中国古代文明側の可能性追求――遼寧省錦州市のY染色体ハプログループC1a1の由来はどこにある?
つづきを予告していた記事です。
「Liaoningさんと東京の4人との分岐年代は5500年以上前を示唆するか*1」ということになると――その約5500年前あたりにC1a1が中国側から日本へ渡来した/中国側のどこかでC1a1が分岐した可能性はあり得るのか?
なお今回の記事は、自動的に、C1a1限定の話でなく――5500年前程度の時代に、中国側から日本へ何者かが渡来した可能性はあるか?――を追求するためのリストにもなっている。
また、話の展開で、イネなど栽培植物がどのように伝播しているのかもちらっと触れることになる。
そしてさらにこれは、自動的に中華文明の形成を探る話に繋がっていくことにもなる。
実はこの約5500年前あたりという年代が、ちょうど面白い時代に当たっているわけだ。
*1:原文では、「I suspect the findings suggest it has been about 5,500 years or more since you last shared a common grandfather with the 4 Japanese men. 」
アンダマン諸島のY染色体ハプログループD系統の解析
前回の最後に書いた事の答えは、タイトルの通り。
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2018/4/3追記。Y-Full見たら、日本のD-M64.1の前側にアンダマン諸島の方々が来てた。ということは、今後日本のD1b-M64.1は、少なくとも一つ伸びてD1b1かD1b2ぐらいになるでしょう。
Y-FullでDの分岐の根元に表れた人々の正体は、昔から知られていたがずっと未分類状態だった、アンダマン諸島のジャラワ族・オンゲ族だった。
このY-Fullのデータに、元の論文及び公開データ*1から、族名とミトコンドリアハプログループ*2を書き足そう。
- D-Y34637 formed 45200 ybp, TMRCA 4500 ybp
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- D-Y34960 formed 4500 ybp, TMRCA 425 ybp
ERR1813573 IND [IN-AN] ジャラワ族JAR-61 mt-M32a
ERR1813572 IND [IN-AN] ジャラワ族JAR-54 mt-M31a1b - D-Y34670 formed 4500 ybp, TMRCA 1050 ybp
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- D-Y34670*
ERR1813570 IND [IN-AN] ジャラワ族JAR-27 mt-M32a - D-Y35019 formed 1050 ybp, TMRCA 275 ybp
ERR1813579 IND [IN-AN] オンゲ族ONG-9 mt-M32a
ERR1813577 IND [IN-AN] オンゲ族ONG-4 mt-M31a1b
- D-Y34670*
- D-Y34960 formed 4500 ybp, TMRCA 425 ybp
データ http://www.ebi.ac.uk/ena/data/view/PRJEB11455 (European Nucleotide Archive)
見てわかるとおり、共通祖先年代に大きなボトルネックがあり、調べられた集団は滅びかけたことがあるようだ。
地理条件から推測すると、津波(及びその後に起こる様々な災難)の影響か。スマトラ沖大地震でも、インド洋東側の小規模な先住民集団は被害を心配されていた。(BBC Andaman aborigines' fate unclear)
ということは、まだブータンの問題のDは解析されずに残っているわけだ。
そしてこの論文にもこんな図がある。
デニソワ人・ネアンデルタール人と並ぶ位置にある”Unknown Southeast Asian”がポイントで、これがチベットビルマ語族・アンダマン諸島人(総称)・インド人・パプア人・アボリジニ*3に影響を及ぼしているという。
それにしてもこの”Unknown Southeast Asian”は、どうやら前回の、12万年前の早い時期に出アフリカした人々に当たりそうだ。(現生人類の出アフリカも図の少し新しい時代の位置にある)
なお、デニソワ人とアジアの先住民族全体との関係は、次の斎藤研究室の論文(2017)の図が詳しい。
Mly-NNはマレーのNon-Negrito(ネグリト以外)。Phil-NNはフィリピンのネグリト以外。
なお、図中のネグリト=Andamanese・マレーシア(Jehai,Kintak,Batek)・フィリピン(Aeta-Agta,Batak,Mamanwa)・Papuan-Melanesian。*4
最も影響が出てるのはパプア人で、その次にフィリピンのアエタ族が来る。アンダマン諸島人も、強くはないが影響はある側にいる。
しかし、氷河期に陸続きになったスンダランド系への影響は薄い。
つまり、陸続きにならなかった東南アジアの離島側集団にデニソワ人の影響が比較的強めに出ている。また、視点を変えると、時代が古めのネグリト側のほうが影響が強いようでもある。
そしてこれが、前回書かなかったが、デニソワ人(あるいはデニソワ人の影響が非常に強いデニソワ系集団*5)は南方の東南アジアにもいたのではないか、とされる理由なのだ。――なお、デニソワ人とパプア人の関係は以前から知られていて、以前の記事でも触れている。
ここで、西にいるアンダマン諸島人も影響が強めであるため、デニソワ系との接触は、東南アジアの本土側で起こった/スンダランド圏は後から来た者たちで影響が薄まり、ほぼ消えた、ということになるんだろう。
ニュース:現生人類、「出アフリカ」は一度だけではなく、約12万年前から始まっている
少し遅れたけど、わかり始めてたことを、現時点で学者がまとめた研究報告のニュースです。
今回は、このニュースと該当論文以外の話もする。
現生人類、「出アフリカ」は一度だけではなかった 研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
【12月8日 AFP】人類がアフリカを出て移住したのは約6万年前の一度だけという説はもはや正確な人類史とは考えられないとする研究報告が7日、米科学誌サイエンス(Science)に発表された。
研究によると、現生人類の拡大をもたらしたのは、約12万年前から始まった複数回にわたる移住だ。
DNA分析や化石同定技術の発達、とりわけアジア地域における発見が、人類の起源についてのこれまでの認識を見直す一助となっている。
研究によると、現生人類ホモ・サピエンス (Homo sapiens)がアジアに到着したのはこれまで考えていたよりずっと前であることが、過去10年間の「大量の新発見」で明らかになったという。
中国の南部と中央部の複数の場所で、約7万~12万年前のホモ・サピエンスの化石が見つかっている。また発見された他の化石は、現生人類が東南アジアとオーストラリアに到着したのは6万年前よりもっと前であることを示している。
元の研究報告はこちら。
On the origin of modern humans: Asian perspectives | Science (Christopher J. Bae, Katerina Douka, Michael D. Petraglia)
ただし、この報告を必要以上に細かく読む必要はないかもしれない。英文の上に、あらまし以外を見ようとすると有料だったり。また、これが「まとめ」である以上、報告されてる要素の一つ一つは既に発表されてるわけだ。
それに、今回の件に関しては別のリリースもある。
こちらが、マックス・プランク人類史学研究所(Katerina Douka, Michael D. Petraglia所属)のニュースリリースだ。
※なお、この図は学者の意見が一致しない「可能性」の要素も描いたようだ。これは……研究を促すためなのか。(デニソワの問題はこの後まとめる)
このリリースには――未解決の問題が残っていて、アジアで新しいリサーチが必要であるとか、複雑な人間の分散モデルを開発する必要がある――などと書かれている。
さらに、少し前に同じメンバーが報告を出していて、問題の研究報告がどういった事柄(論文)を元に書かれたか、こちらで一通りわかるようだ。
Human Colonization of Asia in the Late Pleistocene: An Introduction to Supplement 17 (Christopher J. Bae, Katerina Douka, and Michael D. Petraglia)
似た内容の図もある。(違う部分が今回の意図的なところか)
ここで元になってる発見や論文は、一部は自分もニュースにした。
ヒトが初めてオーストラリアに到達したのは約65,000年前だった
スマトラ島でも73,000~63,000年前の化石発見――続報:ヒトが初めてオーストラリアに到達したのは約65,000年前だった
西アフリカ・モロッコの30万年前のホモ・サピエンスも「類人猿はどこから「ヒト」なのか? (分類編)」の最初で触れてる。
(確かに、これらはみんな今年のニュースだったわけだ)
そして、中国南部の8万年以上前の化石人類など、近年中国で出た化石も、今回の記事の問題に大きく関係している。
上のニュースは2015年だが、今年2017年3月のニュースもある。
これは、「デニソワ人かも知れない」というところが重要なところ。
この他、デニソワ人だけでなくネアンデルタール人やフローレス原人や、その他アジア各地の化石人骨が、今回の記事に関わってくる。
また、引用されてる中に海部さんの今年の論文もあった。
これが、 “Southern Denisovans”――未確認の「南方のデニソワ人」に関する論文だ。
そして、実はこのデニソワ人こそが、重要な未解決の問題の一つなのだ。
この、「南方のデニソワ人」がちゃんと確認できていないために、今の学説は、「北方のデニソワ人」のみが確実な状況で組み立てざるを得ない、不本意な状況になっているわけだ。
デニソワ人の問題
確実なデニソワ人は、北方のロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟でしか見つかっていない。
しかも発見されているのは、わずかに「歯が3つと指の骨のかけら1つ」*1だけなのだ。
ただ、このたった4つの骨それぞれの遺伝的な解析が可能だったために、ネアンデルタール人とも現生人類とも異なる「デニソワ人」として、これらが認識されているわけだ。*2
しかし、その姿はほとんどわからない。ほぼ歯しかないんだから。他の化石と比較して姿を再現することも難しい。
しかも、このデニソワ洞窟のデニソワ人と、南方など他のデニソワ人は、形態が違う可能性もある。
ということは、他に「デニソワ人」と言える化石があるのか/逆に確実に「デニソワ人」ではないと否定できるのか、今の状態では、ほとんどわからないわけだ。
遺伝解析できない限りは。
そして、ここからが重要だ。
デニソワ人は、遺伝的証拠からすれば、南方(東南アジア方面)にもいたはずなのだ。
しかし現状では、デニソワ洞窟以外の「デニソワ人」は、確実には存在証明できていない。
ところが、「デニソワ人」の真の姿がわからないわけだから、今のところ確認できていないだけで、「デニソワ人」は既に発見された化石人骨の中に潜んでいる可能性もある。
そして、そういう状況だからこそ、「確実なデニソワ人」の発見も求められてるわけだ。
今回の記事は、まるで今年のまとめ記事のようだった。
でも、まだ多少関係ある話題が続きます。Y-Fullでずっと分析中だったDの正体がわかった。
*1:ここで、4番目のデニソワ人の「確認」も今年の論文(A fourth Denisovan individual)。
*2:なお、図にあるSima de los Huesosは「考古学的な遺伝証拠はどのぐらい古くまで残ってるものか?」などで扱った、43万年前のスペインの化石人骨。