沖縄ルート続き
昨日の記事の後で気がついたことがあるんで続き。
沖縄の遺跡は、その年代に断絶があることを思い出したのよ。
港川人の年代から、続く貝塚時代までの約1万2000年間の遺跡はほとんど発見されておらず、長らく空白期とされてきたが、近年では上記のようにサキタリ洞などでこの間の空白を埋める人骨や石器が発見されつつある。
まあ、遺跡が全くない訳じゃない(出てくるのがこの前のサキタリ洞。別の毎日新聞の記事を見つけた)が、少なくなってる空白時代があるわけだ。
サキタリ洞については沖縄県立博物館のコラムにも説明があった。なお、wikiで12000年前と書かれる石器と人骨が、このコラムでは14000年前と較正年代で書かれていることに注意。海水位急上昇MWP1Aの14000年前ですよ。ただしこの洞窟では、その前(新発見の30000年前と23000~20000年前)と、後(9000年前)の幅広い年代の人骨も出てたわけだが。(骨に時代変化はあるのかな?)
そこで、氷河期海水位低下時の、対岸との周回ルート。
この対岸周回ルートは、氷河期は距離が短いけど、海水位が上昇すると対岸との距離が離れて、航海の難易度が一気に上がる。
というか、対岸の大陸に港のような拠点集落があっても確実に沈んでしまう。航海していた住民もどこかに行ってしまう。
しかし台湾ルートは、それほど海水位上昇の影響を受けない。
地図を見ると途中に沈んじゃう島があるけど、対岸周回ルートほど根本的な影響はないんじゃないか。
つまり、沖縄の遺跡の年代による存在状況は、対岸との周回ルートが重要だったことを支持してくれているんじゃないか?
ちなみに、拡大沖縄本島地域西端の久米島にも、旧石器時代の下地原洞穴の遺跡があります。
KAKEN — 沖縄県久米島下地原洞の更新世人類遺跡の発掘調査研究.
乳幼児がいたってことは重要か。母親とか家族でいたことになる。
さらに。
ということは……
この旧石器時代(最終氷期)の沖縄で見つかってる人骨(港川人など)は、今は沈んでしまった東シナ海大陸に最終氷期に住んでた人たちと、密接な関係を持っているんじゃないか?
……ってことにもなる。
旧石器時代の沖縄人骨は、非常に重要ってことになるんだよ。
(重要度をアピールしておけば、学者も研究費を獲得しやすくなるさー)