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知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

ミトコンドリア 西方遺跡データ

古い時代のヨーロッパからシベリアのデータを固め打ちで。

以前、モンゴルにもオマケがあると言ってたものの一つでもある。

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おおまかに地域別(中欧・南欧・東欧からシベリア・最後は紀元前2000年のシルクロードになっていて、どこも狩猟採集時代新石器時代以前)が一番古く(およそ紀元前5000年以上前、つまり7000年以上前)一番先頭にある。

狩猟採集時代以前の古い時代のデータも、Y染色体データ付きの表がある。

ただし数が根本的に少なくグラフに向かないから、表に色を付けた。ミトコンドリアの色はグラフと共通。またY染色体にも独自の規則性を持った配色で色を付けている。(なお、この表のデータに、グラフの狩猟採集時代データとして含まれている物がある)

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この領域の古い時代のミトコンドリアだらけ。しかし混ざっている少数も重要だ。

一つ注意。古い時代の物だけに、解析不可能な場合もあり、部分的にしか解析できてないデータもある。たとえばは、それ以上細かく分析できなかったからこの表記になっているため、下位系統の可能性もある。Y染色体のデータには、ほとんど解析できなかったという意味のBT(BからTまでのいずれか)やCTがある。

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f:id:digx:20160713190336g:plainYも統一ルール作った

だが古い時代の表の説明は後でやることにして、グラフのほうの説明をしよう。

(古い時代はY染色体ハプログループのほうが面白いデータだから、だいたいの説明はそのときね。ちなみに真ん中あたりにあるY染色体がRのMalta(Mal'ta)が、問題のバイカル湖近くのマリタ遺跡。ずっと下のほうにスペインのC1のLa Branaも見える)

 

西は、基本青いR系統に緑のN系統(問題のXは結構いる)が少し混ざるヨーロッパ的な世界だが、東欧では赤いM系統アジア系が現れるのがわかる。

ただし単調な変化ではなく、西シベリアで南シベリアより赤が多かったり、鉄器時代はおおむね赤が増えているが、西シベリアでは逆に鉄器時代の初期に青が一度盛り返していたりもする。

東欧にあるBolshoy Oleni Ostrovははるか北で、スカンジナビア半島の東北、ロシア側のコラ半島にある。狩猟採集時代東欧のデータにもこの近くの遺跡データが入っている。

Bolshoy=「大」、Oleni=「鹿」だがここは「トナカイ」、Ostrov=「島」で、つまりロシア語で「大トナカイ島」という意味。これは今もこのあたりにいるサーミの祖先にあたるようだ。古い時代の表にあるミトコンドリアで唯一のC(C1g。今はC1fと変更)のKarelia(8800-7950年前)もスカンジナビア半島の付け根の湖沼地帯にあたる地域で、この遺跡名はYuzhnyi(「南」の意味) Oleni Ostrov。このデータが実際は複数で、これが狩猟採集時代東欧の一部としてカウントされている。また、サーミの最近のデータはミトコンドリア世界地図にもあり("SA"がサーミのグラフ)、赤系統は10%ほどになりながらも入っていた。

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逆にずっと南の黒海近くにあったのが、ヤムナ文化(3600-2200BC。馬の家畜化をした有力候補)Catacomb culture(2800-2200BC)、さらにスキタイ(にあたるはずのデータ。古さは600-200BC)(間で抜けてるのはSrubna cultureで、後でwiki見たら遺伝データ出てた。これは青いな)

西シベリアカザフスタンの北にあたるため、西シベリアを通らない南寄りの東西交通ルートも当然あり、カザフスタン地域と南シベリアは直接の交流も可能だ。

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東欧からシベリアの地理関係はこんな感じ。赤字のところは具体的なデータの場所。バイカルの南がモンゴルで、南シベリアの南にアルタイ山脈があり、カザフスタンKAZAKHSTANの東南から南に天山山脈があり、さらに中国に繋がるウイグルタクラマカン砂漠などのシルクロード地域がある。

 

つまり、中石器時代までにはスカンジナビア半島に赤いM系統が到着していた。が、南は天山山脈近くのカザフスタンまで含めて、鉄器時代まではずっと青のR系統が強く、天山山脈の西を通る南北ルート(すなわちモンゴロイド仮説の想定する北方ルート)に、古い時代にM系統のいた証拠はないのだ。

データの上では、マリタ遺跡(24520-24090年前)バイカル湖あたりまで、古い時代はR系統の世界なのだ。(地図にある、南シベリアのAfontova Gora(16930-16490年前)は古い時代の表でマリタ遺跡の少し下にある。西シベリアより西のUst Ishim(47480-42560年前)は、表の一番先頭にある最古のデータだ)

ただ、M自体はヨーロッパの古いデータに見え、アフリカにもM1がいた。本質的にサンプルが少ないという状況もあり、過去のカザフスタンなどでのM系統の不在証明ができるわけではない。可能性の全否定まではできないのだ。

さらに、マリタ遺跡などは充分に古いけれども、グラフのほうのデータは氷河期が終わってからのもので、それほど古い時代の話ではない。既にこれらは、ベーリング海峡からのアメリカ移住などよりずっと後の時代のデータとなる。

今後、もっと古い時代の存在証拠が出てくる可能性もあるのだ。

ただしこれで、現在この地域にM系統がいるが、それはほぼ新しく移住してきた者たちである可能性が強く、古い時代の存在を示す証拠(論拠)にできない、と言える。女のミトコンドリアの場合は、もう後のモンゴル帝国などの影響を詳しく検証する必要は無いだろう。(ただ、モンゴル帝国の影響で問題になるのは主に男だ)

だが、ここで予想より少し早く、フン族匈奴より前のスキタイや、鉄器時代カザフスタンでM系統の増加は確認できたわけだ。M系統のユーラシア中央での西方への進出は、なんらかの形で鉄器時代の始まりと関係するらしい。
また、ユーラシア北方でのM系統C1はアメリカ組でもあるため、氷河期のアメリカが地続きの時期までに少なくとも極東北方にはいたことになる。
すると氷河期はずっと氷河の下だったスカンジナビア半島に、このC1は、氷河期の後の早い時期に北寄りのコースで東から西へ移住してきたようだ。

シベリアにもサモエドと呼ばれる集団(ミトコンドリア世界地図のMA(Mansi)とKO(Komi)が該当する)がいて名前からもサーミとの関係性があり得る。この名は犬の品種名としても有名。なお、C4cとD4以下にA2・B2もアメリカ組だから極東北方にはいたと考えられる。ただ、遺跡人骨は細かい分析のわからないデータが多くていろいろ言えない。スカンジナビア半島や西シベリアのDも、C1と同じように北を西に行った人たちだと考えられるんだけどね
→あ、もっと最近のデータ見りゃいいのか。サーミのDはアメリカと違うD5だった。するとこれも時期が違うのか。
もう少し後の時期で、トナカイ文化関連かもね。(下はトナカイと、アメリカのカリブーの、現在の分布)
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なお、N系統の場合は古くからある程度確認できるため、N系統がこの北方ルートで移住した可能性は否定できない。南の果てのオーストラリア先住民がN系統でも、古い時代に別方向に移動した集団はあり得るのだ。(この北方ルートN系統集団が東アジアに来るかはさらにまた別の問題だ。N系統アメリカ組のAが西に登場するのは、CとDの西での登場よりもさらに遅れるため、このAもモンゴロイド仮説に該当するとは思えない。このAも、タイミングと場所は違うようだが、ユーラシアを西に行ったと考えられるのだ)

 

ということは、現在利用できる証拠からは、まずはミトコンドリアにおいて、モンゴロイド仮説を支持できる集団のいた証拠がない、ということになったのだ。(わずかにN自体の可能性が残っているけれども)

実は、古い時代に移住している集団であるアメリカ移住者も、そもそも西では姿の見えないBも含め、ミトコンドリアのABCDまでは、東アジア北上ルートとしか考えられないのだ。(ただし、面白いことに男の事情が違うのだが、これはまたそのうち)

 

他の文化名の説明もしておこう。

最初のアルファベットが連続してるところはドイツの細かい文化名。有名なものもある(次の図のためあえて翻訳せず)が、検索してもあまりわからない名前があるので、引用論文の引用論文にあった説明の図を貼って説明にしよう。(こんなローカル文化ろくに説明書けないっす)

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ついでに有名どころの和訳とウィキへのリンク。Corded Ware culture縄目文土器文化、Bell Beaker Culture鐘状ビーカー文化

同じ論文に付いてた時代変化の図。(この図では馬の家畜化が、場所は同じだが少し古めの、紀元前4500年の黒海北・カスピ海の間のステップとされている)

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Funnel Beaker culture(4300BC-2800BC。漏斗状ビーカー文化)からはドイツの別の文化。

中期新石器時代ドイツ(4000BC-3000BC)。上の図のNeolithicが新石器時代にあたる言葉。

Pitted Ware culture(3200BC-2300BC。これはPit–Comb Ware culture櫛目文土器文化とは別)

あとは、時代名が一致する場合はだいたい同じ時代。

南フランスのTreillesは少し多め(しかもX2)。Majuさんの解説(地図あり)(これもY染色体もあるデータだったのか)

西シベリア(ノヴォシビリスク州の西)の名前の時代や文化は下の図が説明。ここは新石器時代のデータがなかった。

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この図中にもあるAndronovoアンドロノヴォ文化(継続期間は全体では2000-900BC)の中心地チェリャビンスク州南部シンタシュタはこの西シベリアより西のウラル山脈の麓近くにあり、これがチャリオット(戦車のような引き車)の発明や、クルガン仮説のクルガン(墳丘)と関係する文化だ。

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f:id:digx:20160706150911g:plainチャリオット伝播図

なお、西シベリアなどシベリアは、アンドロノヴォ文化の範囲ではあっても、チャリオット伝播図からは外れてたりする。影響は主に南のカザフスタン側だ。(地理障壁らしき大河の支流があるのが見える。この北はだいたいトナカイ文化圏だから、トナカイは棲めるけど馬は難しい環境だったって事か。トナカイと馬の境目で文化も変わるわけか)
このチャリオットの文化や、カザフスタンも、馬の家畜化に関係する場所として語られる。やっぱり家畜化の場所は、常に、家畜化の定義だとか、考古学証拠をどう判断するかによって変わるわけだよ。

Domestication of the horse - Wikipedia, the free encyclopedia

ところで、カザフスタンといえば例の地上絵が、だいたい紀元前800年とか問題の時期の数字が出ている。この数字を信じるなら、地上絵に関係するのは、このあたりの集団の最後か、それとも鉄器時代になってからなのか、ということになるだろう。この場所(googlemap1googlemap2)はカザフスタンでも少しチェリャビンスク寄りにある。

 

そしてこれらの後に鉄器時代が訪れ、最初に真の問題だったスキタイなどの時代があり、その後でサルマタイが登場する(先行してサウロマタイがいる)。東では紀元前4世紀から匈奴が登場し、西で紀元後になってからフン族が登場する。

問題のスキタイには東方起源説ヘロドトスの記述に遡る)が確かにあり、M系統が増加する遺跡人骨の遺伝証拠はこれを支持するわけだ。

ただこのあたりは、スキタイと同じだとも言われる東方のサカペルシャの呼称)だとかサカイギリシャ呼称)だとか塞(中国呼称で発音はsekに近いようだ)などもいて、各方面で記録された部族が同じものかは議論がある。名前の似てるのは匈奴フン族だけではないのだ。(この似た名前の問題は他にもあるため、別にまとめましょう)

また、鉄器時代シベリア南部やバイカル湖あたりも、匈奴に入るか、ウィキペディアに付いてる地図の線引きが非常に微妙な場所だったり、それぞれの領域もわからないところが多い。(まあ、だいたい支配領域は決定的な証拠がないものだ)

 

ついでに、ずっとミトコンドリアの話をしているんだから書いておこう。

黒海周辺にはアマゾネスの伝承もある。この地域では、女が戦いを主導してその存在領域を拡げていた可能性もあるのだ。