知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

遼寧省錦州市のY染色体ハプログループC1a1の由来はどこにある?(前編)

1.きっかけ

中国・遼寧省錦州市のLiaoningさんがY染色体を調べてC1、しかもどうもC1a1が出たようだ。

錦州市は渤海遼東湾の北の端にある。

遼寧省錦州市地図

そして、こちらの記事にコメント付けてくれた。

Y染色体で探る日本人の起源 4-2.氷河期が終わるまでにやってきた人々2 C1 - 知識探偵クエビコ

そして、とりあえず考えた中から、一つの可能性の解答はした。

しかしコメント欄は基本的に長い文章を書くのに向かないから、いろいろな可能性を書くとか、細かく詳しいことを書けない。

そこで、記事にしてしまうことにした。

実際この題材は、日本人が読んでも面白い、刺激的な内容になる。これは、海を越えた「倭人」が何者で何をしていたのかの追求そのものなのだ。

なお、Liaoningさんは日本語ができるそうです。ありがたい。でも、普段よりわかりやすい日本語で書かなければ。

 

なお、満州国など近代の戦争の影響も気になる地域だが、関係ないそうだ。

 

2.C1a1の確認

このLiaoningさんは、C2-M217は正式に否定されてるが、C1a1は正式には確定していない。

そこでまず、本当にC1a1なのか探っておきたい。他のCも含めて比較したいわけだ。

中国など東アジア周辺のC1系統について、おさらいしておこう。

以前読んだ論文(Zhong 2011Xue 2006)によれば、確実にC1bの旧C5(現C1b1a1。インドに多い)はわずかだか中国で出ていて、場所は新疆ウイグル自治区山西省だった。「C1a1でもC2でもないC*」*1は東北の黒竜江省で出ていた。C2-M217以外のC*(未確定*2)も、寧夏回族自治区(元は甘粛省寧夏地区)と西南の雲南省広西チワン族自治区貴州省湖北省で出ていた。そしてこれらはほとんど少数民族から出ていた。

C1b1a1以外のC1bは、オーストラリアのアボリジニ(C1b2b)も含め、インド・東南アジア島部・オセアニアにいる。ただし、北方のロシア・コステンキ遺跡の遺跡人骨からも出ている(この後の図参照)。詳しく調査されてないが、シベリア方面にもC2でないC*がいるようだ(Keyser 2009の遺跡人骨とDuggan 2013)。また韓国の未確定C*の中にも「C1a1でもC2でもないC*」がいる*3

また、系統的に日本のC1a1に近いC1a2も、ヨーロッパだけでなくアルジェリアベルベル人)・中東のアルメニア人・そしてネパールにもいる。

すると、日本とネパールの中間に当たる中国西南部の未確定C*には、同時にC1aもC1bもいる可能性がある。また、共通祖先が出る可能性もある。もちろん、これらは東南アジアでも出てくる可能性がある。北のC*は、可能性が高いのは中国西北部にいてコステンキ遺跡とも同様のC1b系統だが、他の可能性もある。

 

ここで、最近見た論文(The study of human Y chromosome variation through ancient DNA*4)の、ちょうどいい図を貼ろう。系統表記が旧分類だが、一番右のC1が現C1a1・C6が現C1a2で*5、一番左のC3(現C2)以外はすべて現在のC1に当たる。――おそらくこの年代には新しい知見が入ってる*6。しかしここで、大元の分岐年代にはさらに、前回の最新のニュース「ヒトのオーストラリア到達は65000年以上前だった」が関係してしまうわけだ。どうもC系統の出アフリカはかなり古いようだ。*7

ハプログループC系統樹(論文・旧表記)

以前作った表も貼ろう。(詳しくは、分岐年代でわかるY染色体ハプログループC - 知識探偵クエビコで)
ハプログループC1系統樹

 

また、日本や韓国のC1a1と比較しておきたい。どこが近くてどこが遠いか、そしてそれがどの程度なのかを見極めることが重要なわけだ。

そこで、心当たりのあったいくつかの既出論文などのSTRデータ縦列型反復配列(short tandem repeat)を確認し、「Liaoning-STR比較表」を作った。

Liaoningさんとのデータの一致率「Liaoning率」を計算してみると、C1a1とそれ以外で違いが出る。この近さならば、C1a1の可能性は充分に高いようだ。

Liaoning-STR比較表
一番最初がLiaoningさんのデータ。徳島集団の後のJeju55が韓国・済州島のC1a1。FS1-FukushimaまではすべてC1a1。
その後は他のC系統で、この範囲もある程度は一致するデータが出るが、一致率はだいたい40%を下回る。*8
最初のC1a2、546290Armenianが中東のアルメニア*9。nep-172がネパール。aus-m119,120はオーストラリアのアボリジニ*10CHBは中国北京のC3(現C2)。最後から三番目のSeoul-Gyeonggi3が韓国・ソウルの未確定C*で、否定されてるのはC1a1-M105・C2-M217・C1b2a-M38*11。S07AncientSiberia(Keyser 2009)は南シベリア*12の約3600年前の遺跡人骨、最後Even-Sebjan(Duggan 2013)はエヴェン族で、どちらもC2-M217は否定されてる*13
言及のないデータの出典は、Kim 2011*14Naitoh 2013*15Hallast 2015*16・そしてfamilytreedna(+Japan project)も多数使用。

Liaoningさんのデータは、DYS390=26・DYS635=22など、いくつか特徴的で独特な数字が出ている。しかし、いくつかの個性的な数字は、日本集団でも混ざってくる。特にFS1-Fukushimaは、まだ未調査部分も多いのに既に個性的だ。*17

この部分的な違い=変異の多さは、だいたい分岐の古さ(隔たり具合)に比例すると期待できる。(ただし注意点として、調べた対象がごく一部であるため、どの程度に珍しいか、それほど定かではない)

Liaoningさんは個性的な数字がいくつか混ざるため、分岐はある程度古い(最近の分岐ではない)と考えられる*18。しかし日本の平均的なC1a1と極端な違いはなく、比較すれば一致率はほぼ高めに出るわけで、分岐は極端に古いわけではないようだ。(もし極端に分岐が古かったら、他のCと判別できないぐらい個性的なデータが出ていただろう)

 

韓国済州島のデータJeju55*19は、個性が弱く平均的(DYS439=15だけ特徴的*20で、平均的であるためにLiaoningさんとは高い一致率になるが、特別似ているわけではない。またこのJeju55は、分岐が意外と新しい可能性もある。

この済州島海人海女(あま)の島なのだ。そして古代から日本との交流もあった(参考:耽羅三姓神話)。そしてこの済州島の海人は、近年でも日本と交流があったという(参考:海女 (韓国)・研究報告pdf)。海人は船を乗り回す航海能力を持った人々であり、だからこそ海を越えた交流において重要な役割を果たす。そして昔は現在と同じ国境は存在しなかったのだ*21――もちろん、海人はC1a1だけではなく、地域ごとにいろいろなハプログループを含んでいたと考えられる。そのため、関係した他のいろいろなハプログループも出てくるはずだろう。(ただし、特定のハプログループだけ(特定の一族だけ)が移住する場合もあるのだ。「創始者効果」参照)

 

Liaoningさんのデータに一番似ているのは、日本の徳島集団だ。まだ未調査部分はある*22が、一致率(一致数)の高い人々が集中し、特に直下に並べたTO145-TokushimaはDYS456=18のような特徴的な部分まで一致している。

瀬戸内海周辺の日本地図(動かせます)。中央右下、四国東部に徳島はある。

徳島阿波(アワ))にはいろいろな要素がある(以前忌部氏話はしてるが、ここも海人の「海部郡」(部民海部(あまべ)由来)がある。また北隣の淡路島(アワ・ジ淡路の話もした)も全体が海人の国で、魚介類を供給する御食国(みけつくに)」だった。そして、どちらも古代史において注目すべき重要地域だった。

また、別の考慮すべき事情もある。江戸時代は徳島藩蜂須賀氏が阿波・淡路両方を支配したが、この蜂須賀(蜂須賀小六)は別地域尾張国海部郡出身で、川並衆だったともいう(ともかく、木曽三川の水郷地帯で活躍していたわけだ)。つまり、配下の人々まで含めて少し由来が異なる海人の子孫たちもいただろう。出世したサムライには海人の子孫もいて(もちろん日本でも水軍は重要だった)、江戸時代の初期以前に各地へ散らばってる、というわけだ。*23

 

ただし、このデータはC1a1のごく一部で、調べた地域も一部でしかないため、もちろん決定的な事は言えない。少なくとも、徳島の周囲を一通り調べないと似た人たちの集中する本当の中心地はわからない。船の交流を考えると、瀬戸内海周辺・四国一帯・さらに九州北部ぐらいは調査が必要だろう。*24

また海人ならば、もっと似た傾向のC1a1が離れた別の地域から出てくる可能性も当然ある。日本以外で発見される可能性もある。*25

島国日本には、瀬戸内海・九州周辺・沖縄の島々のような、充分には調べられていない地域が、まだまだたくさんある。そしてこの瀬戸内海周辺や沖縄が、日本でもC1a1がやや高い比率で出てくる地域であり、どこかにC1a1の有力者の本拠地があった可能性も高く、そこでは局地的にC1a1が高比率で出てくるだろう。

 

3.C1a1はどんな事情で移動したのか?――今までの簡単なまとめと予告

本当はここからが、Liaoningさんの質問に対する答えとなる部分だ。

しかし詳しい具体的な追求は次回にして、今までのまとめを少しやって、次の予告をする。

 

Liaoningさんの質問に対しては、まずいろいろな可能性を考えた。特に、「他にも子孫が残ってる可能性」を考えた。この子孫は、時代が経つと失われたり見失われたり、永久に事情がわからなくなる可能性もあるから、なるべく早く調べたほうがいい。

それに、時代経過で子孫の失われる可能性が高いからこそ、「現代にC1a1の子孫が最も残っていそうな条件」という視点から答えを考えるのも、一つのやり方になる。実在するLiaoningさん自体が重要な物的証拠になってるわけだ。

そしてもし、Liaoningさんの先祖の地がわかって他の子孫も探し出せるのならば、(たとえ最初の推測が間違っていても)その場所と子孫たちを調べることが実際の証拠になるわけで、自然と本当に正しい答えを導き出すことができる

残る確率だとか関連性が無さそうに見えても、事実は小説より奇なり、実際に残っていたり関連してる場合はあり得るわけだ。確率の低さは不在証明(アリバイ)にならず、実在する証拠こそが存在証明となる。

 

だからこそコメント欄では、最も多くの子孫が残りそうな可能性を答えた。(その裏に、他の子孫もいるんじゃないか・まずは捜して欲しいなあという期待を込めながら)

liaoningさんの地域周辺にある可能性として、『後漢書烏桓鮮卑列傳に書かれた、檀石槐が魚を捕るため2世紀頃に移住させたという「倭人」千餘家がいます。 「種眾日多,田畜射獵不足給食,檀石槐乃自徇行,見烏侯秦水廣從數百里,水停不流,其中有魚,不能得之。聞倭人善網捕,於是東擊倭人國,得千餘家,徙置秦水上,令捕魚以助糧食。」 ただしこの「秦水」の場所は不明です。

引用元:後漢書 : 列傳 : 烏桓鮮卑列傳 - 檀石槐 - 中國哲學書電子化計劃
こちらに全体の読み下し文がある:古代史獺祭 後漢書 卷九十 烏桓鮮卑列傳第八十 鮮卑(フレーム)

 

もちろん、実際には他にもいろいろな(絡み合う)可能性があり、この『後漢書』の内容に関してもいろいろな問題がある。その追求を次回やるわけだ。

 

でも、日本人である僕たちに出来るのは、日本の状況だとかいろいろな証拠だとか、現在ある情報を整理したり再検討したり、推測することしかない。

Liaoningさんの先祖の地(中国国内)を追求するとか、他の子孫を捜すとかは、Liaoningさんや中国の研究者のみなさんに期待するしかないんです。

本当に重要な証拠を探し出すことができるのは、基本的には僕たち日本人ではないわけだ。

ただ、日本国内の研究に関しては、日本の研究者のみなさんと、自らお金を払ってDNAを調べてくれる人たちに期待しよう。(今回の僕のデータも、とりあえず知っていた物を改めて調べて、検討したわけだ。しかし日本には、僕が見てないデータもある)

 

*1:直接否定されているのはC1a1-M8とC2-M217のみ。するとC1b・C1a2の可能性があり、わずかだが未発見系統の可能性もある。

*2:旧C5(現C1b1a1)でもない。

*3:ある程度揃ったSTRデータがあるものは、今回作ったLiaoning-STR比較表の最後に入れた。

*4:化石人骨DNAを調べてる2017年5月の分岐図論文。

*5:ベルギーのGoyetの紛らわしい位置は、C1a2側と確定できる解析が出来なかったという意味のようだ。

*6:特に、日本のC1の拡がり始めた年代がやや古くなって、7300年前の鬼界アカホヤ噴火を意識させるような年代に描かれてる。

*7:ただし問題は、アボリジニと直結する男のC系統が、最初のオーストラリア人と関与してると証明されていないこと。

*8:ただし、未調査部分を調査すると違いが増えて、C1a1側の一致率も多少下がると思われる。もちろん部分的にはデータが一致するだろうから、時には一致率が上がることもあり得るけれど。

*9:C1a1以外だが一致率は高め。現在のイラン側Julfa(Jolfa)にいて、北隣にもアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァン自治共和国Julfa(Culfa)がある民族も国境も複雑な地域だ。

*10:データにははっきり書いてなかったが、C1b2b-M347に当たるはず。

*11:出た場所も正体も気になるため調べたが、Liaoningさんとはそれほど似ていないし、正体もやっぱり決め手がない。

*12:クラスノヤルスクの西・Sharypovsky(Charypovsky)

*13:最後二つもLiaoningさんとは関係ないようだ。しかし場所からの期待通り、二つはそこそこ似てる。ただ、ソウルのC*とはあんまり似てなかった。

*14:「High frequencies of Y-chromosome haplogroup O2b-SRY465 lineages in Korea: a genetic perspective on the peopling of Korea」:これが韓国のC1a1と未確定C*を記録してる韓国論文で、日本の徳島県山口県茨城県もこの論文のデータ。

*15:「Assignment of Y-chromosomal SNPs found in Japanese population to Y-chromosomal haplogroup tree」:ST4-SaitamaからFS1-Fukushima。なお、表に使った以外にも調べられた要素はある。

*16:「Y-Chromosome Tree Bursts into Leaf: 13,000 High-Confidence SNPs Covering the Majority of Known Clades」:珍しいハプログループの揃った分岐図論文で、データも豊富。(ブータンのDの共通祖先も出してる論文)

*17:このFS1データの範囲の大部分は、ハプログループが同じならだいたい一致すると期待される部分で、本当はそんなに違いが出ないはず(だから簡易なハプログループの識別にも利用できる)。しかしFS1は、この範囲にいくつも違いがある。

*18:ここからも近代の戦争の影響ではないと判断できる。

*19:これは自分が唯一知る、韓国で出てるC1a1データだった。

*20:familytreednaのCのデータを見ると、DYS439=15は非常に特徴的。しかし、今後DYS439=15で他のデータ(平均的部分)も一致するC1a1が日本で見つかる可能性もある。

*21:ただし、古代でも言語の違いの影響はある。とはいえ、海人だから文化はそれなりに共通し、海人文化関連の語彙・技術・伝承などは直接の関係性を持つ可能性もある。

*22:この未調査部分は、違いの出やすい部分もある。

*23:サムライは、父系が不確実(婿や養子をもらう場合もある)だったり、ある時点で先祖を偽ってたりする(それを伝承してる)場合があり、実際にはずっと大昔から先祖の地で繁栄していた現地の有力者(時にはルーツが縄文時代に遡る先住民族)だったりすることは多い。だから日本人は、自ら遺伝を調べて縄文D系統が出て、Dは良く出る多数派なのに、驚くこともある。

*24:徳島と共通する人々のいる地域に限定しても、この徳島周辺は怪しい地域が多い。有力な海部(あまべ)がいたとされる場所だけでも、淡路・吉備(現在の岡山県以上の広さで小豆島など瀬戸内海中部の島々も含む)・紀伊(和歌山)がある。

*25:海人は、離れ島のような僻地にいる可能性もある。船に住んでいる場合もあり、日本でも昔は瀬戸内海・西九州の西彼杵半島五島列島家船居住者がいたという。そのため、都市でデータ集めしているだけでは、データに入ってこない可能性がある。

ヒトが初めてオーストラリアに到達したのは約65,000年前だった

出アフリカにも関わる重要なニュースです。

必ず海を越えていくことになるオーストラリア移住ルートで、いままでより古い年代が出て、またトバ・カタストロフに近づいた。

【考古学】ヒトが初めてオーストラリアに到達したのは約65,000年前だった | Nature | Nature Research

ヒトがオーストラリア北部に初めて到達したのは約65,000年前だったとする新たな考古学的証拠を示した論文が、今週掲載される。これは、過去にオーストラリア北部の同じ遺跡で実施された発掘調査によって推定された年代よりも古く、オーストラリアの大型動物相が絶滅する前だったことになる。

(中略)

今回、Chris Clarksonたちの研究グループは、Madjedbebe岩窟住居での新たな発掘作業の結果、2015年の発掘で見つかった人工遺物が高密度で分布する層の最下層から約11,000点の人工遺物(剥片石器、砥石、知られる限りで最古の刃先が研削された手斧など)が出土したことを報告している。Clarksonたちは、こうした人工遺物が発見された位置を注意深く評価し、人工遺物が発見された堆積物の年代と対応するようにした上で、高度な年代決定法と用いて堆積物の年代を推定した。Clarksonたちの解析結果では、この遺跡が層序学的に正確なことが確認され、深くなるほど古くなる一般的なパターンがあることが明らかになり、これまでより正確な年代決定が行われた。発掘現場で最も深い部分の年代は、約65,000年前と推定され、この地域にヒトが初めて居住した年代が約5,000年も昔にさかのぼった。

ニュースがあったんで追加

 

論文

Human occupation of northern Australia by 65,000 years ago

 

これは反応が問題でしょう。こういう年代は必ず誤差もある物で。

google news 

サイエンスの記事。hints(ほのめかす)は少し微妙さを含んだ表現だが、可能性は認めている。

BBCは、主張を意味するのかカッコ付きで表現。中身ではsuggest(示唆する)などで、これも少し微妙だが可能性は認めている。

newscientist。may have(かもしれない)で、微妙だが可能性は認めている。

ここで書かれている他に証拠がないことに関しては、古い証拠は残ることも見つけることも難しいため、証拠が未発見でも不在証明にならないことを思い出してもらう必要がある。

逆に、どれだけ信じられなくてもそれまでの定説を覆していても、(正しく)発見できた証拠は存在証明になるのだ。

ただし、年代推測の問題はいつでもあるし、いまいち証拠に決め手が欠ける場合もあるだろう。また時には、その手法に疑問のある場合もあるかもしれない。(なお今回、手法にケチを付けるような論調は見てない。一部を飛ばし読みしただけだが、Natureもリリースに「注意深く評価」と書いてる)

そういう場合、他の証拠が揃ってくるのを待ったり、その他いろいろな理由をつけて証拠を無視したりすることはある。(でも、自説に都合が悪いからといって、権力を悪用して(時には忖度で)論敵を潰しにかかったりしないでね)

 

個人的には、出アフリカってトバ・カタストロフより前に遡る可能性があるんじゃないか、とも思う。もしそうでも、滅んでしまったり証拠が残ってくれない、学術的にはほぼ証明不可能な可能性もある。

トバ・カタストロフはその結果として、はっきりと遺伝学的ボトルネックや考古学的遺物の減少(から増加する)状態を作ることは大いにあると考えられる。つまり学術的には、トバ・カタストロフの後で人類が世界に拡がったように見えるだろう。

しかし実際には、出アフリカがぴったりトバ・カタストロフのタイミングに合うと考えるのは、それほど筋の通る話ではない。

 

ただ、あまりに特殊すぎる天変地異は、好奇心を刺激して行動のきっかけになりうるのかも知れないが。

ちなみに、大噴火はその音まで凄まじく、極端に離れた場所にまで届く。これを火山学用語で「空振」という。(正確には音でなく空圧。爆発音の元は爆発の衝撃波であり、その振動の周波数はヒトの可聴範囲に収まらず、速度も音速を超える部分がある)

地球を3周した「世界で最も大きな音」とは? - GIGAZINE

 

イヌは4万年前の単一起源か

イヌのニュースも反応しておこう。

結論としての意外性は以前「オオカミ、ヒトに出会う」という記事をまとめてる自分としては)無い。また年代はあってもその場所は示さない。

しかし遺跡の骨を調べたり、データはたくさん揃えてる。(ただ、日本の犬がいないのは残念だ)

 米ストーニーブルック大学(Stony Brook University)などの研究チームが実施した今回の最新研究によると、古代のイヌは約4万年前にオオカミから最初に分岐したことが、DNA分析で明らかになったという。この分岐が人の存在をきっかけに起きた可能性が高いことも分かったが、世界のどこで起きたかは特定できなかった。

 研究チームはまた、イヌの家畜化が「受動的な」プロセスをたどった可能性が高いとしており、人が野生のオオカミを積極的に手なずけたのではなく、オオカミが餌を探し求めて狩猟採集民の野営地に近づいたのが始まりと思われるとした。「この試みにおいては、より従順で攻撃性の低いオオカミほど多くの成功をおさめ」、そして人との距離が縮まった可能性が高いと説明している。

 研究チームによると、原初のイヌは、2万年前までに地理的に二分したという。片方が東アジアの犬種に、もう片方が欧州、アジア中南部、アフリカなどの犬種にそれぞれ枝分かれしていったとされる。

 

Natureの紹介文。

【遺伝】現代のイヌの単一の地理的起源 | Nature Communications | Nature Research

論文

イヌ系統図

NGSadmix clustering図

イヌ分岐図

図にちょっと説明を付けておく。最後の分岐図の色は、一つ前のNGSadmix clustering図*1の色に対応してる(ただし赤の遺跡イヌ以外)。黄色はオオカミで、紫は東アジアの犬種(正しくは東南アジアから南のディンゴ系)で、残りが20000年前に分かれたそれ外の犬種に当たる。

なおNGSadmix clustering図で、紫ばかりのボルネオやベトナムと違って、パプアニューギニアが紫と青半々で出てくる(系統に違いがある)ことは意外だった。台湾にも青はある(ここで中国南部より青が多いことにも注意)から、後の時代に台湾ルートで混血したイヌを調べたのかも知れないが。(ただし、パプアニューギニアで調べたのは村にいた野良犬(village dog)で、ニューギニアンシンギングドッグとは書いてなかった。場所からすると、別系統とされるニューギニアンコースタルドッグのほうかもしれない。これはインドのパリア犬(Indian village dogはたぶんこのイヌを指す)に似てるとされる)*2

 

ところで、イヌの分岐の場所がどこかわからないと控え目に書いてあるが、データ上は、一番根っこのディンゴ系統がイヌとして含まれることはコンセンサスが通ってるらしいわけだから、これもまたいつもの、周辺まで含めた東南アジア起源説になっているデータだと思われます。

(もしイヌの起源が二つあると唱えるならば、この根っこの部分が二つに分割される必要がある。しかしこれも、イヌの定義次第で成立する余地はある。根っこ部分はイヌじゃないと定義すればいいんだから。――これは別にブラックジョークではなく、遺伝学的に定義されるイヌと、考古学的証拠として明らかに違いがあると断言できるイヌは、かなり定義が違うわけです)

 

ちなみにサプリメントも140ページ以上もあって、こっちも図像盛りだくさんだよ。とても全部は出せないし、細かく検証する気も起きないが。

(日本犬のデータがないのは本当に残念。日本犬のディンゴ要素の強さは知りたかった。ただ、珍しく韓国の珍島犬サプリメントの一部分析に入ってた)

*1:Admixtureとは違うNGSadmixというツールを使ってる。

*2:この論文の最大の問題は、「village dog」が実際には何を調べてるかよくわからないところにあるか。「village dog」も系統が一種類とは限らないわけで。