知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

オーストロネシア――熱帯動植物文化の探求・イネ

そろそろオーストロネシアの話に戻ろうかなと。思い出しておくと、前はこの記事(オーストロネシアの人々――謎のヌサンタオ編)だ。

文化的な話を中心に、遺伝学など他の学問も絡めてやります。

以前のイネやもっと以前のカジノキの話の続きとその他聖樹だとか、家畜化された動物も絡めて、北回帰線沿い地域と絡めて書こうと。

やった気がしてたが、繰り返し話はしてたがやってなかったイネのまとめ。

そして今後、以前書かなかった銅鼓・ドンソン文化・船棺・サーフィン文化などベトナム関係のまとめや、水人・家船・お歯黒などもやるぞ、と。大部分のテーマは次回以降。繋がりとまとまりを考えつつ適当に分ける。

 

実は、要注意の文化や集団や物は他にもあった。

そしてこれらは、歴史において軽視されがちな、北回帰線(tropic of cancer)より南、緯度で定義された熱帯(tropics)の話なのだ。

熱帯(tropics)

この南の熱帯地域は、決して文化不毛の地ではない。

そもそも各種栽培植物や家畜*1を調べると、イネタロイモサトイモ)・ヤムイモバナナここまで前回記事中央にあるイヌこれも記事にしたブタ(アジア系*2)・ニワトリなど、この中国やインドの一部も含めた広めの東南アジアあたりが起源である場合は非常に多い。

そしてこれは、氷河期ですら豊かな植物種が途切れなかった、問題の地域の自然環境の豊かさを考えれば、特に不思議なことではない。

しかしこの科学的には当然の事情にもかかわらず、これら栽培植物・家畜は、「高緯度地域が文化の中心」という伝統的な重たい偏見を裏切る文化現象になってるわけだ。

 

というわけで最初は、思い出しもまとめも兼ねて、またイネの話をしておこう。

これはつまり、次の図(遺伝学)の地域の話をやるということでもある。

オーストロネシア人起源地図
Resolving the ancestry of Austronesian-speaking populations | SpringerLink 2016年

イネこそが、このオーストロネシア人起源地図(&タイ・カダイ語族)との関連性が最も高いらしき話。ただし時代を遡るためオーストロネシア人自体の段階はあまり出てこず、タイカダイと分かれる以前の、オーストロアジア語族など複数語族の祖先集団と関わるお話になる。

 

まず、日本語版のイネの栽培化の起源論文だ。場所は明記されている。

イネの栽培化の起源がゲノムの全域における変異比較解析により判明した-倉田のり・久保貴彦(国立遺伝学研究所 系統生物研究センター植物遺伝研究室) 2012年」。

イネの栽培化は中国の珠江中流域ではじまり,O. rufipogonのかぎられた集団からジャポニカ(O. sativa japonica)の生まれたことが明らかになった.また,ジャポニカの誕生につづいて,東南アジアや南アジアの野生イネ系統とジャポニカとの交配によりインディカ(O. sativa indica)の生まれたことが判明した.

この図は起源地(同じ地域)が示されててわかりやすいが、ちょっと雑。日本語版論文は図も少ない。日本語版イネ起源地図

そこで正式な英語版の論文を見よう。
A map of rice genome variation reveals the origin of cultivated rice

次がイネの起源種オリザ・ルフィポゴン(Oryza rufipogon)の、一部分(a参照)の中国国内の分布図(b)などだ。(Pearl River=珠江水系本流。図cとdは少ないほど栽培イネの起源に近く、最少はGuangxi=広西。以下、Guangdong広東・Jiangxi=江西・Hunan=湖南・Hainan=海南島・Yunnan=雲南*3

イネ起源部分地図

ここに広い地域の図もあるが、もっと新しい論文「Population Dynamics Among six Major Groups of the Oryza rufipogon Species Complex, Wild Relative of Cultivated Asian Rice」(2016)に、オリザ・ルフィポゴンをもっと細かく分類した都合のいい図(admixture付き)があるからそれを持ってこよう。

W6がジャポニカ米(Oryza sativa subsp. japonica)の先祖で、W1がさらに祖先。こちらでもインディカ米(Oryza sativa subsp. indica)はインドで別に栽培化され交配された(直前図のeが模式図)とされ、大筋は一致している。

新イネ起源地図

ところで、これはあくまでもイネ起源種オリザ・ルフィポゴンの分布だが、これも生育のどこかの段階で人の手で移動してるということか。W3は、海を越えないと絶対にたどり着けないパプアニューギニアに分布している。*4

 

この先の栽培イネ(Oryza sativa)を扱ってるのが、前回の記事でも使った論文Pathways to Asian Civilizations: Tracing the Origins and Spread of Rice and Rice Cultures | SpringerLink 2011年――これは最初のイネの起源論文やその後の新発見論文より古いため、内容が反映されていない*5だ。

まずは起源種オリザ・ルフィポゴンとその部分品種にあたるoryza nivara*6の分布も入った初登場地図を。網掛け部分(Hypothesized glacial...)が氷河期2万年前の起源種分布推定で、赤線が9000年前の推定だ。

イネ起源種分布推定地図

以下、以前も使った図(イネ以外もあり、chinese millets(雑穀)は大雑把にアワ・キビなど)をずらっと再掲しよう。ただしこれはシノ・オーストロネシア語族説の少し古い北寄り重視論文であり、実際には南方がイネの起源地であったため、以下の仮説地図は部分的に書き換えられなければならないことになる。

しかしこの論文でも東南アジアルートはあり、インドや(少なくとも)タイ周辺の稲作に繋がっているとされるのだ。

マレーシアや島部は矢印が引かれておらず、台湾からフィリピンも稲作に結びつける表現はなく*7、どうもオーストロネシア人の稲作伝播への関与だとか島部の状況は、証拠が不充分なようだ。

ジャポニカとインディカ分布年代地図

次の仮説地図4000BCでは、(黄色)Daxi(大渓文化)とHm-M(ミャオヤオ)が稲作と結びつけられている。しかし、日本語版イネ栽培化起源論文が明記するように、おそらくずっと以前から、初期の稲作が南方珠江中流域にあった(これは直前のジャポニカ分布年代地図でも否定されない色が付いてる)、ということになる。

なお、紀元前7000年前頃の彭頭山の稲作遺跡が大渓文化と同じ長江中流域(湖南)にある。また、長江下流域でも同時期(やや古いぐらい)の稲作遺跡・上山遺跡(浙江)が新たに見つかっている(以前記事にした*8)。長江下流域と中流域にまたがって9000年前程度の証拠が次々と出るのなら、その間(江西)など他の地域でも同程度に古い証拠は出る可能性がある。また、最初の伝播はこれらより少なくとも一回りは早かったのだろう。(問題は、イネの伝播ルートは海側なのか/中流域の大陸のどこかを横切ったか(複数ルートか)。そして、それは何者の手によるか。もちろん、水田稲作の発明がどの時点なのか*9も問題だ)

仮説地図4000BC

南方珠江中流域に稲作があるため、以下の伝播コースもずっと南寄りの可能性があり、そこで関係しているのはミャオヤオ以外(共通祖先段階も含めて)の可能性が高くなる。問題の珠江中流域は、オーストロネシア+タイカダイ集団だけでなく、周辺のいろいろな語族の共通祖先がいたY染色体ハプログループOの起源地の可能性もある)と考えられる場所なのだから。(これが、この論文の北寄りシノ・オーストロネシア語族説との最大の違い)

仮説地図3000BC

仮説地図2000BC

ところで、日本への稲作伝播は2000BC図にあって、論文にも説明や参考論文がある。

そしてここで、この論文が北寄りシノ・オーストロネシア語族説であることの意味と主張が出てくる。オーストロネシアの影響が日本や韓国にあるのは、山東半島あたりにオーストロネシア語族がいたからではないか、という事が書いてあるわけだ。

これは現在のテーマと思いっきり関わり、軽く片付けられるような内容じゃない。このへんは、他の証拠を見てから考えましょう。

(稲作関係は佐藤洋一郎さんの本を紹介しておこう)

 

ここまでの図にいろいろなアジアの語族がいるため、イネとの関係を書きつつ言語集団の説明をしておこう。

まずは参考にwikipediaのアジア言語地図を。*10
アジア言語地図

仮説地図で、イネなどの西南への移動(インドもタイ方面も)と関係してるとされていたAAとは、タイカダイやオーストロネシアやミャオヤオよりも前に東南アジアに拡がっていたとされる、オーストロアジア語族だ。これはマレー先住民(Aslianに当たるオラン・アスリ)なども含み、東南アジアで最も古い先住民に繋がる集団だと考えられる。ただし、より古い時代は他の語族と分裂前の共通祖先段階であり、現存しない語族もいた可能性はあるところ。

オーストロアジア語族地図
東のベト・ムオン語群(Vietic)からカトゥ語群(Katuic)・バナール語群(Bahnaric)・クメール語(Khmer)あたりは固まって繁栄した分布を持っている。しかし他は、散って残った、おそらく大部分は周囲の言語より古くからいたであろう分布となっていることに注意。インドのムンダ語派はこの地図よりさらに西にも飛んで分布し、このムンダ族も稲作民だ。*11

 

そしてもちろん、このオーストロアジア系の人々の起源地予測も、新しい情報が判明することで、当然南寄りに変わってるわけだ。

日本語版wikipediaも古い英語版にはSidwell (2011)が「オーストロアジア語族の起源地はメコン中流域で紀元前2000年」という予測をしたとある。これはタイ東北部バーンチエン遺跡(紀元前2100年ぐらいにイネのあった証拠あり*12)とあってるらしき場所と数字。*13
ただし、あまり共通性が見つからず先住民を含むことからしても新しいと思えないのがオーストロアジア語族のはずで、実際他にもっと古い年代予想もある。

そこでSidwellの年代の根拠が知りたくて論文を読むと、そもそもイネとか土器とかの考古学証拠からであり、より古い起源を否定できるような物ではなかった。つまり、新しい物と古い物が多層的に重なる文化の、新しい稲作文化部分を見て数字を出したことになるのだ。

この東南アジアの古い共通祖先集団(紀元前2000年以前)は、稲作以前にタロイモなどの文化にも関わってるはずであり、その時点ではインドやマレーシア・インドネシアなど、中国&稲作文化からはさらに離れた側を文化の起源地として予測する必要がありそうだ。

さらに、タロイモ以前の狩猟採集の時代――スンダランドどころか出アフリカ民とも関わる――もあるんですよ。そこまで行けば、確実にいろいろ合流した共通祖先段階だけど。(なお、シナ・チベット語族の根っこにも共通祖先に近そうな部分(別語族か?)がある。多少後述)

そして後に稲作を知る(稲作民と合流する)ことで、今度は逆向きの移動・文化の伝播が起こり、稲作系のオーストロアジア語族が確立する、ということになるか。

 

ここで、稲作系でない本当に古いオーストロアジア系統は、遺伝的にも特別なのだ。

前回のマダガスカル論文のadmixtureでも、【Cambodian(クメール)・Vietnamese(キン族)・Mon(モン族)・Palaung-Lawa-Wa(佤族)・H'tin(Lua)(Khmuic)・Mlabri(Khmuic)・Negrito-Malaysia(マレー先住民)】のオーストロアジア系統の遺伝的統一性は局所的にしか存在しない。オーストロアジア語族は独特な孤立傾向の先住民集団をいくつも含んでいるのだ。

マダガスカル論文admixture

もう一つ、今出てきたタイの狩猟採集民Mlabriの論文にあった遺伝解析の系統樹最尤推定も紹介しておこう。ここで外に出されたMlabriもHtinもオーストロアジア語族だが、admixture図でも独立してるわけだ。(ただしこれはタイ中心の調査で、地域的な偏りはあり得る。どの集団も近所にいてずっと交流してれば、元の系統がどうであろうと遺伝的に(文化的にも)近くなる*14ことも問題。逆に、近所なのに離れた特徴の集団はやはり特別なわけだが)*15

Mlabri系統樹

 

次に、そもそもイネの起源種があった場所にいたと考えられるのがタイ・カダイ語族(さらに分岐前の共通祖先集団)であり、稲作文化の伝播の初期段階に関係していたことは充分に考えられる。特にチワン族は今でも問題の地域周辺にたくさんいる*16わけだ。

ただし、タイやラオスの集団は紀元後のタイ族南下伝承前回、既に検証論文もリンクしてる)を持っているため、紀元前の稲作伝播とは無関係のようだ。しかし紀元前の事情はそれほどわからず、途中までの段階的な南下はあり得るところ。それに南下が一度きりとも断定できない。

それ以外の集団の事情は定かでなく、こちらも紀元前のイネの南下と関わった可能性がある。

特にベトナム側は伝承と無関係で、明らかに分断され散った分布のカダイ語派(Kra)集団(分布の被さったタイ系統より古いと見られる)もいて、「古い時期のどこかで広く繁栄し、後で僻地に押しやられた」様相を示しているわけだ。*17

タイ・カダイ語族地図

 

なお、ミャオ・ヤオ語族も北寄りで分散した分布*18を持っているが、東南アジアへはそれほど古くない時代に移住したものとされるため、紀元前の南方への稲作伝播とは関係しない。しかし長江中流域では稲作の大渓文化(仮説地図4000BC)などに関わっていたとされ、むしろ逆に北方への初期稲作伝播に関係した可能性がある*19(このミャオヤオは元がずっと北寄りで、しかも長く北にいたため、漢民族の影響を強く受けているのか)

ミャオ・ヤオ語族地図

 

最後にシナ・チベット語族についても、なるべく軽く触れておこう。

明らかに扱いの大変なシナ語派中国語だけじゃなくペー語雲南など)も含むという)だけじゃなく、実は只者じゃないチベット・ビルマ語派東インド集団が特にややこしい*20)もいろいろある。意識的に簡単に。

次の図は、緑がチベットビルマ語派、赤がシナ語派。

シナ・チベット語族地図

ここで問題なのは、まずは南に伸びるビルマ語チベットビルマ語派ビルマ・ロロ語群*21だ。ミャンマーの特に南部は、もともとオーストロアジア語族のモン族(インドや仏教の影響を受けた)など*22もいた場所だったのだ。

ただしこれは、人の南下ではないかもしれない。遺伝的にビルマ族*23ビルマ語を話すミャンマーの主要民族)を調べると、周囲の影響を受けていても基本は東南アジア系統だとわかるのだ。(先ほどのadmixture図にBurmeseがあって、インドの影響を強く受けたオーストロアジア語族似の状態を確認できる*24英語版wikiにも記述あり)

ミャンマー主要部には、もともとチベットビルマ語派のピュー語を話していたと考えられるピュー族(漢字表記「驃」「剽」。稲作もしていたとされる)が、北からの南詔進出(9世紀)以前の非常に古くからずっといたのだ。

さらに大昔の時点でどういう状況だったのかという問題は残る。言語伝播と分岐の問題。

 

中国語の南下も重要なところだけ書いておく。これも「人の南下」とは違うのだ。

南部に限らず中国では、もともとは別の語族の話者が、便利な共通語デファクトスタンダードリングワフランカ)として漢字文化(絵文字みたいな物で、本来はそれぞれの言語の言葉で漢字を読めば使えた)などを取り込んで、結果的に漢民族となった(合流した)ことが考えられる。だから言葉は変化しても人は残ってるわけだ。

漢民族は、遺伝的にも文化的にも北(麦作など)と南(稲作など)の要素が混ざり合う。華夏族伝承でも華族黄帝の子孫*25)と夏族の合流を語っていたり、繰り返し融合を語っている。すると漢民族がいろいろな集団と似て見えることには、注意が必要かも知れない。

……このぐらいにしておこうか。

 

今回はここまで。イネの女神は他の文化的な事情とも大きく関係するためまた後で。

先にカジノキの別の論文をやりたい。論文読んでイネより先に書き始めてた。

 

*1:栽培化も家畜化も英語にすればまとめてdomestication。翻訳すると「馴致」(じゅんち)なんて表現もあるがわかりにくい。悩みつつタイトルに「動植物文化」と書いたら、このほうがニュアンスの収まりがいい。

*2:中近東でも別に家畜化された。

*3:日本語版の図ではわからないが、珠江水系から東に飛んだ江西(過去の定説の北の湖南・西の雲南でもなく)に少し新しめの集中があるのが面白いところ。

*4:取って移動させて、家の近くに置いておいたら(捨てても良い)芽が出ちゃったとか、ただ移動だけさせて後は放置し手間を掛けない場合でも、定義的に「栽培」に当たるんですかね?

*5:今書けばずっと南方重視になるはず。ヒトの遺伝学の新情報も入ってない。

*6:前の論文の新イネ起源地図にもO. nivaraがある。W2 (56 %), W4 (64 %), W5 (83 %)がO. nivaraだそうだ。

*7:というかこれは、長江河口域の稲作集団(緑)を飛ばして、その北からアワ集団(茶)が先に台湾に来てるという主張なのだ。台湾には実際にアワがイネより先に入ったとされる。

*8:新しい年代決定論文(Dating rice remains through phytolith carbon-14 study reveals domestication at the beginning of the Holocene)も出てた

*9:もちろん稲作技術も段階的な進歩を考えるべきでしょうが。

*10:右はだいたいアルファベット順。実はJaponic(日本語)がPara-Austronesianとされ、近いんだという関係性の主張が入ってたりする。

*11:ベトナム南部・繁栄地帯のドーナツの穴部分がオーストロネシア語族のチャム語地域に当たる。マレーシアなど南方の周囲もオーストロネシア語族。西のタイ・ラオスと北から東のチワン族などはタイ・カダイ語族の地域。

*12:水田証拠ではないが。ちなみに世界遺産です。

*13:繁栄した東方のオーストロアジア語族集団を見て、「イネの女神信仰集団だなあ」と思い検索してみたら、意外なことに単純なリストすらなかったため、「イネの女神」は後で個別にまとめよう。(英語版wikipediaのPhosopの一項目はまあまあ。実はイネの女神はチャム族と大いに関わる)

*14:ミャンマーのほうが有名なKarenカレン族)のカレン諸語シナチベット語族チベットビルマ語派だが、このタイのカレン族は遺伝的にはオーストロアジア語族と大差ない。これもadmixture図でも確認できる。

*15:遺伝も文化・言語も実際は多方面交流なわけで、単純な系統樹で表し切れる物ではないわけだ。――なお二つの論文は同じタイの遺伝データを参照しているようだが、admixtureのほうが他の地域とも比較していて、それらの交流関係を示してくれる。インドと関係した集団も一目でわかったりして。

*16:「中国最大の少数民族」がチワン族であり、人口1854万と相当な数。

*17:この独特なカダイ語派はかなり北まで分布し、時には特定文化を担ってた候補になるため、後でまた触れることもある。(なお、オーストロアジア語族のPakanicも重なる地域で他の集団から分断された分布を持つ。どちらがより古い拡がりか?)

*18:しかしカダイ語派のような分断はないことに注意。

*19:ただしこちらも分岐前の共通祖先段階かも知れない。

*20:チベット族の古さと、ビルマ族地域や東インド地域の意味を考え、そこに中国語が同じ語族でまとめられることの意味も加えて考えると、チベットビルマ語派からシナ語派が生えてくる系統樹(地図上で西から東へ)が思い浮かぶ。そして、たいてい正体不明言語の密集してるところが分岐の根っこだ(Y染色体ハプログループDも多く、共通祖先らしきDの出たブータンもある)。そもそもヒマラヤ山脈ベンガル湾・ガンジス河口に挟まれた狭い通路は、出アフリカ民(縄文人アボリジニの祖先含む)も通ってるはずの重要な地域である。

*21:ロロ語とは彝(イ)族彝語を指す。

*22:両語族の分布が北寄りでもクロスしてることに注意。

*23:説明に「モンゴロイド」とあるのは直すべき。移動方向の勘違いしか生まない駄目な表現。

*24:タイのモン族と比較しても似ているが、むしろオーストロアジア要素がより強い。(インド要素も強いが、これは場所が西であるため不思議ではない)

*25:黄帝伝承自体も実際には複数の集団の合流を語る。