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知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

カミの遺伝学的解析――聖樹布と禁忌の民

古代史 日本人 言語学 遺伝学 神話 術式 人類 伝承

そろそろ南方の話をしたい。そしてその流れで、以前D1b関連で見せたこの記事と別の直リンクADMIXTUREの説明もしよう。

しかしその前に面白い論文を紹介したい。これも南方の話だ。

今回の論文は海外の研究者が書いた物であり、日本の古代の知識には期待できないわけで、やはり突っ込んだ話は書かれていない。

だがこの論文は、日本人にとって極めて重要なことを示唆している。

(2/4 物部氏の話などちょっと追加。2/9 魏志倭人伝の引用部分変更)

 

その論文はこれだ。

A holistic picture of Austronesian migrations revealed by phylogeography of Pacific paper mulberry

タイトル中の"Austronesian migrations"は、これまでも繰り返し触れてきた、オーストロネシア語族の移住を意味している。

問題は、タイトルの最後にあってこの論文の主題の、"paper mulberry"。

f:id:digx:20170108224922j:plainwikipedia

この"paper mulberry"(学名Broussonetia papyrifera)は、日本語で「カジノキ」を意味している。

そしてこのカジノキ(及びコウゾヒメコウゾ)の繊維は、木綿 (ゆう)*1と呼ばれ、日本では古来から布(太布(たふ)、(たえ/たく)、栲布(たくぬの))や紙(いわゆる和紙だが、紙垂(しで)も作った)の材料となっている。

(参考に。現在も太布を作っている阿波徳島の人のお話

f:id:digx:20170120135259j:plain紙垂とは御幣などの紙部分(wikipedia画像引用)

ここでまず、カジノキとコウゾと木綿 (ゆう)の関係について説明が必要となる。

木綿 (ゆう)の説明を見ると、原材料は「コウゾ(楮)」となっている場合が多い。しかし実はこのコウゾは、カジノキ(Broussonetia papyrifera)とヒメコウゾ(Broussonetia kazinoki)の雑種*2だとされる。つまりコウゾは、カジノキとヒメコウゾどちらも含んでいるとされるわけだ。

魏志倭人伝にも「木緜招頭」と頭に巻く「木緜」の布(風俗博物館にこの説明と復元姿がある)が登場していて、この種が何なのかが問題となる。*3

なお、カジノキの実は縄文時代の遺跡出土物として確認できる(コトバンクなど)という。

――ただし、当時カジノキの皮を剥いて繊維を利用していたかは定かでない。しかし鳥浜貝塚で縄や編み物(大麻の繊維だとか)が出土しているなど、相当に古くから樹木の繊維を利用していた証拠はある。そもそも縄文という名称自体も「縄」模様由来で、繊維利用の歴史は非常に古いわけだ。

 

そしてこの、各地のカジノキ(Broussonetia papyrifera)の遺伝情報(chloroplast(葉緑体) ndhF-rpl32 sequences)を解析したのがこの論文で、結果としてとても面白いデータが出たわけだ。

日本にある薄い水色系統に注目していただきたい。(なお、最も古いルーツ系統は黄色20番とされる)

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f:id:digx:20170108221856j:plain

驚いたことに、日本の東京にあるカジノキ(28・42番)と結びつく系統は、遙か西南の広東省(Guangdong)まで行かないと見つからない。もっと近い中国北部や台湾などのカジノキは別の系統なのだ。

――なお、ハワイの水色41番系統は中国(広東)か日本の近現代の移民が持っていたのではないかと書かれている。ハワイには黄色い20番もあるから中国広東(ハワイの中国移民は75%が広東から、とwikipediaにもある)と自分は考える。このあたりは、近現代になっても移住時にカジノキを持っていく文化があったかが問題となる。そしてこれは同時に、移住時にカジノキを持っていく文化・習慣が(大昔から)ずっと続いている可能性も示している。

 

もちろんここには、いつもの不在証明の問題が降りかかってくる。どんなものでも、未調査地域(調査から漏れたあらゆる場所)に無いとは言えないのだ。もっと東の未調査地域(朝鮮半島含む)で薄い水色系統が見つかる可能性はある。*4

また逆に、日本本土は東京しか調べていないため、他の地方には別の系統があるのかもしれないわけだ。

後で詳しく書くが、このことが大きな問題となる。またこのとき、混同される別種ヒメコウゾの存在にも注意が必要。

 

しかし、広東省及びその西の広西チワン族自治区から複数種類(薄い水色で最もルーツに近い31・日本と共通の28・そして27・32)の薄い水色系統がいて、同時に台湾から近いシアン(青緑)の親戚(5・8・6・7番)系統が見つかり、さらに琉球先島諸島*5にも5番系統があることは重要だ。

また、全体で最も古いとされる黄色20番系統など、それ以外の系統が中国南部から拡がっていると受け取れることにも重要な意味がある。

この論文は、「カジノキがオーストロネシア語族の拡散に伴って拡がった」とするものであるため、中国南部から台湾を経由してオセアニアに拡がっていく、という過程を推測し記述している。

――場所をもう少し正確に書いておくと、広東広西など中国南部でも西寄りの、イネの起源でもY染色体ハプログループOの起源でも問題になる、現在タイ・カダイ語族(この語族がオーストロネシア語族に近いという話は以前もしたことがある)のいる地域あたりから、カジノキも拡がっているように見える。

結局このカジノキの拡がりは、5000年ぐらい前に台湾から南に拡がった、オースロトネシア移住の波に伴ったものとして解釈されているわけだ。

(そのためもあって、日本のことはそれほど深く触れられておらず、追及する余地があちこちに残っている)

日本の系統も、琉球先島諸島に近い系統が見つかって中国北部は異なる系統だということもあり、また植物ゆえに気候の違いによる育ちやすさの違いもあり*6琉球諸島沿いなどの南寄りのコース*7で来たものだと考えられるわけだ。

実は、遺伝子だけでなく、その名前にも結びつきがあると考えられる。

カジノキから作った布は、オーストロネシア(タヒチなど)で「tapa」(タパ英語版はこちらと呼ばれる。

日本では太布(タフ)と呼ばれたり、妙・栲と書いて「タエ」と呼ばれている。

実はこのタエは、万葉仮名で「多倍」や「多閇」と書かれており、ハ行転呼などを受ける前はハ行で「タヘ」と発音されていた。(想定される変化は、タヘ→タウェ→タエ)

それだけではない。実は日本語のハ行は、唇音退化と呼ばれる現象により、さらに遡るとパ行で発音されていたと考えられている。

wikipedia唇音退化の項目には、花がパナ・貝がカピと推測される例がある。またあのヒミコもピミコと発音されていた、などと考えられている。

つまり――太布(タフ)・妙(タエ)は、昔は「タプ」「タペ」と発音されていた、と考えられる。

tapaと同じルーツを持つらしきカジノキの布が、似た発音を持ってた、というわけだ。

なお、wiktionaryでも先ポリネシア語のtapaが推測されている。そしてここに、"edge; boundary"(端・境目)という意味が付け加えられている(この意味はマオリ語のtapaトンガ語のtapaにあるようだ)ことで、思いつくことがある。

日本語には、tapaの音が入れ替わった(音位転換)「パタ」に由来する可能性のある機織りなどの「ハタ」もあるのだが、このハタも端・肌*8のような、面構造(三次元空間における二次元境界)のハタになっている。そしてこの面構造・境界解釈は、ハダも含めたハタの音のたいていの語に通じるのだ。(実はフタとかヘタ下手でも)も通じる範囲にある。境界()という意味ではハシ(→橋・挟む)・ハツ(初・果つ(果て)・泊つ→波止場のハトだとか波津羽豆岬幡豆郡などの地名はこれが由来か)・フチあたりもある)

また、この境界の意味と日本の関連語の例を合わせて考えると、tapaはまさに禁忌タブーtaboo。この語源は直接はトンガ語のtapu)とも関係するのではないだろうか? このtapuもポリネシア一帯に拡がる語だ。(Reconstruction:Proto-Polynesian/tapu - Wiktionary)

――ところで、マオリ語のtapaの意味にlabia(陰唇)が入っていることも面白い。日本語にも「ホト」(これもハタの母音交替)があり同時に水辺の「ほとり」も「ホトケ」もあるが、これらも生と死の境目に関わる。そしてこのホトを傷つけて死ぬ女神・姫(イザナミワカヒルメ倭迹迹日百襲姫)・生み生まれる姫(セヤダタラヒメとホトタタライスキヒメ)たちが多く登場するのは、日本神話の大きな特徴となっている。ホトは子供も包む生死の境目であり、それ故に傷つける表現が登場する、ということか。

――天皇の即位儀礼大嘗祭の中に夜具のが登場するが、これは天孫降臨において誕生した皇子を包む真床追衾(まとこおうふすま。海幸山幸にも登場する)と関連するのではないかと説かれる。詳しい事情は後述するが、この衾も繋がりを持っていそうだ。なお真床追衾は、同じく大嘗祭天皇の着る「天の羽衣」(参考)だとか、『竹取物語』のクライマックスに登場する「物思いの無くなる天の羽衣」(これ怖ろしい衣だよ)などとの関係も説かれている。

(実は、問題の「物思いの無くなる天の羽衣」のシーンが見たかった)

 

話はまだ終わらない。

このカジノキは、日本神話の極めて重要な部分と関わってくるのだ。

実際、ここまでの話でも神道と関係を持つ物が多く登場している。またwikipediaには諏訪大社梶の葉紋梶の葉紋に関する別記事。一般的梶の葉紋はこちら(wikipedia)だと書いてあり、この周辺も気になるだろう。

――ただし、諏訪の伝承はそれほど古い時代でなく、さらに家紋そのものの歴史もそんなに古くまで遡らない。

だが、ここにもっと問題の大きな話がある。

天孫降臨に登場して祭祀を行うフトダマ天日鷲神と、その子孫とされまさに神へ奉献する幣帛(神に捧げる物品)を作るとされた忌部一族(インベ。後に斎部表記となる)だ。

特に阿波忌部やその祖神天日鷲神は、木綿(ゆう)と関わりまさにカジノキ(榖(カジ。漢字の拡大*9)と結びつけて語られている。また阿波の忌部神社も梶の葉紋*10を使っている。そしてこの阿波忌部は、当然のように大嘗祭などの各種布類にも関わってくる。wikipedia忌部神社(吉野川)の一節延喜式原文だとこのあたりから(国会図書館))・三木家住宅の説明にもある)

つまりカジノキという聖樹のルーツ問題は、天孫降臨や、天皇家も含めた神道儀礼の問題に関係してしまうのだ。
――ただし自分も、書かれた天孫降臨のすべてが中国南部からだと考えているわけではない。忌部はアメノコヤネの子孫である中臣藤原一族)と宗教的役柄で争い衝突する関係にあったり、それ以前からアマテラスとスサノオの文化の違いの見える対立関係があったり、既に複数系統が混在しているように見える。この時点でも、時代や経緯の異なる渡来話がまとめられている可能性はあるわけだ。(古代系統D1bですら海を渡っているわけで、そこにもとんでもなく古い渡来伝承があって不思議ではない)

忌部一族自体と、カジノキ(榖)や麻など聖樹・聖樹布との関係について、まさにこの一族の斎部広成の書いた『古語拾遺コトバンクの説明を中心にして、『日本書紀』『古事記』なども参照しつつまとめておこう。古語拾遺現代語訳(ただし内容保証はできない神社サイト)読み下しローマ字対照(国会図書館)原文と講義(国会図書館)。もちろんこのあたりのことは、多数の書物や、wikipediaの各項目(「忌部氏」「天孫降臨」以外に神名・神社説明など)にも、それぞれごとにまとめて書かれてる)

  • まず、忌部(斎部)の先祖の天太玉命(アメノフトダマノミコト。太玉・布刀玉)は、『古語拾遺』とそれ以外で扱いが違う。天孫降臨に関してそれぞれの書物の記述で役割・位置付けや集団のまとめ方が異なっているが、玉造の先祖が玉祖命(『古事記』など)など忌部と関係ない存在となっている場合もある。
    ――これも複数系統が混在しているように見える問題の一環だが、誰が正統か、後の時代の氏族間の争いや主張の違いも重なってくるところだろう。
  • 高皇産霊神タカミムスビノカミ。別名高木神(名前の通り樹木信仰か*11)が天太玉命生むと、忌部の書いた『古語拾遺』には主張されているが、『日本書紀』『古事記』では両者の関係自体が記されない。
    ――太陽を生む樹木の扶桑伝承(これは羲和伝承も関係し、陶淵明この題材で歌ってる)を参照すると、そこにも樹皮を利用する話がある。扶桑樹の正体は諸説あるが、この「高木神」も一致するのではないだろうか。忌部の扱う「麻と木綿(ゆう)」が「朝と夕=日の出と日没」にあたり、太陽も「聖樹布」から生まれ沈むという宗教思想があり得る。前述の大嘗祭儀礼内容や真床追衾も参照のこと。天孫ニニギを真床追衾で覆っているのもタカミムスビ=高木神だ。ちなみに、三星堆遺跡の青銅樹がこの扶桑樹ではないかとされ、また馬王堆漢墓の副葬品の帛画(実はこれも「飛衣」だとか)でも右上に扶桑樹が描かれているとされる。どちらも長江沿いで、扶桑伝承は長江文明と関係するのではともされ、さらに長江文明オーストロネシア語族と関係するのではないかともされる。(オーストロネシア語族の移住年代に注意(ネイチャーアジア民族学博物館wikipedia日本語版。「台湾へ移住」/「台湾から拡散」の二種類の数字があることにも注意)。台湾への到着が6000年前(紀元前4000年は長江文明だと大渓文化中頃馬家浜文化終わり崧沢文化始まりに相当)などの数字があるが、これらは一番最初はいつかという推測であって、その後でも移住は多方向へ(戻る場合も含めて)起こる。故に良渚文化あたりも関係するだろう*12
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    画像は中国語版wikipedia青铜神树马王堆一号汉墓帛画より
  • 他に高皇産霊神生んだと書かれている(これ以降断りのない場合『古語拾遺』の記述)のは、栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト。ニニギの母。名に栲とハタが同居)と天忍日命(アメノオシヒノミコト。大伴の祖。久米も大伴が率いたとされる)。『古事記』『日本書紀』にも栲幡千千姫命だけ名前表記は違うがムスメ(あるいは一代挟んで孫娘*13と記述がある。またこの他に子としてオモイカネ(オモヒカネ)が記されるが、『古語拾遺』だけ両者の関係が記されていない。(ただし、他の神などには子孫など説明が付くのに、このオモイカネは説明抜きで唐突に登場するため、単純に書き忘れただけのようにも見える)
  • 天太玉命率いたとされるのは、阿波忌部先祖の天日鷲命(アメノヒワシノミコト)・讃岐忌部『竹取物語』と関係を持つとされる)先祖の手置帆負命タオキホオイノミコト)・紀伊忌部先祖の彦狭知命ヒコサシリノミコト)・出雲忌部の玉作り先祖の櫛明玉命クシアカルタマノミコト)。
    ――太玉と天日鷲はどちらも忌部の先祖とされることからすると、直接の血縁関係もしくは婚姻で結びついた氏族関係(この子孫が忌部という意味)にあたるはず。しかし「率いた」ともされており、率いる者と率いられる者がまとめて忌部と呼ばれた可能性もあって、本当の関係性は定かではない。他の忌部系一族も同様。(ただ、最初に直接の血縁関係がなくとも深い交流関係があるならば、結局は氏族間の婚姻で結びつく関係はあり得るところか)
  • 和衣(にきたえ)を織る天棚機姫神(アメノタナバタヒメノカミ)も登場する。ただし『日本書紀巻二第九段一書第一古事記』にも、アメノワカヒコの死んだ後の下照姫の歌の中だが「オトタナバタ」(実際は万葉仮名表記)は登場する。(『古語拾遺』にアメノワカヒコにあたる存在は登場しない(が、別名で繋がりのわかりにくい形で記された可能性もある)。しかしアメノワカヒコ伝承にも湯津杜木(ユツカツラ。これも海幸山幸にも登場する)という聖樹が登場し、まるで羿(ゲイ、Yì 。コトバンク説明。羲和伝承にも関わる)の射日神話のように、キジを射殺したあと高木神から反矢(カエシヤ)を受けてアメノワカヒコは死んでいる)
    ――そして七夕(これを「タナバタ」と読むのは日本だけで、中国の「七夕」に日本にあった「タナバタ」関係の習俗儀式などが習合したと考えられる)もまた、もともとはカジノキの葉に願いを書いていたという。(「(研究報告)七夕用語「梶の葉」の王朝文学における成立と、その後の流布と継承について」――ここにも書かれているが、御伽草子にも天稚彦草子という七夕伝承がある)
  • 長白羽神伊勢の麻績(おみ)先祖。伊勢で和妙(にきたえ)荒妙(あらたえ)を作るとされる人々)に麻を育てさせ青和幣(あおにぎて)を作らせる。天日鷲神に津咋見神*14を使わせてカジノキを育てさせ白和幣(しらにぎて)を作らせる。そして天石窟に隠ったアマテラスを誘い出すため、玉や鏡など他の物とともに、天香山(アメノカグヤマ)の五百箇真賢木(イオツマサカキ)に掛けさせる。『日本書紀』『古事記』の岩戸隠れにもこの和幣・玉・鏡など幣帛を掛ける五百箇真賢木は登場している。(なお、アメノウズメのホト晒しは、『古事記』ではこの岩戸隠れにあるが、『古語拾遺』『日本書紀』ではサルタヒコと出会う局面にある)
    ――この真賢木も、扶桑樹や高木神に見立てられた(太陽のかわりに鏡などを飾る)ものであり、だからこそ太陽神アマテラスを誘い出す効果があると期待されたのではないか。また、タナバタで短冊などを竹(樹木)に飾る日本の風習とも関係しそうだ。
  • 太玉命の子とはっきり書かれている者たちは別にいる。大宮賣神オオミヤノメノカミ)・豊磐間戸命・櫛磐間戸命(トヨイワマドノミコト・クシイワマドノミコト。『古事記』では合わせて天石門別神)。
  • 太玉命の孫の天富命(アメノトミノミコト)も登場し、この人物が天日鷲の孫を率いてカジノキと麻を植えて阿波を開拓したとされている。そしてさらに阿波(アワ)の忌部の一部を引き連れて安房(アワ)など總国安房・上総・下総。東京葛飾や茨城の結城郡含む)を開拓したとされる。なお、總(総)は麻を意味するとも書かれる。
    ――この天富命は鳥見山(トミ)との関係も記されており、その位置づけや特徴を考えれば、トミノナガスネヒコニギハヤヒ(実は日神だ)などと何か関係あるのか気になるところだ。彼らもニニギと同じ高木神の生んだ子孫であり(これは『古語拾遺』しか記さない忌部の主張)、天孫降臨にも先祖の名があり、天皇の即位儀礼が忌部の文化で染め上げられているのだから。(それと、もちろん船も木から造り、もともと航海術を持った海人であろう)(おっと、もう一つ忘れていた。ニギハヤヒの子孫とされるのが物部氏だが、やはり祭祀に関わったという話がある)
  • 日本書紀』には盟神探湯(くがたち)という神明裁判(熱湯に手を突っ込む)をさせる話があるが、このとき沐浴して木綿(ゆう)のたすきを付けるなども伝承として関係あるかもしれない。この探湯(くが)は後に湯起請となり、湯立とか湯立神楽という形になるが、そこでも御幣などを使って湯を播く。(探湯は扶南と関係するため、これはあえて書いた。詳細後述)

この忌部(斎部)は、その名までもがタブーの禁忌と直結する、非常に興味深い存在なのだ。(忌(いみ)とは - コトバンク

 

しかし、ここで大きな問題になることがある。

徳島のカジノキは、実際にはどんな系統なのか?

少なくとも東京に広東系統のカジノキがあることは確定していて、阿波(徳島)と房総半島は確かに忌部で結びつきカジノキと関係した伝承があり、阿波のカジノキにも水色の広東系統がある可能性は高い。

けれど結局、確かなところはわからない。違っているかもしれないし、複数系統が混ざって存在する可能性もある。

また、混同される別種ヒメコウゾの存在も問題になるだろう。

やっぱり、阿波にしろ、その他の忌部の地(出雲・讃岐・紀伊安房など)にしろ、また諏訪にしろ、調べなければ本当の答えはわからないのだ。

なお、栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト)の栲(タク)の発音は、韓国語のdakと関係するのではないかとされる。

しかしdaknamuがヒメコウゾを指し*15、一方カジノキはkkujinamuと微妙に似た音(この「クジ」も気になる音と意味を持つ)で表現され、どうもカジノキはdaknamuとは別だと意識されている。もちろん、コウゾ関連は似ているためどの地域でも混同されることがあるようだが。

ただ、少なくとも韓国にも移植年代は不明だがカジノキはあって、やはりその遺伝的解析が望まれるわけだ。

また、ここでもいつもの相関と因果の問題に注意して欲しい。このカジノキの場合、A→B・B→A・第三の共通祖先(共通語源)、それぞれの可能性を検証すべき状況にある。

実は、韓国にも南方からの渡来を語る首露王許黄玉の伝承がある。また、それほど極端に古い時代ではないが、『日本書紀』にも朝鮮半島西部の百済インドシナ半島扶南コトバンクの関係した記録がある国会図書館で該当部分訓読メコンプラザの解釈。そしてこの扶南は1世紀ぐらいから存在し、海上貿易で栄えた海洋国家であり、しかもインドの影響があるという。すると許黄玉伝承も本当のインドでなく、この扶南や、似た特徴を持つお隣のチャンパ(林邑・占城)などとの古い関係が考えられるわけだ。(なおこのチャンパも日本と関係する。奈良時代には平群広成が漂着し、渡来僧仏哲はチャンパの者だ)

そしてこの扶南は、日本と同様の探湯もあったと『捜神記』(搜神記原文該当部へのリンク)に記されている。(『捜神記』(アマゾン検索)は面白い伝承話いっぱいだよ)

この扶南およびチャンパ王国に注目する理由は他にもある。

どちらもアジア本土にありながら、大昔から航海の得意なオーストロネシア語族海人の国とされ、オーストロネシア語族チャム語チャム族(漢字表記が「占族*16。母系社会)が支配層だったとされるのだ。

ただし、どうやらチャム族主力のチャンパと、別の国である扶南は、また別のオーストロネシア系民族かも知れない。また地域的にクメール民族も関係するか。(Funan (Southeast Asia)#Origins_of_Funan - Wikipedia)

いや、それどころではない。

このベトナム周辺地域にも、日本や韓国にたくさんいるY染色体ハプログループO1b2はいたのだ。 この繋がりはいつ生まれたのか?

 

ただ、扶南やチャンパの位置は、東京のカジノキの指し示す広東とは違う。

ここには、――オーストロネシア語族は実際の所どう移住した*17のか、長江文明は本当に関係あるのか、中国南部からインドシナ半島の民がどんな運命をたどってきたか、そして広東のカジノキは結局いつどんな経路で日本へ移動したのか――など、いろいろ未解決の謎があるわけだ。

というわけで今後、続々と新しい論文の登場する課題のADMIXTUREに触れつつ、オーストロネシア語族など、南方の謎に挑むことになるだろう。

*1:ワタから作られる木綿(もめん、コットン)とは別物。

*2:この学名が逆転する混乱は、シーボルトが報告するとき、似ている上に雑種まである二つの種の対応を間違えたから。

*3:これは、最終的に木綿 (ゆう)原材料のどれかではないかとするまでにも一悶着ある。まずこの当時の中国で「木緜」が何を指すかという議論があり、「木棉」(キワタ・モクメン。Bombax ceiba。植物名としてはキワタノキとも。漢字表記が「木綿」でないことに注意)ではないかということになる。その後で、目撃されたこの材料種が実際は何だったかの問題となり、木綿 (ゆう)のどれか以外に大麻・苧麻なども候補に挙げられる。なお、このあたりの話は布目順郎『絹と布の考古学』(これは古いため新しい本を探すべきか。布目順郎で検索)に詳しい解説がある。(この本には鳥浜貝塚などの繊維の話やいろいろな遺跡の出土繊維一覧などもあるが、データとして古いことに注意が必要)

*4:ハワイの水色41番も、本来は大陸にもあるが未発見なのかも知れない。またここには、これらのカジノキが移植された年代まではわからないという問題もある。

*5:沖縄本島は調べられていない。

*6:日本の太平洋側あたりに存在する植物種を調べると、韓国には無いか済州島までとか半島南岸までとか、だいたいその付近に分布の北限があるものが多い。また同時に東北地方側でもどこかに北限がある場合が多い。これらは、大陸南方で東西に延び暖流の黒潮が沖を流れるという日本列島の地形条件が生み出す植物の事情というわけだ。

*7:この植物の生育問題と移動コースに関係しそうな話が、スサノオの神話(たとえば『日本書紀一巻第八段一書四など)にも記述されている。持ってきた南方の植物が北の寒い土地だと育つことを期待できないため、たとえ北回り航路は利用しても、初めから移住先としては意識的に暖かい南を目指す、という場合もありそうなわけだ。(魏志倭人伝にも「(倭国は)會稽や東冶の東にある」とされるように、中国には日本が南に延びているという間違った伝承も存在した。なお、実際の植物種の分布は、人と無関係で氷河期の海面低下時を中心に自然と拡がった場合も考えられる)

*8:古語拾遺』や『新撰姓氏録』にある秦氏(ハタ氏だが正式にはハダだとか)の命名譚が、織物に触れるが直接的には肌(ハダ)を由来としており、濁るハダとの関係も問題ないようだ。

*9:「榖」は「穀」と漢字は違うがどうしても混同される。中国の説明へリンク。違いの「」部分はイネ科植物の(のぎ)を意味するわけ。

*10:とも関わる(大麻比古神社)ため、麻紋のほうを使っている場合もある。(実はこの大麻の葉っぱの麻紋が、籠目紋にもダビデの星にも通じる問題のデザインだったわけだ)

*11:御柱祭諏訪大社も樹木信仰だ。

*12:なお、今のwiki日本語版の内容は問題がある。以前も触れたが、良渚文化(Liangzu)などは遺跡人骨も解析できていて、Y染色体O1aの多さなどいろいろな情報を元にオーストロネシア語族との関係性は推測されている。問題のミャオヤオ語族などや課題のADMIXTUREも含めて、そのうちこのあたりは詳しくやる予定

*13:日本書紀』の特に神話部分は、こういう異伝をいくつも併記してくれる貴重な書物となっている。ただそれでも、偶然か意図してか脱落する要素もあるわけだが。

*14:忌部神社の項目によれば、天日鷲の子にあたるという。

*15:別の紙の原材料ミツマタsamji-daknamuだという。

*16:南方からの仏教伝来の影響か。占城という漢語国号はサンスクリットチャンパーナガラ(占婆城)の音訳とwikipediaにあった。またチャンパは建国以前に日南の名で仏教関連の『後漢書』西域伝天竺国条に登場するという。まあそんなことを書きつつ、この人たちはもともと呪術者階級ではないかと考えているわけだが。

*17:海人は水上に住む場合もあって、あまり陸地に痕跡がない可能性もある人々(水上生活者)なのだ。モーケン族マレー半島西のオーストロネシア語族)とか、蛋民(中国南部海岸。既に漢民族化)とか、日本でも家船とか。