段階では人口が急速にふえていきました。中央部が二重になっているのは、日本海や太平洋の沿岸に第二段階の渡来人のDNAが残ったのではないかということを示しています。

前半の約3000年前~約1500年前(弥生時代古墳時代)は北部と南部および東北地方では、第三波の影響はありませんでした。

後半の約1500年前から現在(飛鳥時代以降)になると、それまで中央部の北にいた人が北海道に移動していったり、中央部の南にいた人が沖縄に移住したりしました。北海道の北部にはオホーツク人が渡来するなど時代とともに混血が進みました。

ただし、 初期の移住者を一段階目として考えたためもあってか、前回の論文とは少々意味が違っている。

まず、第一段階は「いろいろな地域から様々な年代に」(南から北まで全体に)となっており、4000年以上前*1ならば旧石器時代から縄文時代まで、全方向の移住者すべてを含む表現になっている。

つまりここには、旧石器時代に入ってきた縄文人だけじゃなく、5000年程度前でオーストロネシア移民がいたとしてもまとめて含んでしまうはずの、実は一段階どころではない、かなりあいまいな表現になっているわけだ。

そのため、段階分けの意味も前回の論文とは違う、ということになる。

次の二段階目が、年代は違って北九州のような限定もない(本にも具体的な場所は書いてない)が、位置づけとしては前回の論文の一段階目にあたると考えられる。

そしてこの二段階目の第二波渡来民集団は特別扱いされ、三段階目の描写の中でも「日本海や太平洋の沿岸に第二段階の渡来人のDNAが残った」とされている。

ここで、一段階目に含まれた集団は中央にあまり残っていないと考えているようだ。

ただし前回の論文も今年の新しいものであるため、矛盾してるように見える部分で別の可能性も考えているのかも知れない。そういえば、二段階目に北九州の限定がないから、その部分で北九州以外の集団(南九州とか)の可能性を見ていることになるか?

 

実は自分の場合は、昔から指摘されている要素でもある、神話などに含まれる南方要素から、出雲に南方の民族集団(漢民族以外であれば良く、オーストロネシア系も含む)が絡んでいる可能性も考えている。

それなら、韓国や漢民族とは遺伝的に違う傾向が出雲に出ても不思議じゃないわけだ。

 

この南方由来説(たとえばこれとかこれとか)も、考えられてるんですかねえ?

 

12/19追記

なお、本のほうにも「出雲神話」というタイトルの一節があり、そこに問題の出雲データへの言及がある。

さらにそこには、「高天原が実在の地の反映であったならば、それは九州北部だったかもしれません」だとか、天つ神が九州北部の人々だった可能性がある、といった、可能性を限定しない表現の推測も書かれていたりする。*2

これは結果的に、天津神は大陸勢力でなく、実は「天」(アマ)=「海」(アマ)なのではないか、という可能性を示す(断言はしていない)説になっている。

もちろん、自称天津神系統だが実際は古くからの土豪系統だった、などという場合は、いろいろな氏族であり得るところだ。(相手が有力者ならば、周囲も確信犯的に自称を認めてしまうことになる。たとえば源氏を名乗った徳川家のように。この場合、源氏側も名乗らせて味方にしておいて損はないわけだ)

 

ついでに。

この記事の少し前には、「前方後墳の多い国(地方)」という表(国の単位は律令国もある。ここでも一番が出雲(41)で、さらに二番が上野(36)となっており、直接的な関係とは限らないものの、これはD1b1aが多いと自分が予測した二つの国そのままだ。(ただし三番目は出羽国分割後の陸奥の国(34))

なおwikipediaの項目には大きさを考慮した前方後方墳の数が出ているが、ここで問題となる愛知県もD1b1aがそこそこ多い側に入っている。

古墳を作っていた側土師氏が出雲の野見宿禰の子孫だから、どこかで関係あるのか。ただし、土師氏は前方後円墳とも関係する。また出雲は四隅突出型墳丘墓もある地域であり、作り手側としては頼まれれば何でも作るものかもしれない。そして、作り手氏族の多さそのものが各種古墳文化を広め、特に小型古墳の数を増やすことはあり得そうだ。(このとき、特定の形の古墳を選んで作らせた側が問題)

 

*1:具体的な年代に関しては、どんな学者先生も最新の学術的情報や判断を反映させて修正していくところであるため、変化することもあるでしょう。

*2:この本、結構「かもしれない」など可能性表現が多く、わりと自由に推理なさっているようだ。