オーストロネシアの人々――謎のヌサンタオ編
今回から、太平洋とインド洋を股に掛けるオーストロネシアの人々の特集だ。
記事は何回かに適当に切り分けたいところ。
予告したチャム族の話もある。でも、話をオーストロネシア人の関係する地域全体(周辺語族も含む)に拡げよう。読んだ論文自体がそういうテーマであり、実際に関係だとか意味合いを説明しようとすると、どうしてもいろいろな話をする必要が出てくる。
それに、注目すべきものは他にもある。稲作・タロイモ(サトイモ)などの栽培食物・(半ば忘れてた)ハイヌウェレ神話・銅鼓とドンソン文化・(意味を勘違いされそうな)サーフィン文化なども、そしてヌサンタオという謎の言葉についてもやりますよ、と。
最初はチャム族を簡単に書くつもりだったが、オーストロネシア人について、説明してないこと調べておいて書いてないことがたくさんある。だからそのあたりもまとめておくことにする。
まず、予告だから前書き的に触れておこう。
チャム族などの、Y染色体とミトコンドリアの構成を調べた論文をいくつか読んだ。
Patrilineal Perspective on the Austronesian Diffusion in Mainland Southeast Asia 2012
Y染色体の話が主だが、これは他の論文をいろいろ参照している。
この論文のハプログループのグラフは先に貼っておこう。チャム族(オーストロネシア語族)は南方ビントゥアンのデータ*1。下のKinhは北にいるベトナム主要民族キン族(オーストロアジア語族)ハノイのデータ。*2
詳しい説明は後でするが、一部だけ簡単に書いておく。
まず、この両者に共通して含まれるものは、やはり直接の伝播関係があり得る。しかし昔はずっと国が別で、語族も違うため、来歴は異なるはずの両者だ。(どうも女のほうが共通性は高い*3)
また、Y染色体のR・H*4はインド系で、この比率が両者の重要な違い。ただし同じく比率の違うKは、未調査のL・T(LTもインド系で可能性あり)・M・Sも含んだ、その他的カテゴリー。
ここで引用されていたミトコンドリア論文なども読んでる。
なお、別の論文のチャムデータで、サンプル数は少ないがO1a-M119が9割(10/11)という全く異なる数字も出ている。ただし場所はベトナム中部ビンディンで異なり、やはり地域差・集団の違いには注意が必要。(ウィキには「ビンディン省・フーイエン省にフロイ人(チャムフロイ人)が約1万人、ニントゥアン省・ビントゥアン省にチャム人が約10万人……」などとある。場所はどちらもチャンパの範囲。しかし南のカンボジア近辺は扶南やクメール系の影響があり得る)
チャムの分布地図は貼っておこう。(4)がビンディン、(8)がビントゥアン、HCMはホーチミン(サイゴン)。
ただ、期待に沿うようなチャム族入りのADMIXTURE解析は、検索してみたがないらしい。
ところで、このチャム族を特別に注目すべき理由は、いくつかある。日本との関係性を考えなくても。
オーストロネシア語族の中でも特別な地域――アジアの大陸側ベトナム海岸部――にいて、長い間チャム族が中心となった国もあった。
――もともと、オーストロネシア語族がどう拡がったかの議論において、その特別な意味合いを持つ場所から注目されていた。ただしチャム語は、オーストロネシア語族でもマレー・ポリネシア語派に属する(周囲のオーストロアジア語族の影響を強く受けた)言語とされ、現在の言語学においてはオーストロネシア語族の起源とはされていない。
やはり海洋民族であり、海のシルクロードにおいても重要な役割を果たしていて、海路で西方と関係していた。特にインドとは強い関係を持ち、中国など東アジアへの海路での仏教伝来とも関係している。インドの影響を受けたチャム文字もあった。*5
――このルートでインドの鉄技術なども伝来した可能性がある。ベトナムの鉄器時代――これが(波乗りとは無関係の)サーフィン文化(Sa Huỳnh culture(これは鉄器時代以前も含む)。日本語論文もある。詳しい説明はまた後で)――は、論文でもBC500年からBC300年ぐらいに始まるとされ、そこそこ早いのだ。(中国でも、干将・莫耶の剣伝承*6が、呉越のような南方海人系の伝承であり、この海路でインド系の鉄技術と関係していた可能性はある)
ただし、インドなど西方と関係する集団は、マレーシアやインドネシアなど別のマレー・ポリネシア語派民族にもいる。そしてこれら西方と関係する人々こそが、オーストロネシア人の別の大問題、マダガスカル移住問題とどこかで関係してくることも考えられるわけだ。
――このマダガスカル問題もまた後で。次の図はおなじみ、オーストロネシア語族の出台湾図。
ここで、オーストロネシア人などの移動に関わる、出台湾仮説(Out-Of-Taiwan Hypothesis。上図)・東南アジアを重視するヌサンタオ仮説(Nusantao Hypothesis・Wilhelm Solheim(人類学者))を説明しておきたい。
いきなり重要なことを書いてしまおう。
この東南アジア地域における人類の移動は、台湾からの一方通行ではなく、東南アジアを起源とする集団もあった、ということになる。
結局、出台湾だけではオーストロネシア人を語ることができず、もともと東南アジアにいた人々が問題だ、ということになるのだ。
つまり上の出台湾図は、「出台湾の動き&オーストロネシア語族の分布を表す図」としては間違いではないけれども、「オーストロネシア人の移動を表す(矢印)図」としては、重要な要素が足らない/部分的に間違ってる、ということになる。
ここで出てくるのが、今回のサブタイトル、謎のヌサンタオ――Nusaが南、Taoが人を意味する――である。
――台湾の東にある島・蘭嶼には、まさにこのTao(人)を名の由来とするタオ族(ヤミ族)(ウィキペディアにある次の写真の主)がいる。しかし実はタオ語はマレー・ポリネシア語派のフィリピン語群で、他の台湾原住民*7の話す台湾諸語(オーストロネシア語族の中でも起源に近い言語とされる)ではない。このタオ族はフィリピンから来たとされる。
遺伝学的に調査した結果、台湾の人々にも東南アジアから移動してきた人々が混合(交流)していたことがはっきりしてきたのだ。
実は、出台湾と結びつけられて語られていたハプログループ(Y染色体もミトコンドリアも)にも、どう考えても出台湾より時代の古い、それ以前に東南アジアに拡がっていたと考えざるを得ないものがたくさんあった。
そもそも出台湾は、かなり新しい約5000年前程度の年代を説いていたため、一般的にハプログループ側で想定される拡大年代とは、最初から食い違いがあったのだ。
なお、近い話は既にしたことがある(次の図も既出)。
この事実は、Y染色体ハプログループのグラフにも見えていた。台湾原住民はほぼO1ばかりの単調なグラフ*8であり、フィリピン*9から先に出台湾の影響が出ているようにはそれほど見えない。そして、東方に拡がる古代系統C1集団も、この地域独特のK・P・M・S集団も、さらに上の移住図B*10にあたるマレーシア・インドネシアのO集団も含めて、もともと昔から東南アジア・オセアニアにいたと考えざるを得ない人々ばかりだったのだ。
つまり、「出台湾によるオーストロネシア語族の拡がり」は、遺伝学的に調べてみたら、影響がそれほど伴っているようには見えなかったわけだ。(少なくとも、このY染色体のデータでは)
――ちなみに、移住図D及びグラフのRとH・J・Lが、インド系など西から来た者たちに当たり、ちゃんとベトナム・マレーシア・インドネシアに少しずつ出てる。そして出台湾の影響は、このインドよりは多いかもしれないが、そんなに多くもないだろう。何故かと言えば、出台湾コース以外に、東南アジア経由集団――移住図Bに加え、その後も含み、図Dのcのように中国から西回りで南下した場合まで含む――の移住もあるのだから。
ということは、少なくとも、出台湾は移動の部分的な要素に過ぎないわけだ。
しかしさらに調べてみると、まだこの理解でも甘かったかもしれない。
移住図Bの氷河期(スンダランド)も問題だが、氷河期が終わり海が拡がってからこそが大きな問題だったのだ。このB以降Cまでに、移動したと考えられる人々がいたのだから。
しかもそれどころではない。出台湾の時期Cあたりで、逆行するように移動したと考えられる集団もいるのだ。
今度は、より新しいミトコンドリア側(母系遺伝)の論文だ。ここにその逆行が描かれている。
Quantifying the legacy of the Chinese Neolithic on the maternal genetic heritage of Taiwan and Island Southeast Asia | SpringerLink 2016.2 (しかし次の地図は紛らわしい。後半の7000年前までに海は戻ってる*11)
つまり女側でも、西回りで南下した場合も含めて東南アジア側にいた人々がいて、台湾にもたどり着き、出台湾勢と合流した、という解析が出たわけだ。
そういえば、円グラフのチャムとキン族の間でも、女のほうが(B4,B5,F,M7,R9だとか)共通性は高かったのだ。
そしてこの、海を越えていく能力を持っていたヌサンタオは、後のオーストロネシア人たちにとっても問題の、海人だということになるだろう。
そしてこの海の時代の交流を、ヌサンタオ仮説は、Nusantao Maritime Trading and Communication Networks(NMTCN)――訳してる例が見つからないため私訳「ヌサンタオ海洋交易・交流網」*12――と表現している。
この長い名前は、出台湾説に対し、海洋交易のために生まれた共通言語こそがオーストロネシア語の先祖である、ということも主張しているらしい。
――しかし現在では出台湾説側も、遺伝的な結びつきが期待ほどなかったため、交易言語説に近づいてるのだ。
ヌサンタオ仮説は、もともと東南アジアにいた人々に関する仮説であり、後のオーストロネシア人たちなどへの影響を論じている。そして実は、日本にも言及している。
Solheimご本人の書いた物(1988年版。年代によって仮説の内容に修正はありそうだが)がハワイ大学のサイトにあった。位置づけが「Hypothesis(仮説)」である事に注意。
――この論文の最後には、範囲が「from Madagascar to Japan to Easter Island」ともある。そして参考文献に大林太良さんの名前もあった。出てくるのが何の話かと言えば、ハイヌウェレ神話(過去の文章化)ですよ(論文の8ページ目にある)。
もっと新しい本もある。これも英語だが。
Archaeology and Culture in Southeast Asia: Unraveling the Nusantao
- 作者: Wilhelm G., II Solheim,David Bulbeck,Ambika Flavel
- 出版社/メーカー: University of Hawaii Press
- 発売日: 2007/06
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログを見る
それに、出台湾は稲作の伝播とも関係すると考えられてるわけだが、実はオセアニア側などのオーストロネシア人も写真のタオ族(ヤミ族)も稲作民ではない。オーストロネシア人で稲作する人々は、東南アジアの一部にしかいないのだ。
――ミトコンドリア移動地図中のオレンジ矢印の出台湾集団の説明にも「rice farmer」(米農家)とあることに注意。ただし、西回り南下集団が稲作文化を伝えている可能性は考古学的にもある。(以下の図)
上の図は2011年の稲作論文(Pathways to Asian Civilizations: Tracing the Origins and Spread of Rice and Rice Cultures | SpringerLink)より。(なおこの論文は、オーストロネシア語族(AN)の起源(pre-AN)をシナ・チベット語族(ST)側に置き、タイ・カダイ語族(Daic)はオーストロネシア語族から分岐したとするシノ・オーストロネシア語族説・出台湾系になっている*13)
実際には、オーストロネシア人は(稲作を伴っている場合も含んで)、元からタロイモ(サトイモ)栽培民なのだ。
――ポリネシア語taro/taloは似た芋の総称(コトバンク)でもある*14。学名Colocasia esculentaは日本のサトイモ(及びヤツガシラなどサトイモ関係の栽培品種)も全く同じ。なお、上の図の説明でも、Vegecultureは特にタロイモだとある。
そしてこのタロイモは、東南アジア・パプアニューギニア*15で、「約一万年前に始まったとされる農耕の起源に関わった」(東京農大『タロイモは語る』pdf)とされる。
ただし考古学証拠として、どこから栽培なのかの見極めはやっぱり難しいようだが。
タロイモの遺伝解析の論文(2016年)も読んでる。
Genetic Diversification and Dispersal of Taro (Colocasia esculenta (L.) Schott)
ここにはタロイモが、ソロモン諸島で28000年前から利用されていた/パプアニューギニアのクックの初期農業遺跡ですりつぶされたデンプンを分析して10200年前(補正年代)/太平洋のフィジーでは3050~2500年前に栽培(証拠)、ともある。*16
タロイモ原種――もちろん栽培前から自力で拡がり、また採集され食べられてただろう――はインド東部か。しかし非常に古くパプアニューギニア・クックの初期農業遺跡でもバナナ・ヤムイモとともに栽培化された可能性があり、インドネシアでも可能性があるという。
ちなみに、東南アジア・オセアニア周辺原産の古くからの栽培植物としては、メラネシアなどではバナナの重要性が高いそうな。他に、一部のヤムイモ(ヤムはヤマノイモ属の総称で、原産地は種ごとにそれぞれ。種名ヤマノイモ*17もナガイモも含む)・ココヤシ(果実名がココナッツ)・サトウキビあたりの名も出てくることがある。そして、タロイモ・バナナ・一部のヤムイモ(和名ダイジョあたり)は、オーストロネシア人によりマダガスカル経由でアフリカにも到達しているとか。(なお、稲作もマダガスカルまでは移動してる)
- バナナ論文。Multidisciplinary perspectives on banana (Musa spp.) domestication.
- ココヤシなど椰子の実は海を流れて繁殖する能力を持つため、論文を読んでも結論がスッキリせず、紹介しにくい。(問題のまとめ的な論文はこれ)
- イモ類とバナナは種に頼らないでどんどん増えるという共通点を持つ。イモは種芋(切り分け可能)を植えることで、バナナは株分けで、栄養繁殖(自己コピー。遺伝的にクローン)で増える。――切り刻まれて増えるハイヌウェレ神話(過去に文章化)も、イモのオーストロネシアン神話だったのだ。(ココヤシ・ビンロウ(檳榔)も登場してるが、これらはどちらもヤシ科)
ところで、ヌサンタオ仮説が言うように、もともとのオーストロネシア語族使用者が、台湾ルート側でなくヌサンタオ側である可能性はあり得るのか?
一つ参考になるだろう話がある。
日本語の話をやったとき、日本語の古語に近い方言は、中央じゃなく周囲に出ていた。しかし日本語は決して周囲から中央に拡がったわけではない。中央からの影響が周囲へ拡がった結果として、周囲に古い形の言語が残っているだけなのだ。(これは方言周圏説)
つまり、分岐当時の古い形を、周辺の隔離された言語は残していたが、本当に分岐の起源となった(文化中心だった可能性もある)言語は、歴史的変遷により大きく変化していた、ということは、充分に起こり得る。
言い換えれば、古い形の隔離された言語の民族の近辺地域が、実際の起源地とは限らない、違うかも知れない、ということになる。(完全否定にはならないが)
台湾の言語なども、隔離されていたことで古い形が残っているだけで、オーストロネシア語族の真の起源言語側は既に変わってしまった、という可能性はあるのだ。
ここで、アフリカのオーストロネシア語族、マダガスカル主題の遺伝学の論文(Contrasting Linguistic and Genetic Origins of the Asian Source Populations of Malagasy : Scientific Reports 2016.2)も読んでいたわけだ。
そしてここでも、マダガスカル語と言語学的に近いとされるボルネオの言語の民族が、遺伝学的な解析ではさほど近くないという結果――英文タイトルがそのまま「Contrasting(対照的な) Linguistic(言語学) and Genetic(遺伝学) Origins(起源)……」――が出ている。
つまりこのボルネオの例も、隔離された言語が古い形を残していたために、結果的に古く分岐したマダガスカルの分岐言語に近い、という分析が出ただけ、じゃないだろうか?
なおこの論文、もともとは次のADMIXTURE(遺伝的に全比較で、男女片方限定ではない)が目的で読んでた。*18
日本やチャムやオセアニアはないが、必要なメンバーがそこそこ揃ったオーストロネシア論文。オーストロネシア語族のマレー(Malaysia-Malayと先住民だがTemuanもAN)・インドネシア・ボルネオの集団も揃っている。大陸側は、二種のオレンジ、C7ミャオヤオ(今回は特定色が割り当てられてる)とC11オーストロアジアの混ざり具合に注意。
台湾原住民もFormosanの名で最後にあるが、中国との関係はそれほどなく、フィリピンと似たデータが出てる。
しかし、因果の方向はどっちだ? 台湾-フィリピンまでは灰色C14漢民族-タイカダイ系があり、ここまでは中国と無関係ではない。*19
マダガスカル問題について。
マダガスカル人は最初のほうにいて(アフリカの赤C1が多い)、言語学が問題とするボルネオの民族はMa'anyan(暗青C8系)。マダガスカルに混ざってる東方集団は、いろいろ混ざりすぎててわかりにくいが、ボルネオのDayak・Banjarなどのほうが似ているように見える。ただし、西方進出行動と関係ありそうな水色C6インド系要素はほぼ無いが。(水色C6が混ざってる=インドとどこかで関係した形跡の見える集団はあちこちにある)
もちろん、このデータにない未調査集団(バリ・チャム*20など)も多数ある。
――先ほどの稲作伝播地図でも、ボルネオ島の東南のバリ島やスラウェシ島などに印があったり色も塗られている。ということは文化的言語的な交流もあったわけだ。(ウィキの小スンダ列島に「3世紀、扶南の交易相手として、大火洲と記されていた。交易品は石綿。」と書いてあった)
そもそも問題の集団は、マダガスカルにまで行ってしまうような行動力の集団でもあり、単純ではない歴史事情を持っている可能性も高く、遺伝も時代経過で変化はあることに注意は必要。また、クラカタウの大噴火(英語版のほうがいろいろ)・タンボラなどの火山災害や、大津波など自然災害が影響して、元集団が滅んだり変化していて不思議ではない事情も近辺にはある。この災害などの混乱は、極端な移住の原因ともなり得るものだ。
ここで、以前から問題のオーストロネシア論文(Resolving the ancestry of Austronesian-speaking populations | SpringerLink 2016.1)のADMIXTURE(下図*21)もあった。
ヌサンタオを考えると、この解釈も変わってくる。 実はこの論文、ヌサンタオに批判的な立場だが。
やはりこの論文でも、台湾原住民(Ami・Atayal。福建省ルーツの多い新しい台湾のChineseではなく)は中国本土とそれほど似ていず、むしろフィリピンに似ている。
台湾に多くオーストロネシア人に拡がるグレーは、中国本土では非常に少ないが、南方にはグレーが多くしかも濃い青をほとんど含まない集団がいくつも存在する。もしも台湾からの新しめの影響なら、同時に濃い青も出るべきであるため、グレーは出台湾でなく逆方向移動と関係する――という解釈ができるわけだ。
むしろこの濃い青が、中国を元とする出台湾集団と密接な繋がりを持つだろう。これは海南島(Hainan)や広西(Guangxi)に非常に多く、タイ・カダイ語族や初期稲作やY染色体ハプログループOと結びつくと考えられるわけだ。ただしやはり南方にはそれほどおらず、Chiang Mai(チェンマイ県)のタイ族*22は東南アジア側で南下している。
――タイ族の南下伝承はそんなに古くない(遺伝的検証論文)が、伝承のない別の移住もあり得る。また、古い時代に稲作・Oが南下してもいる。(ただし古いと共通祖語を含めた別語族か)
なお、言語が伝わることに遺伝子の拡大がそれほど伴う必要はない、とする反論もある。意志を通じ合わせるための共通語として都合のいい言語(リングワ・フランカ)だったとかはあり得るのだ。(出台湾説側の交易言語説はここで出てくるわけ)
ここで、この論文にも以下の年代解析図(※色分けが移動方向不問だから注意*23)はある。
8000グレー領域は、おそらくほぼヌサンタオ側(ただし台湾側でも可能性はある古さ)にあたり、結局この論文でもかなり多いわけだ。黄色はもっとも古くから東南アジアにいる系統で、両方合わせると新しいオレンジとブルーの集団(移動方向不問)よりも多い、という結果になる。
この論文が出台湾側(Out-of-Taiwan)の可能性(Possible=可能性は少ないかもしれないがある*24)とする次の分布図が、出台湾を支持する証拠に見えないところに、遺伝的な出台湾説の苦しさがよく表れてる。(この図のホットスポットは広西・海南島・ベトナム北部で、稲作・Oの起源領域であり、西回り南下においても重要なのだ)
少なくとも、遺伝的な「オーストロネシア人」に関して、出台湾説は部分的には肯定されるものの、全体的には不利なデータがいろいろ揃ってきたわけだ。
ただし、遺伝的にはヌサンタオ側が優勢である状況を認めた上でも、出台湾集団はいるわけで、否定されているわけではない。
そして、言語学的な「オーストロネシア語族」の出台湾説の論拠に関しては、ちょうど日本語の例・方言周圏説が反例になっていて、日本人はこの議論に参戦しやすい。
言語学的にはどちらも交易言語説であり、他の学術証拠と無関係ではないけれど、言語学寄りの起源問題になっている。ここで、マダガスカル問題が言語学&遺伝学的に同じズレの問題を持っているとわかったことも面白い。
実は、ヌサンタオ側に中国からの西回り南下集団もいるため、台湾経路の比重が下がっただけ、でもある。大雑把で広い中国方面からの南下説としては、最後の分布図を見てもわかるように、だいたい肯定されているわけだ。
むしろ、タイ・カダイとオーストロネシア(&稲作・Oなど)の関係の議論は、東西両方(あるいは海を越える直接交流)の経路が存在することで、より面白くなった状況だろう。
まとまりが付いたところで、謎のヌサンタオ編はここまで。
次回に続きます。ベトナム周辺(中国南部含む)の文化的な話をしよう。
*1:O1a-M119はあまり出なかった。
*2:1000 genomes project(Y-Fullでも使われてる)に「KHV」と付けられたデータがあるが、あれは(同じ頭文字H)「Kinh,Ho Chi Minh,Vietnam=ベトナム南部ホーチミン(サイゴン)のキン族」のデータ。キン族がもともといた北部(ハノイなど)じゃなく、主にクメールのいた南部のデータであるため、少し意味合いが特殊になってる。
*3:やや違うN9aは東南アジアにはいて、中国にも韓国や日本にもそこそこいる。
*4:H-M69は現H1aで、当時はFにHの一部が含まれる。
*5:東南アジアではインドの影響で各種ブラーフミー系文字(梵字)の考古学資料が出るが、その中でも古いのがチャム文字。
*6:『うしおととら』(アマゾン検索)にこの話が使われていたりもする。(自分が一番最初にこの話を知ったのはこの漫画だったり)
*7:先住の人々の意見を尊重してこの表記を使用します。
*8:この台湾のO1がもともとどちらの方向から来たのかも問題。O1は当然それなりの古さを持って拡がっていたと考えられる。
*9:注意。このデータでは次のアエタが半分ぐらい混ざってる。差し引いてください。
*10:実はB以降のOの移動にもまだ問題がある。
*11:この論文自体は、ヌサンタオ論文というより、氷河期の海面低下を強調するスンダランド論文と呼ぶべきもののようだ。「Sundaland」などは何度も登場するが、「Nusantao」は一度しか出てこない。
*12:海水位回復後の海の時代(7000年前以降)を、その前と区別してMaritimeと表現しているようだ。この訳は少し冗長に見えるが、元があえて重ねて言ってるため、その意図を尊重した。
*13:ミャオ・ヤオ語族(Hm-M)、アルタイ語族(Altaic)やドラヴィダ語族(Dravidian,祖語P.Drav. インドヨーロッパ語族ではない)なども書かれてる。
*15:ニューギニア島はオセアニア>メラネシア側。言語はだいたいパプア諸語で、このパプア諸語はオーストロネシア語族およびオーストラリア諸語とは直接の関係がない。ただしニューギニア島にもオーストロネシア語族大洋州諸語(英語版西大洋州諸語)は存在する。
*16:日本への移動ルートの判断はまだ今のところ難しい。実はカジノキと同様に結果を期待してたんだが。
*17:日本での本来の山芋と里芋も、山と里の対比で付いた大雑把な総称のはず。日常的な物の名前の定義は、時代で変化するコンセンサスの問題になるから難しい。
*18:なお、サプリメントにkの違う分割データや、数値的な比較がある。
*19:Hanは意外と大陸集団の中で緑C3(多いIgorotは山の先住民)があったり。
*21:この図、jpeg圧縮が画像の細かくても重要な部分を破壊してしまって正しいデータを示していない。なお、項目名およびまとめ方(このデータの詳細もサプリメントにある)が違っている場合でも、マダガスカル論文と同じ集団がいくつもある。
*22:実はマダガスカル論文にも該当する集団があり、Tai-のYuan+Yong+Lue+khuenをこの順でまとめてるのがChiang Mai。なお、紛らわしいChiang RaiはYao(ミャオヤオ)、Mae Hong Son=Karen(シナチベット)+Lawa(オーストロアジア)。
*23:ミトコンドリア論文の結果を踏まえれば、新しい4500(年)表記のオレンジの中にもヌサンタオ(中国からの西回り南下含む)が混ざってる可能性がある。逆に古めの出台湾もあり得るが。
*24:probable=可能性が高い、との違いに注意。