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知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

三系統のY染色体ハプログループD1b+α

D1b詳細検証

C2について書いてたら(記事、どうしても長くなるよねやっぱり)、先に確認しておきたいことがあった。

それは、「D1bの中に、北から北海道ルートで日本へ入った者たちがいるのではないか?」という問題だ。

 

これを検証するために、先にまたD1bを、今度はもっと細かく調べてみようと思った。

こちらはこちらで、なんか面白そうだし。

それにこれは、以前問題となった縄文人の地域差や時代変化の話でもある。

また、新たな知見を元に、D1bを(さらにC1a1まで含めて)検証し直す意味もある。

(タイトルの+αはこのC1a1を追加し、さらに他のものにも触れてるから)

なお、日本やアイヌのADMIXTUREも(勉強して)調べていて、もちろんその知識も大きな参考となっている。(ADMIXTUREはそのうちまとめる。とても興味深く面白い内容だった。これも別の大ネタで、わかりやすく説明するのが大変そうだ。話の展開上、結局これもC2より先にやります。うん(笑)、C2はまだまだ後になっちゃう)

※2016/12/20 アイヌのデータを修正し、図を直しました。

 

まずは分岐図だ。

引用元は今回もYFull+ISOGG(2016/11/12確認)。今回は簡潔に、YFullのキャプにISOGGのデータを書き込んだ。*1

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この日本のD1bは、大きく三つの系統に分けられる

最初の系統は、形式上はD1bの一番ルートを含んだ、D1b1以外の「D1b*で、しかし実際はD1b2以下の系統がほぼすべて。(D1b全体と紛らわしいこともあり、この最初の系統は以下「D1b(2)」と表記しよう)*2

第二の系統は、D1b1a以外の「D1b1*以下の系統で、D1b1cを主体とし、D1b1bなどその他系統(未分類まで)も含んでいる。*3

そして第三の系統が、この三者でもっとも高比率の「D1b1a」以下の系統となる。

 

ここで注目すべきは、それぞれの分岐年代であり、つまりこの三系統はいつ頃分かれたのか、ということ。(なお、もちろんすべての年代には誤差がある。が、今は大雑把な年代しか要求していないから問題ないでしょう)

まず、第二の系統D1b1-Z1622のところに「formed 22900 ybp,TMRCA 16600 ybp」とある。

つまり、最初の系統と第二の系統は、少なくとも22900年前より以前に分かれていることになる。*4

第三の系統D1b1aの年代は直接は計算されていない*5が、第二系統の主要系統であるD1b1c-CTS6609が「formed 16600 ybp,TMRCA 16500 ybp」とある。

つまり第二の系統と第三の系統は、少なくとも16600年前には分かれていることになる。

ということは、非常に古く、縄文時代の初め頃にはもうこの三つの系統は分かれていた、わけだ。

 

ここで、当初の問題と絡んだ問題となる。

この、非常に古くに分かれた三系統の分布に違いはあるのか?

そして、その分布から移住ルートはどのように推測できるのか?

そこに北海道ルートの者たちがいるのか?

 

では、分布を確認しよう。

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今回のデータはほぼ以前使ったことのある物ばかりだが、使える物だけ使って合計しているため、最後に説明を付けよう。

なお今回は、サンプルの少なさを補うため、β版を含むデータも並べる。というか、正直最初の表では、あちこちサンプルがあまりに少なすぎて問題が大きく、まともに扱えないのだ。(表のアイヌと韓国はわざとダブらせた。それ以外でもβ版には論文のデータがちゃんと全部入っている)

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右側にあるD1b内部比率は、他のハプログループが引き起こした影響を取り除くため、D1bの内部だけで比率を見た物。

縄文人がD1bだけだった時代なら、これは大まかに縄文人内部の勢力分布を示すことになる。ただしもちろん、もっと後の新しい時代の勢力変化もあって、その影響も大きい。
それに、縄文時代からいるのはD1bだけではない。まずC1a1もいる。(後で、C1a1も含んだ表を出そう)
ただしC1a1の増え始めたのは、縄文時代の中期から後期にあたる4500年前ぐらい(以前のC1a1記事)のようで、D1bの主要な系統よりは後で増えて拡散していると考えられる。(もちろんD1b系統でも下位のほうの分岐の集団は、より新しい時代に増えて多くなってる)

またC2やOやNなど他のハプログループも問題。東アジアに展開した時代の古さ、及び、古い者たちが残りやすい「近い離島」日本の地理条件からすれば、数量は少ないかも(実は意外と多いのかも)知れないが、日本のどこかからこのC2・O・Nの古い集団が出てくる可能性も充分にあると考えられる。*6
しかしこれらは新しい移住者が多いと考えられるため、今回はあえて除外した数字で見てみよう。

 

期待とはちょっと違うが、面白い傾向が見えてきた。

  • D1bの組み合わせ(ある程度縄文人のハプログループ構成を反映していると見られる)にも、地域によって異なった傾向があったようだ。
    これ自体は普通に推測できていたことで、wikipediaにも、縄文前期(約6000-5000年前)には日本列島内に、次の九つの文化圏が成立していたとある。(この分類は藤尾慎一郎『縄文論争』からだとあるが、読んだら、渡辺誠週刊朝日百科『日本の歴史』36」とさらに引用元が書いてあった。この元の分布図は見つけてる)
    説明の重要なところまで引用しよう。(wikipediaは少し違ってた。一部個人的な注釈も付けた)
    1. 石狩低地以東の北海道(クリやトチがなく、海獣類がいるのが特徴)
    2. 北海道西南部および東北北部(※以下注記。この時点で既に、北海道西南部・東北北部がセットで別文化圏とされることに注意。今回の分析結果からもこの分別を支持したい)
    3. 東北南部に新潟北部(阿賀野川より北)も含む(※三貫地貝塚はここ。やっぱり地方性に注意すべき場所だ。ちなみに方言の境界も新潟の途中を通ってる*7
    4. 関東は東部のみ(東京湾沿岸まで含む。縄文海進で関東平野に海が拡がった時期で、内湾性漁撈の貝塚の文化だと。なお、さきほどの方言境界も関東の中を通り、東西で違います)
    5. 北陸は新潟の残りと富山の大部分(能登半島周辺以外。豪雪地帯、と)
    6. 東海・甲信→ここは中央高地(岐阜も含む)及び関東の残り(千葉の一部含む)と静岡県(※個人的には、富士山の見える範囲(伊豆諸島などからの航海時も目標にできる山)の交流圏はあり得ると思います。富士は遠くからでも見える目立つランドマークで、しかも昔は頻繁に噴火して煙も噴いてたわけだ)
    7. 近畿・北陸(能登半島まで)・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前豊後(※地理条件から、現実の交流という意味でも伊勢湾岸と山陰と越前能登は分けておき、残りを瀬戸内海文化圏としたい。ちなみに藤尾さんの本の図では大きくひとまとめだが、文章の説明番号を見ると数字の飛ぶところがあり、どうも藤尾さんもこの広い地域を分けようとしたように思われる)
    8. 九州(豊前豊後を除く。朝鮮半島及び琉球と交流があったとされる。後で詳しい話をします)
    9. トカラ列島以南(※ここで、琉球王国以前の沖縄本島先島諸島はずっと別文化圏で、先島諸島は台湾に近い。ただし先島諸島に5000年前の時点で定住者がいたかが少し問題。それ以前は石垣島に有名な白保遺跡があったりなどする。なお先島諸島の問題は、オーストロネシア語族の移住問題とも関係します。これ、6000年前あたりまでには台湾にたどり着き、その後5000年前ぐらいにはフィリピンにたどり着いたとされているわけで、問題となる時期がほぼ同じなんです。台湾に渡り海を渡ってフィリピンにたどり着けるなら、他の方向にも渡れる)
      (おまけに。このオーストロネシア語族の移住タイミング(時期の問題はあるが朝鮮半島との交流もある)で、もう大陸の人間が海を越えて日本に渡ることもできる航海能力を持ってるわけです。大海を越えて日本へ来る古い渡来人は、このあたりまで遡る可能性を考えられる。というか、オーストロネシア論文のADMIXTURE(グレーに注意。台湾原住民に多いグレーは日本によく混ざってる)から、どうやら到来したと考えている。ただし、沖縄の古代の住民がまさにこのオーストロネシア的な特徴を持っていた可能性もある。既に港川人がオーストラロメラネシアンに近いと言われてたわけですから)
  • 全体的に見ると、D1b1aは西(南)寄りに多く、東北より北では少なくなる。ただし一番全体比率が高かったのは北関東(群馬の影響)。南で少ない内部比率になってるのは、四国と甲信という地理的に独立性のある地域。ただし沖縄は別で普通に多いが。
  • ここで重要な注意点として、北の日本海側だとか東北のデータはあまりない。そして青森は南東北より多いことから、この日本海ルートが問題であるようだ。
    例外的にある日本海側のβ版北陸データの内部比率だと、D1b1aは決して少なくない。

    (なお、このデータの未調査地域は次の図のグレー地域。この図の詳細説明は後でやります。*8
    f:id:digx:20161221161339g:plain

  • D1b1は東北より北に多いが、四国でも多いなど南でもそれほど減っていない*9。そして韓国の内部比率も高い。ところが、(β版でないとわからないが)関西と北陸で比率半減の非常に興味深い穴がある
    北陸はさておき*10、関西すなわちヤマト政権の中枢では何らかの歴史的事情との関係が疑われる。
  • D1b(2)は全体比率だとアイヌに多いが、意外と北で少ない場所があったり、内部比率でアイヌ並みに多い場所が散っていたり、こちらもしっかりと南まで分布する。問題の関西でも減ってる傾向はなく内部比率では多め。沖縄にも韓国にもいたりする。
    なお、D1b(2)の内部比率が多い場所は、揃ってサンプルが少ないという問題がある。そのためさらに調査すると(アイヌも含め)数字はずっと穏便になったり、傾向が変わってしまう可能性もある。(調査集団による差もあると考えられるところ)
  • 期待と違っていたのは、D1b(2)やD1b1(D1b1aはこの子孫のため基本的に同じルートと考える)が沖縄からアイヌまでしっかりいて、南北どちらから進入したかがわかるような分布を持っていなかったこと。ただし、日本で考古学的に古い人類の存在証拠があるのは北海道ルート側じゃなく南である以上、古いD1bは南からだと考えるのが筋。アイヌに多いのは、古い者ほど遠くへ行く周圏説で普通に解決できるんです。
    また、D1b(2)とD1b1が南北異なった方向から違う時期に進入した可能性はそんなにないとも考える。理由は、お互いに排除するような傾向は特に見られず全体的に共存していて、別集団として長い年代を過ごし別経路で進入したかけ離れた存在には見えないことにある。このため両者の分布にも南北の方向性の違いは見えないのだろう。
  • 内部比で、β版だとほぼD1b(2)二割弱・D1b1三割弱・D1b1a五割強の地域が、一部の例外を除いて南関東から海を越えた沖縄にまで拡がっている。これは、この混合比率の集団が全国的に繁栄した(しかも沖縄にまで到達した)ことを意味するか。(偶然比率が似ることももちろんあるが、一箇所でなく多数の箇所で偶然の一致の起こる可能性のほうが少ないはず)
  • 韓国での内部比率は、D1b1aが少なくD1b1は多いという重要な違いがあり、少なくともこのD1bは近代の侵略の影響のみではないようだ。古代の場合、一部の特定の豪族だけが海外での活動に関係しているため、その影響で偏った比率になることも考えられる。
    ちなみにKimの韓国の506サンプルデータでD1b全体は1.6%だが、地域別に調べていて、西南の全羅道で3.3%、東南の慶尚道で2.4%に達していた。しかしソウル周辺では少なく、この南寄りの分布も古代の影響を示している。

    なお、日本に来ないで大昔から残り続けているD1b系統が大陸側にあるのかも問題。しかし今の調査データではわからない。韓国サンプルに、日本とは異なる、分岐年代が日本以上に古い集団がいれば証拠となる。(日本と共通する場合は後の時代に日本から移動した可能性がある)

  • アイヌと青森の間でも傾向は明らかに異なる。つまり、青森の蝦夷擦文人(アイヌの先祖)の間にも違いはあった、さらに縄文文化圏でも違いがあることから縄文時代にも違いはあったと考えられる。ただし、南東北*11のほうがアイヌと似た傾向を示し、青森はむしろ関東などに似ていたり、類似がとびとびな感じもある。(後の時代の影響もあるだろうが、詳しい考察はもう少し後で)

    なお、青森だけを特別扱いした理由は、この地域が『延喜式』の10世紀の時点でもヤマト政権に支配されていなかった蝦夷の地であることと、三内丸山遺跡など。日本海に面していることに大きな意味があるというのは、後で気づいたことだった。(だから、秋田とか山形の海岸部も、北海道西南部も問題だ)

ここにC1a1を加えるとこうなる。(β版と一気に並べよう)

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C1a1も、沖縄とか瀬戸内海周辺とか、おおむね西に多い。が、この九州データではそれほどでもなく、関東で少ない。そして青森など東北でまた増えるという傾向も持っている。

やはり日本海側のデータ不足は問題。D1b1aと同様、北陸は内部比率で見ればそこそこいる。そしてこちらもその日本海ルートの延長線上に青森などの増加傾向があるようにも見えるが、実際はどうなのか。

また、D1bだけのとき見えていた傾向は当然C1a1の影響で変わり、似た比率の集団が拡がったような傾向もあまり見えなくなる。もともと増えた年代の違いはあるから、動いたタイミングもD1b集団とは違って当然か。

なお沖縄はC1a1のルーツ(進入経路)の地か。朝鮮半島ルートや北海道ルートを示唆するような証拠も特に*12なく、C1a1に関してはこの沖縄経由の南の海上の道でやってきた可能性が高いわけだ。

(なお、沖縄本島や九州・瀬戸内海への移動時期がいつか、は別に考えるべき問題。増加した時期が4500年前と遅いわけだから、その時期までは本州(あるいは関東近辺*13)にいなかった可能性はある。なお、4500年前というのは時期的にオーストロネシア語族の移住時期に近くて興味深い*14

 

で、このC1a1と、さらにD1b1aは、どちらも海人の要素を強く持っていると考えられる。

なお、100%海人という意味ではなく、また他のD1b(2)とD1b1が海と無関係だという主張でもない。D1b集団は沖縄にまで同じような内部比率でいるわけだから、混合して渡ってると考えられる。
島国日本に来ている時点で、どんな人々も最初は海と関わりを持っていて、あとは程度や、時期による変化の問題というところ。

しかもこの両者、当たり前のように関西や瀬戸内海周辺に多い。

だから彼らもヤマト政権にある程度の地位で参加しているんじゃないかと考えられるわけだ。

そして縄文系統でありながら海人(縄文海人)だから、この人たちの果たした役割や影響範囲は大きな問題となる。

これら縄文海人は、ヤマト政権の時代だけじゃなく、縄文農耕とか縄文稲作でも問題になる。

ちょうど瀬戸内海の岡山あたりは、縄文稲作でも大きな問題になる地域なのだ。

 

ここで、Oだけど日本に特徴的に多い47zを含めて、D1b1aやC1a1などと比較した表を見せよう。

なぜこの比較をするかと言えば、この47zは、海を越えてきた渡来民(日本に来る渡来民は必ず海を越えているため、常にある程度の海人傾向を持つ、と考えられる)ではあるだろうけれども、他のOとは違う事情(政治的状況や移住タイミング)があって、それで日本で特別に多く増えている、と考えられるからだ。

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(今回はSatoのデータも含めて計算してます。ここで、略称「1a/DC4」はD1b全部とC1と47zを合計(DC4)した中でのD1b1aの内部比率を意味する)

ここで、対比のために並べたO(x47z)は47z以外のO全部の全体比率を意味していて、ここには47z以外の新しい渡来人の大部分がいるはずだ。*15

確かにこのO(x47z)は、トータルで中央も多い西高東低の傾向を持っていて、どうやら期待通り、新しい渡来人を多く含んでいるようだ。*16

では47zはどうか?

以前も分析したとおり、全体比率で見て47zは意外に東で多い傾向にある。そして中央の関西や中国地方では多くない。

内部比率で見ても、(47zはD1b1aよりも多いが)D1b1aやC1a1のほうが少ないながらも西に偏った分布を持っている。

これは、中央から東に移住しそこで繁栄した集団がある、ということなのか。それとも47zは、他の渡来人より多少渡来が古く、(古い分だけ他の渡来人より余計に増えられたということもありそうだが)東に追いやられているのか?

また47zは南北両端がどちらも少なく、意外?と沖縄に少ない。すると、若干沖縄との関係が薄いか、それほど海人傾向はないのかもしれない。

そして韓国には、比率としては沖縄より下だが、そこそこいる。実は、ベトナム(2.9%,2/70)やインドネシア(8.0%,2/25)にもいる。*17

47zの上位分岐O1b2も韓国・ベトナムインドネシアにいて、さらにミクロネシアにもいる。

すると47zを含めたO1b2系統もまた、オーストロネシア語族およびタイ・カダイ語族タイ語チワン語・リー語など。タイカダイはオーストロネシア語族と近く、まとめる説*18もあり)移住の一員という可能性もある。*19

ただしオーストロネシアと同じタイミングで沖縄経由で移住したと考える場合、沖縄で他の海人より少ないことがネックになる。沖縄で少ない理由が47zだけ特別にあるのか?

もちろん、オーストロネシアとはまた違う集団で、これもまた別のタイミング(似た時期でも別コース)の移住という可能性はある。中国で難民などで移住者が発生する時期はいくつもあって、その影響は一方面だけでなく多方面に及ぶわけだ。

殷の滅亡が3000年前でそれがちょうど弥生時代の始まりにあたってるが、その後もそれ以前もいろいろある。

しかし、47zのルートとしてはやはり朝鮮半島コースが本命か。

そして朝鮮半島との交流も縄文時代からあるとされ、こちらも縄文渡来民があり得るんです。

 

全体的な傾向をつかんだところで、もっと細かく地域的な傾向を……と思ったが、順調に長くなってきたからここで一旦切りを付けよう。 

 

使った論文は以前のY染色体構成及びβ版と同じだが、細かい分類の使えるものを選んで使ってる。

  • Nonakaの引用してる他の論文のデータ。ここにあった未使用だった韓国のデータも使った。なお、表に入れてない台湾のデータもさらにあり、D1b1該当のM116のところにデータ総数183では出るはずのない0.3%(1/183は0.5%ちょっと)という謎の数字が書かれていた。台湾の他のD1bは0。日本が近年支配していた場所でもあるため評価不能とする。
  • Naitohの、Nonakaと同じサンプルの分析データはこちらを使用。
  • Hammer et al. 2006。(なおKarafetベトナムで同じ数字のデータを出してる。同じサンプルデータか確認できてないが。他にもミクロネシアO2b1の微妙に違う数字のデータあり)
  • yfull1000 Genomes Projectデータ。
  • Koganebuchiアイヌデータ。
  • β版*20

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  • SatoはD1b1(D1b2)を調べてないが、D1b1aは調べてるため一部参考にしてる。(ところで、改めてデータ見てて論文がサンプル総数間違えてるのに気づいてしまった。正しくは、徳島が398あって、全国合計も2400ちょうどとなり、どうもこのきりのいいサンプル数だ。もともとサンプル数の多い徳島だから、数字としてはそんなに影響ないけど、昔の記事を直すのが結構面倒)
  • Kimも細かい分類はないが地方別データのほうを使用。

*1:なお、分岐図上にある「JPT」は1000Genoのデータで、東京のサンプル(JaPan,Tokyo)を意味する。一つだけあるJPN[JP-23]は愛知。

*2:これは、D1b・D1b1レベルを調べてあるデータがいくつか手に入ったため、「D1b1ではないD1bは、おそらくほぼD1b2」ということにできるから。ただしまだ未分類・未発見要素もある。(特にD1b2自体の区切りとなっている変異マーカーは変わりそうだ。このもっとも最初の分岐マーカーは、ずっと研究が進んでから確定できるところだから)

*3:図の中にはM151という系統もあるが、これはISOGGではD1b1c以下で、(D1b1c1a1a-CTS6609と同じレベルに並んだ)D1b1c1a1cのところに書かれている。

*4:最初の系統は分岐図上は一番古い系統に見える。が、部分的には新しい可能性もある。D1b2集団の拡がった年代はまだ計算されておらず、この増えた時期自体は新しいのかも知れない。しかし未分類・未発見部分に最古の系統がいることも期待できる。

*5:故に、この年代(など)が計算されることで上位のD1b1の年代にも影響が及ぶ可能性がある。

*6:ぶっちゃけこれは、いると予測してるんです。見たADMIXTUREもそう考える理由。詳しい話は別の機会となるが、それまでにも必要に応じて知識を書いていく。

*7:ところで、方言区画の日本海側の状況って面白いと思いませんか? 北前船の影響もあると思いますが、『砂の器 』で有名になった出雲のズーズー弁もあります。

*8:白地図データはhttp://www.craftmap.box-i.net/より。

*9:多い北海道は旭川の201サンプルを含むが、新しい北海道移民などが入っているため注意が必要。しかし、東北と北陸からの移民が多いと聞いてるが、D1b1が悩ましいほど多く、逆にD1b2は少ない。アイヌ及び渡党の子孫の影響か?

*10:日本海側で使える充分なデータのある場所はβ版富山しかなく、これが局地的傾向か日本海側全般に拡がる傾向か明らかでない。富山以外の日本海側サンプルを合計してみたが、わずか17サンプル中D1bは5ですべてD1b1a。ただしSatoが出しているサンプル数530の金沢データ(D1b1を調べていないため使えず)では、D1b1aの内部比率は93/173=53.8%とごく普通の比率に落ち着いている。D1b1aがそれなりにいるのは確かだが、他もいるだろう。

*11:この南東北データは青森以外の東北すべてを指す。ただこれは大部分宮城のデータ。

*12:韓国の済州島にもこのC1a1はいたが、その論文のC1の図で日本の集団の中の普通の位置にいた。するとこのC1に関しては日本起源と考えられる。

*13:日本人で調べられてるのはたいてい東京のサンプルだから、沖縄や瀬戸内海で調べると多少違う年代の出ることは考えられ、それがその地域で増え始めた時期を大まかに示す、ということになるだろう。関東は何故かC1a1の少ない地域であるため、そこに特別な理由の絡む可能性にも注意したい。

*14:実は、日本のC1a1に近い親戚がまだ中国の未分類C集団にいる可能性が残っている。この場合、C1a1はオーストロネシア語族と一緒に移動した可能性も出てくる。ただしC1a1が先に沖縄に来て生き残っていて、この時期に沖縄でオーストロネシア人と出会って混合し移動し始めた可能性もあるが。

*15:ただし他にC2やNなどの渡来人もいる。またO(x47z)にも、古くに日本にやってきた、オーストロネシア語族系などの「縄文渡来民」と呼ぶべき存在が含まれていると考えられる。

*16:あんまり差がないのは、まだ新しくない渡来人がまだ含まれているためもありそう。Oから、東に多い47zを意識的に取り除いたことで、わかりにくかった西高東低傾向が見えてきたわけだから、同じことを繰り返せばもっと強い傾向になるわけですよ。

*17:これはHammerのデータで確認できる。

*18:これをオーストロ・タイ語族とする説もある。しかし、タイカダイをオーストロネシアの一員に含んで台湾語群より後で分岐したとする説(これとか)もある。どちらにしろタイカダイはオーストロネシア語族に近いようだ。

*19:なお、大陸にいた時点ではオーストロネシア語族(さらにオーストロ・タイ語族)のさらに祖先言語とすべきところか。タイカダイとまとまる先で、さらに他の語族(オーストロアジアやモンミエン)とまとめる説もちゃんとあり、このあたりやシナ・チベット語族などとまとまる段階こそが本当の問題かも知れない。そしてこのへんのレベルまで行けば日本語・韓国語などの分岐も視野に入ってくる。タイカダイのwikiにO1b1・O1a・O2がタイカダイって書いてあるけど、このOの残りにあたるのがちょうどO1b2なんです。

*20:細かい分析をすると主要戦力となるため、本当は正式なデータを確認すべき。ただし元データの論文がこのレベルまでの解析をしているか不明。Nonakaの論文がそうだけど、データを引用する別人の論文のほうで細かい解析を出してる場合もあったり、必要な解析のある論文を見つけるのは大変。どうにかならないものか。