知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

【後編】縄文人、ラオス・マレーシアにルーツ? ゲノム配列解読――The prehistoric peopling of Southeast Asia――

論文内容に進もう。

 

The prehistoric peopling of Southeast Asia | Science

supplement(これは今も普通に読めた)

http://science.sciencemag.org/content/suppl/2018/07/03/361.6397.88.DC1

論文の昔のバージョン(縄文抜き)

Ancient Genomics Reveals Four Prehistoric Migration Waves into Southeast Asia | bioRxiv
(※「4回の移住の波」はこの論文で出た数字で、それがこのタイトルにある――だがしかし)

 

まず切り口として、金沢大学のリリースにもある、縄文人や日本人と関係のある内容から始めよう。(実は間違いと注意点がある)

pdf「最先端技術を用いた古人骨全ゲノム解析から東南アジアと日本列島における人類集団の起源の詳細を解明」 

https://www.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/07/180709.pdf

図3

得られた古人骨ゲノムデータと世界各地の現代人集団のゲノムデータを比較した結果,東南アジアに居住していた先史時代の人々は,6つのグループに分類できることが分かりました(図3)。
グループ1は現代のアンダマン諸島のオンゲ族やジャラワ族,マレー半島のジャハイ族と遺伝的に近い集団で,ラオスのPha Faen遺跡(約8千年前)から出土したホアビン文化という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と,マレーシアのGua Cha遺跡(約4千年前)の古人骨がそのグループに分類されました。また,このグループ1に分類された古人骨のゲノム配列の一部は,驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。さらに,伊川津縄文人ゲノムは,現代日本人ゲノムに一部受け継がれていることも判明しました。
一方,他のグループ2〜6は農耕文化が始まる新石器時代から約500年前までの古人骨で,ホアビン文化の古人骨とは遺伝的に大きく異なっており,それぞれ異なる拡散と遺伝的交流(すなわち混血)の歴史を持っていることが分かってきました。グループ2はムラブリ族などの現代オーストロアジア語族と遺伝的に近く,現代東アジア集団とは遺伝的な構成要素をあまり共有していないことが分かりました。さらにグループ1と東アジア集団が分かれた後に,グループ1からグループ2への混血の痕跡が見つかりました。また,グループ3は現代東南アジア集団のタイ・カダイ語族やオーストロネシア語族と遺伝的に近く,グループ4は現代の中国南部地域の人々と遺伝的に近いことも分かりました。さらに,グループ5は,現代のインドネシア西部の人々と遺伝的に近く,グループ6は,いわゆる旧人に分類される古代型人類であるデニソワ人からの部分的な混血の痕跡なども見られました。

(中略。前編で書いた移住モデルの修整)

その大きな移住の波が少なくとも4回以上はあったことが解析の結果分かってきたことから,このような東南アジアの人々の移動を「複合モデル」という新しい枠組みで捉え直すことになりました。

ただ、地図は論文の地図のほうがいい。線も矢印付きで順序と方向がわかる。またこの矢印の根元の微妙な位置は、明らかに意図して(主張として)描かれてるだろう。(ただし地図上の重なった位置には描けないため妥協は必要。主張と妥協を見極めるべし)

移住地図(論文版)

そしてこの地図では、4種類の色付きの線(赤・緑・青・紫)が、東南アジアでの「4回の移住の波」にしっかり対応している。(この対応が日本版のリリースでは伝わらない)

さらにここで、黒線は西から来た古い集団で、4回の移住の波にも6つのグループにも数えられていない(あえて名付けるなら、「グループゼロ(Gr.0)」でしょう)

またリリースでは、Mamanwa(フィリピンのネグリート)やAustralians(アボリジニ)への黒線も抜けている。

 

まず、「6つのグループ」及び「伊川津縄文人」と黒線の後の「4回の移住の波」*1を、論文に従ってまとめ直しておく。(リリースとは一部で言葉も変わります)

既に見せた古人骨表でも、グループ番号はちゃんと書かれてた。(先に遺跡地図を貼っておく)
遺跡地図
古人骨表

  • 【グループ1】 現代のアンダマン諸島のオンゲ族・ジャラワ族、マレー半島のジャハイ族。そして遺跡古人骨のホアビン文化(ラオスのPha Faen遺跡(La368。約8000年前))・マレーシアのGua Cha遺跡(Ma911。約4000年前)を含む。――移住第1波(赤線)に対応。
    • グループ1は伊川津縄文人にも強く影響するが、しかし伊川津縄文人は第1グループに含まれていない。地図に引かれた線でも第1波(「ラオス・マレーシアのルーツ」)と第3波(古東アジア人)が合流し、しかも点線だ。
    • そしてこの伊川津縄文人に影響した第3波の「古東アジア人」だが、(調べられた中では)台湾のアミ族オーストロネシア語族の祖先となった集団が一番の候補とされている(次図Dの下のほう「La368の祖先38%+Amiの祖先62%」を参照)。――なおここで、アミ族の祖先」はアミ族そのものではなく、「古東アジア人」に当たる集団で、つまりアミ族は古東アジア人の特徴を多く残していて近い(あまり変化してない)*2ということ。――伊川津の第1波と第3波は両方南方系に見えるが、「流れよる椰子の実一つ」の渥美半島だから、この土地柄も影響してる可能性あり。

      論文F3図

    • さらに現在の日本人(Japanese)も、「伊川津縄文人(Jomon)の祖先21%+またもやアミ族の祖先79%」という数字が出てる。――日本人(Japanese)も二重の経路で古東アジア人(アミ族の祖先)と深く結びつく辺境集団だ。(もっと極端な混合比率(別の可能性)もサプリメントに出てる)
    • アンダマン諸島のオンゲ族・ジャラワ族と日本人の関係は、最近その近さが判明した、Y染色体ハプログループDの関係でもある。

      ちょうどこの記事で扱った論文が、今回の論文でも引用されていて、デニソワと東南アジアの関係(地図の黒線集団に当たる)を扱っていた。

  • 【グループ2】 現代のムラブリ族・Htinなど一部オーストロアジア語族(全部ではない)と、グループ1と同地域で新しめ(紀元前まで)の古人骨+ベトナム古人骨。――移住第2波(緑線)に対応。
    • この移住第2波(緑線)が東南アジア紀元前の(初期)農耕文化の伝播に対応。
  • 【グループ3】 タイ・カダイ語族と一部オーストロネシア語族と、一部ベトナムなどの新しめの古人骨(タイ(Mae Hong Son)は紀元後約400年)。――移住第3波(青線)に対応する一つで、タイ族の南下を含む。
    • また、アミ族オーストロネシア語族の名もグループ3にあり、タイ・カダイ語族とオーストロネシア語族の境目近くが含まれるようだ。(説明で"Austro-Tai"の表現も登場する。分類の主張としては、たぶん台湾原住民はグループ3に該当する、ということか)
  • 【グループ4】 中国雲南省のWa族(オーストロアジア語族)と、グループ2以外のタイのオーストロアジア語族と、タイなどのグループ3より少し古い時代の古人骨。――こちらも移住第3波(青線)で、古東アジア人の移動にも対応している。
    • この移住第3波(青線)は、実際には東アジア側のもっと古い時代の移動も含んでいることになるはず。

      ※注意。この論文の対象データに中国国内の古人骨は基本的になく、ただ4万年前の田園洞人(Tianyuan)だけが参照されてる。古い時代の中国国内の細かい状況の判断材料はなく、今後の研究を待つべきところ。

    • このグループ3・4が、タイの新しいタイ族系統(グループ3)と、少し古い系統(グループ4)に当たる。そしてタイにはさらに古いグループ2がいる、という状態。
    • なお、ミャオ・ヤオ語族の南下は、もっと新しい数百年前の出来事。(以前から繰り返し書いてる歴史的事情)
  • 【グループ5】 インドネシア西部の人々(約2000年前の古人骨含む)。――移住第1波と第2波の合流。言語もオーストロアジア語族からオーストロネシア語族に変化したようだ。
  • 【グループ6】*3 残るオーストロネシア人(フィリピンなど)――移住第4波(紫線)に対応。

 

なお、ADMIXTURE付きでグループ*5のわかる主成分分析図(論文F2図)もある。

F2図(グループとADMIXTURE)

(K=2からK=13までのADMIXTURE大画像(民族の詳細区分もあり)こちら

 

ここで、サプリメントのFig. S12図(該当する数値はTable S4)~Fig. S19図(Table S11)を見ると、もっと詳しいデータがわかる。

ただしそれぞれの比較も必要となる。どの民族もすべての図(TABLE)にあるのだ。*6

 

ここで、F2図Bの詳細に当たる、いくつかの図を合成したS9合成図*7(別の民族データ(名が黒字)も付け加わってる)も作ってみた。これで論文の図よりは詳しい民族の対応がわかるでしょう。*8

S9合成図

 

論文内容はとりあえずここまで。

分析技術の進歩もあったため、今後さらに新しいデータが出てきたとき、学説が変わる可能性もある。今後の展開も注目しましょう。

 

最後に、今回は調べられていない、調べると学説に影響する可能性のある集団をリストアップしておく。

  • 伊川津縄文人以外の縄文人
  • 中国本土(特に南部海人)の古人骨。――古い時代の南部海人(蛋民も含む)の情報があればもっと詳しい移動の事情がわかるだろう。唱えられてる学説からすれば、長江河口部などのデータとも比較したい。
  • 台湾(特に西の海岸部*9)も重要。――特に、直接的に交流があったと考えられる、古い年代の海人の情報が欲しいところ。
  • カンボジアから南ベトナム(扶南などの地域)の古人骨。――オーストロネシア語族のチャム族がいて、さらにインド系の影響も古くからあった地域。
  • フィリピンもマレー本土もインドネシア西部も遺跡は一箇所ずつしか調べられていなかったり、ボルネオは古い遺跡ではなかったり、結局どこももう少し別のデータが欲しいでしょう。
  • なお、現代人であまり調べられてない集団もまだいる。地域・集団的な絞り込みの必要な場合もある。都市だけを調べると出てこなかったり、広域で平均化すると見えなくなったりする、地方に偏在する特徴の偏った小集団はいるのだ。――日本の島部・山間部のように、ろくに調べられてない集団は数多にある。

 

 

*1:この一致しない二つの数字が紛らわしい。そしてさらに、黒線系グループ0+微妙に分けられた別グループ(伊川津縄文人もここ)もいるわけだ。

*2:アミ族は、「隔離された環境にいることで古い特徴を多く残した辺境的集団」か。

*3:金沢大学のリリースは、グループ6の対応を中心に勘違いしてる。

*4:遺伝的な意味での「オーストロネシア人」と、言語学的な「オーストロネシア語族」の違いにも注意。遺伝的関係があっても話す言語は変わらない場合がある。逆に、遺伝とあまり関係しない言語伝播・言語変化もある。この二つの要素が両方ある場合でも、影響した時代が違う可能性もある。(他の語族でも同じ注意は必要)

*5:グループ3.1と4.1も加わり、グループの数が増えてる。――そもそもグループは、いろいろな分け方(数え方)が出来る物です。

*6:Ami族は、どの図(TABLE)を見ても上位で出てきたりする。

*7:サプリメントのS9図をベースにして、F2図などにあるグループ情報と、S10図の詳細民族名(全部は書けないため一部)を、色を付けて書き加えた。

*8:ただし、Groupの散らばりは結構大きいようで、Group3とされるAmi族は一番上のほうに固まっていたりする。

*9:台湾でも西の海岸部は交流が多く、新しい移住者の影響も強く、既に原住民地域とされていない。東の山岳民族だと、「隔離された環境にいることで古い特徴を多く残した辺境的集団」かもしれない。