知識探偵クエビコ

人類史・古代史・神話の謎を探ったり、迷宮に迷い込んだり……

三系統のY染色体ハプログループD1b+α

D1b詳細検証

C2について書いてたら(記事、どうしても長くなるよねやっぱり)、先に確認しておきたいことがあった。

それは、「D1bの中に、北から北海道ルートで日本へ入った者たちがいるのではないか?」という問題だ。

 

これを検証するために、先にまたD1bを、今度はもっと細かく調べてみようと思った。

こちらはこちらで、なんか面白そうだし。

それにこれは、以前問題となった縄文人の地域差や時代変化の話でもある。

また、新たな知見を元に、D1bを(さらにC1a1まで含めて)検証し直す意味もある。

(タイトルの+αはこのC1a1を追加し、さらに他のものにも触れてるから)

なお、日本やアイヌのADMIXTUREも(勉強して)調べていて、もちろんその知識も大きな参考となっている。(ADMIXTUREはそのうちまとめる。とても興味深く面白い内容だった。これも別の大ネタで、わかりやすく説明するのが大変そうだ。話の展開上、結局これもC2より先にやります。うん(笑)、C2はまだまだ後になっちゃう)

※2016/12/20 アイヌのデータを修正し、図を直しました。

※2018/3/10 県別のβ版データのD1b1a・C1a1やDの総数などを、YHRDの正式なデータにより正式に確定し、県別のデータに関しては部分的に内容修正しました。(※ただし、地方合計などは影響が少なかったため修正せず。また、D1b1・D1b2の内部比率はβ版予測のまま(ただし合計は確定)*1)――β版もだいたい合っていたため、大まかな傾向は変わっていない。しかし、昔のデータでD1b1a最高比率だった群馬が、2位にいた長崎(海人問題の鍵を握る)に、わずか0.2%抜かれトップを奪われるという(ほぼ一緒でも)象徴的意味を持つ修正*2が起こっていたり(群馬のデータ総数が増えて比率が微減した影響もある。そのため長崎BはD1b全体比率でも群馬Bを抜き本土側では最高比率となった)。また、長崎ではC1a1も1増加し、わずかな変化だが面白いことになっている)
こういう新データ*3。この詳細は次の続編で
f:id:digx:20180310121531p:plain

 

まずは分岐図だ。

引用元は今回もYFull+ISOGG(2016/11/12確認)。今回は簡潔に、YFullのキャプにISOGGのデータを書き込んだ。*4

f:id:digx:20161022214723g:plain

この日本のD1bは、大きく三つの系統に分けられる

最初の系統は、形式上はD1bの一番ルートを含んだ、D1b1以外の「D1b*で、しかし実際はD1b2以下の系統がほぼすべて。(D1b全体と紛らわしいこともあり、この最初の系統は以下「D1b(2)」と表記しよう)*5

第二の系統は、D1b1a以外の「D1b1*以下の系統で、D1b1cを主体とし、D1b1bなどその他系統(未分類まで)も含んでいる。*6

そして第三の系統が、この三者でもっとも高比率の「D1b1a」以下の系統となる。

 

ここで注目すべきは、それぞれの分岐年代であり、つまりこの三系統はいつ頃分かれたのか、ということ。(なお、もちろんすべての年代には誤差がある。が、今は大雑把な年代しか要求していないから問題ないでしょう)

まず、第二の系統D1b1-Z1622のところに「formed 22900 ybp,TMRCA 16600 ybp」とある。

つまり、最初の系統と第二の系統は、少なくとも22900年前より以前に分かれていることになる。*7

第三の系統D1b1aの年代は直接は計算されていない*8が、第二系統の主要系統であるD1b1c-CTS6609が「formed 16600 ybp,TMRCA 16500 ybp」とある。

つまり第二の系統と第三の系統は、少なくとも16600年前には分かれていることになる。

ということは、非常に古く、縄文時代の初め頃にはもうこの三つの系統は分かれていた、わけだ。

 

ここで、当初の問題と絡んだ問題となる。

この、非常に古くに分かれた三系統の分布に違いはあるのか?

そして、その分布から移住ルートはどのように推測できるのか?

そこに北海道ルートの者たちがいるのか?

 

では、分布を確認しよう。

f:id:digx:20161221161101g:plain

今回のデータはほぼ以前使ったことのある物ばかりだが、使える物だけ使って合計しているため、最後に説明を付けよう。

なお今回は、サンプルの少なさを補うため、β版を含むデータも並べる。というか、正直最初の表では、あちこちサンプルがあまりに少なすぎて問題が大きく、まともに扱えないのだ。(表のアイヌと韓国はわざとダブらせた。それ以外でもβ版には論文のデータがちゃんと全部入っている)

f:id:digx:20161221161154g:plain

右側にあるD1b内部比率は、他のハプログループが引き起こした影響を取り除くため、D1bの内部だけで比率を見た物。

縄文人がD1bだけだった時代なら、これは大まかに縄文人内部の勢力分布を示すことになる。ただしもちろん、もっと後の新しい時代の勢力変化もあって、その影響も大きい。
それに、縄文時代からいるのはD1bだけではない。まずC1a1もいる。(後で、C1a1も含んだ表を出そう)
ただしC1a1の増え始めたのは、縄文時代の中期から後期にあたる4500年前ぐらい(以前のC1a1記事)のようで、D1bの主要な系統よりは後で増えて拡散していると考えられる。(もちろんD1b系統でも下位のほうの分岐の集団は、より新しい時代に増えて多くなってる)

またC2やOやNなど他のハプログループも問題。東アジアに展開した時代の古さ、及び、古い者たちが残りやすい「近い離島」日本の地理条件からすれば、数量は少ないかも(実は意外と多いのかも)知れないが、日本のどこかからこのC2・O・Nの古い集団が出てくる可能性も充分にあると考えられる。*9
しかしこれらは新しい移住者が多いと考えられるため、今回はあえて除外した数字で見てみよう。

 

期待とはちょっと違うが、面白い傾向が見えてきた。

  • D1bの組み合わせ(ある程度縄文人のハプログループ構成を反映していると見られる)にも、地域によって異なった傾向があったようだ。
    これ自体は普通に推測できていたことで、wikipediaにも、縄文前期(約6000-5000年前)には日本列島内に、次の九つの文化圏が成立していたとある。(この分類は藤尾慎一郎『縄文論争』からだとあるが、読んだら、渡辺誠週刊朝日百科『日本の歴史』36」とさらに引用元が書いてあった。この元の分布図は見つけてる)
    説明の重要なところまで引用しよう。(wikipediaは少し違ってた。一部個人的な注釈も付けた)
    1. 石狩低地以東の北海道(クリやトチがなく、海獣類がいるのが特徴)
    2. 北海道西南部および東北北部(※以下注記。この時点で既に、北海道西南部・東北北部がセットで別文化圏とされることに注意。今回の分析結果からもこの分別を支持したい)
    3. 東北南部に新潟北部(阿賀野川より北)も含む(※三貫地貝塚はここ。やっぱり地方性に注意すべき場所だ。ちなみに方言の境界も新潟の途中を通ってる*10
    4. 関東は東部のみ(東京湾沿岸まで含む。縄文海進で関東平野に海が拡がった時期で、内湾性漁撈の貝塚の文化だと。なお、さきほどの方言境界も関東の中を通り、東西で違います)
    5. 北陸は新潟の残りと富山の大部分(能登半島周辺以外。豪雪地帯、と)
    6. 東海・甲信→ここは中央高地(岐阜も含む)及び関東の残り(千葉の一部含む)と静岡県(※個人的には、富士山の見える範囲(伊豆諸島などからの航海時も目標にできる山)の交流圏はあり得ると思います。富士は遠くからでも見える目立つランドマークで、しかも昔は頻繁に噴火して煙も噴いてたわけだ)
    7. 近畿・北陸(能登半島まで)・伊勢湾沿岸・中国・四国・豊前豊後(※地理条件から、現実の交流という意味でも伊勢湾岸と山陰と越前能登は分けておき、残りを瀬戸内海文化圏としたい。ちなみに藤尾さんの本の図では大きくひとまとめだが、文章の説明番号を見ると数字の飛ぶところがあり、どうも藤尾さんもこの広い地域を分けようとしたように思われる)
    8. 九州(豊前豊後を除く。朝鮮半島及び琉球と交流があったとされる。後で詳しい話をします)
    9. トカラ列島以南(※ここで、琉球王国以前の沖縄本島先島諸島はずっと別文化圏で、先島諸島は台湾に近い。ただし先島諸島に5000年前の時点で定住者がいたかが少し問題。それ以前は石垣島に有名な白保遺跡があったりなどする。なお先島諸島の問題は、オーストロネシア語族の移住問題とも関係します。これ、6000年前あたりまでには台湾にたどり着き、その後5000年前ぐらいにはフィリピンにたどり着いたとされているわけで、問題となる時期がほぼ同じなんです。台湾に渡り海を渡ってフィリピンにたどり着けるなら、他の方向にも渡れる)
      (おまけに。このオーストロネシア語族の移住タイミング(時期の問題はあるが朝鮮半島との交流もある)で、もう大陸の人間が海を越えて日本に渡ることもできる航海能力を持ってるわけです。大海を越えて日本へ来る古い渡来人は、このあたりまで遡る可能性を考えられる。というか、オーストロネシア論文のADMIXTURE(グレーに注意。台湾原住民に多いグレーは日本によく混ざってる)から、どうやら到来したと考えている。ただし、沖縄の古代の住民がまさにこのオーストロネシア的な特徴を持っていた可能性もある。既に港川人がオーストラロメラネシアンに近いと言われてたわけですから)
  • 全体的に見ると、D1b1aは西(南)寄りに多く、東北より北では少なくなる。ただし一番全体比率が高かったのは北関東(群馬の影響)。南で少ない内部比率になってるのは、四国と甲信という地理的に独立性のある地域。ただし沖縄は別で普通に多いが。*11
  • ここで重要な注意点として、北の日本海側だとか東北のデータはあまりない。そして青森は南東北より多いことから、この日本海ルートが問題であるようだ。
    例外的にある日本海側のβ版北陸データの内部比率だと、D1b1aは決して少なくない。

    (なお、このデータの未調査地域は次の図のグレー地域。この図の詳細説明は後でやります。*12
    f:id:digx:20161221161339g:plain

  • D1b1は東北より北に多いが、四国でも多いなど南でもそれほど減っていない*13。そして韓国の内部比率も高い。ところが、(β版でないとわからないが)関西と北陸で比率半減の非常に興味深い穴がある
    北陸はさておき*14、関西すなわちヤマト政権の中枢では何らかの歴史的事情との関係が疑われる。
  • D1b(2)は全体比率だとアイヌに多いが、意外と北で少ない場所があったり、内部比率でアイヌ並みに多い場所が散っていたり、こちらもしっかりと南まで分布する。問題の関西でも減ってる傾向はなく内部比率では多め。沖縄にも韓国にもいたりする。
    なお、D1b(2)の内部比率が多い場所は、揃ってサンプルが少ないという問題がある。そのためさらに調査すると(アイヌも含め)数字はずっと穏便になったり、傾向が変わってしまう可能性もある。(調査集団による差もあると考えられるところ)
  • 期待と違っていたのは、D1b(2)やD1b1(D1b1aはこの子孫のため基本的に同じルートと考える)が沖縄からアイヌまでしっかりいて、南北どちらから進入したかがわかるような分布を持っていなかったこと。ただし、日本で考古学的に古い人類の存在証拠があるのは北海道ルート側じゃなく南である以上、古いD1bは南からだと考えるのが筋。アイヌに多いのは、古い者ほど遠くへ行く周圏説で普通に解決できるんです。
    また、D1b(2)とD1b1が南北異なった方向から違う時期に進入した可能性はそんなにないとも考える。理由は、お互いに排除するような傾向は特に見られず全体的に共存していて、別集団として長い年代を過ごし別経路で進入したかけ離れた存在には見えないことにある。このため両者の分布にも南北の方向性の違いは見えないのだろう。
  • 内部比で、β版だとほぼD1b(2)二割弱・D1b1三割弱・D1b1a五割強の地域が、一部の例外を除いて南関東から海を越えた沖縄にまで拡がっている。これは、この混合比率の集団が全国的に繁栄した(しかも沖縄にまで到達した)ことを意味するか。(偶然比率が似ることももちろんあるが、一箇所でなく多数の箇所で偶然の一致の起こる可能性のほうが少ないはず)
  • 韓国での内部比率は、D1b1aが少なくD1b1は多いという重要な違いがあり、少なくともこのD1bは近代の侵略の影響のみではないようだ。古代の場合、一部の特定の豪族だけが海外での活動に関係しているため、その影響で偏った比率になることも考えられる。
    ちなみにKimの韓国の506サンプルデータでD1b全体は1.6%だが、地域別に調べていて、西南の全羅道で3.3%、東南の慶尚道で2.4%に達していた。しかしソウル周辺では少なく、この南寄りの分布も古代の影響を示している。

    なお、日本に来ないで大昔から残り続けているD1b系統が大陸側にあるのかも問題。しかし今の調査データではわからない。韓国サンプルに、日本とは異なる、分岐年代が日本以上に古い集団がいれば証拠となる。(日本と共通する場合は後の時代に日本から移動した可能性がある)

  • アイヌと青森の間でも傾向は明らかに異なる。つまり、青森の蝦夷擦文人(アイヌの先祖)の間にも違いはあった、さらに縄文文化圏でも違いがあることから縄文時代にも違いはあったと考えられる。ただし、南東北*15のほうがアイヌと似た傾向を示し、青森はむしろ関東などに似ていたり、類似がとびとびな感じもある。(後の時代の影響もあるだろうが、詳しい考察はもう少し後で)

    なお、青森だけを特別扱いした理由は、この地域が『延喜式』の10世紀の時点でもヤマト政権に支配されていなかった蝦夷の地であることと、三内丸山遺跡など。日本海に面していることに大きな意味があるというのは、後で気づいたことだった。(だから、秋田とか山形の海岸部も、北海道西南部も問題だ)

ここにC1a1を加えるとこうなる。(β版と一気に並べよう)

f:id:digx:20161221161855g:plain

f:id:digx:20161221161900g:plain

C1a1も、沖縄とか瀬戸内海周辺とか、おおむね西に多い。が、この九州データではそれほどでもなく、関東で少ない。そして青森など東北でまた増えるという傾向も持っている。

やはり日本海側のデータ不足は問題。D1b1aと同様、北陸は内部比率で見ればそこそこいる。そしてこちらもその日本海ルートの延長線上に青森などの増加傾向があるようにも見えるが、実際はどうなのか。

また、D1bだけのとき見えていた傾向は当然C1a1の影響で変わり、似た比率の集団が拡がったような傾向もあまり見えなくなる。もともと増えた年代の違いはあるから、動いたタイミングもD1b集団とは違って当然か。

なお沖縄はC1a1のルーツ(進入経路)の地か。朝鮮半島ルートや北海道ルートを示唆するような証拠も特に*16なく、C1a1に関してはこの沖縄経由の南の海上の道でやってきた可能性が高いわけだ。

(なお、沖縄本島や九州・瀬戸内海への移動時期がいつか、は別に考えるべき問題。増加した時期が4500年前と遅いわけだから、その時期までは本州(あるいは関東近辺*17)にいなかった可能性はある。なお、4500年前というのは時期的にオーストロネシア語族の移住時期に近くて興味深い*18

 

で、このC1a1と、さらにD1b1aは、どちらも海人の要素を強く持っていると考えられる。

なお、100%海人という意味ではなく、また他のD1b(2)とD1b1が海と無関係だという主張でもない。D1b集団は沖縄にまで同じような内部比率でいるわけだから、混合して渡ってると考えられる。
島国日本に来ている時点で、どんな人々も最初は海と関わりを持っていて、あとは程度や、時期による変化の問題というところ。

しかもこの両者、当たり前のように関西や瀬戸内海周辺に多い。

だから彼らもヤマト政権にある程度の地位で参加しているんじゃないかと考えられるわけだ。

そして縄文系統でありながら海人(縄文海人)だから、この人たちの果たした役割や影響範囲は大きな問題となる。

これら縄文海人は、ヤマト政権の時代だけじゃなく、縄文農耕とか縄文稲作でも問題になる。

ちょうど瀬戸内海の岡山あたりは、縄文稲作でも大きな問題になる地域なのだ。

 

ここで、Oだけど日本に特徴的に多い47zを含めて、D1b1aやC1a1などと比較した表を見せよう。

なぜこの比較をするかと言えば、この47zは、海を越えてきた渡来民(日本に来る渡来民は必ず海を越えているため、常にある程度の海人傾向を持つ、と考えられる)ではあるだろうけれども、他のOとは違う事情(政治的状況や移住タイミング)があって、それで日本で特別に多く増えている、と考えられるからだ。

f:id:digx:20161221162230g:plain

f:id:digx:20161221162236g:plain
(今回はSatoのデータも含めて計算してます。ここで、略称「1a/DC4」はD1b全部とC1と47zを合計(DC4)した中でのD1b1aの内部比率を意味する)

ここで、対比のために並べたO(x47z)は47z以外のO全部の全体比率を意味していて、ここには47z以外の新しい渡来人の大部分がいるはずだ。*19

確かにこのO(x47z)は、トータルで中央も多い西高東低の傾向を持っていて、どうやら期待通り、新しい渡来人を多く含んでいるようだ。*20

では47zはどうか?

以前も分析したとおり、全体比率で見て47zは意外に東で多い傾向にある。そして中央の関西や中国地方では多くない。

内部比率で見ても、(47zはD1b1aよりも多いが)D1b1aやC1a1のほうが少ないながらも西に偏った分布を持っている。

これは、中央から東に移住しそこで繁栄した集団がある、ということなのか。それとも47zは、他の渡来人より多少渡来が古く、(古い分だけ他の渡来人より余計に増えられたということもありそうだが)東に追いやられているのか?

また47zは南北両端がどちらも少なく、意外?と沖縄に少ない。すると、若干沖縄との関係が薄いか、それほど海人傾向はないのかもしれない。

そして韓国には、比率としては沖縄より下だが、そこそこいる。実は、ベトナム(2.9%,2/70)やインドネシア(8.0%,2/25)にもいる。*21

47zの上位分岐O1b2も韓国・ベトナムインドネシアにいて、さらにミクロネシアにもいる。

すると47zを含めたO1b2系統もまた、オーストロネシア語族およびタイ・カダイ語族タイ語チワン語・リー語など。タイカダイはオーストロネシア語族と近く、まとめる説*22もあり)移住の一員という可能性もある。*23

ただしオーストロネシアと同じタイミングで沖縄経由で移住したと考える場合、沖縄で他の海人より少ないことがネックになる。沖縄で少ない理由が47zだけ特別にあるのか?

もちろん、オーストロネシアとはまた違う集団で、これもまた別のタイミング(似た時期でも別コース)の移住という可能性はある。中国で難民などで移住者が発生する時期はいくつもあって、その影響は一方面だけでなく多方面に及ぶわけだ。

殷の滅亡が3000年前でそれがちょうど弥生時代の始まりにあたってるが、その後もそれ以前もいろいろある。

しかし、47zのルートとしてはやはり朝鮮半島コースが本命か。

そして朝鮮半島との交流も縄文時代からあるとされ、こちらも縄文渡来民があり得るんです。

 

全体的な傾向をつかんだところで、もっと細かく地域的な傾向を……と思ったが、順調に長くなってきたからここで一旦切りを付けよう。 

 

使った論文は以前のY染色体構成及びβ版と同じだが、細かい分類の使えるものを選んで使ってる。

  • Nonakaの引用してる他の論文のデータ。ここにあった未使用だった韓国のデータも使った。なお、表に入れてない台湾のデータもさらにあり、D1b1該当のM116のところにデータ総数183では出るはずのない0.3%(1/183は0.5%ちょっと)という謎の数字が書かれていた。台湾の他のD1bは0。日本が近年支配していた場所でもあるため評価不能とする。
  • Naitohの、Nonakaと同じサンプルの分析データはこちらを使用。
  • Hammer et al. 2006。(なおKarafetベトナムで同じ数字のデータを出してる。同じサンプルデータか確認できてないが。他にもミクロネシアO2b1の微妙に違う数字のデータあり)
  • yfull1000 Genomes Projectデータ。
  • Koganebuchiアイヌデータ。
  • β版(2018/3/10までに更新)。YHRDのMizunoデータを調査して一部を確定更新しました(※Qはミスを修正)。太字部分(C1a1・D1b1a・N・Qなど*24)は本来βの付かない正式データです。

    f:id:digx:20180309172527p:plain

    YHRDによる確定部分は以下の通り
    f:id:digx:20180309183011p:plain

  • SatoはD1b1(D1b2)を調べてないが、D1b1aは調べてるため一部参考にしてる。(ところで、改めてデータ見てて論文がサンプル総数間違えてるのに気づいてしまった。正しくは、徳島が398あって、全国合計も2400ちょうどとなり、どうもこのきりのいいサンプル数だ。もともとサンプル数の多い徳島だから、数字としてはそんなに影響ないけど、昔の記事を直すのが結構面倒)
  • Kimも細かい分類はないが地方別データのほうを使用。

*1:β版と称していても、部分的には正式に確定できたデータとなっている。

*2:ただし、Satoのデータなどと合算すると異なった比率になる。

*3:項目名の太字は確定部分(おっと、総数もだ)。なお、数字上は長崎よりも宮城と東京の変化の方が大きい。

*4:なお、分岐図上にある「JPT」は1000Genoのデータで、東京のサンプル(JaPan,Tokyo)を意味する。一つだけあるJPN[JP-23]は愛知。

*5:これは、D1b・D1b1レベルを調べてあるデータがいくつか手に入ったため、「D1b1ではないD1bは、おそらくほぼD1b2」ということにできるから。ただしまだ未分類・未発見要素もある。(特にD1b2自体の区切りとなっている変異マーカーは変わりそうだ。このもっとも最初の分岐マーカーは、ずっと研究が進んでから確定できるところだから)

*6:図の中にはM151という系統もあるが、これはISOGGではD1b1c以下で、(D1b1c1a1a-CTS6609と同じレベルに並んだ)D1b1c1a1cのところに書かれている。

*7:最初の系統は分岐図上は一番古い系統に見える。が、部分的には新しい可能性もある。D1b2集団の拡がった年代はまだ計算されておらず、この増えた時期自体は新しいのかも知れない。しかし未分類・未発見部分に最古の系統がいることも期待できる。

*8:故に、この年代(など)が計算されることで上位のD1b1の年代にも影響が及ぶ可能性がある。

*9:ぶっちゃけこれは、いると予測してるんです。見たADMIXTUREもそう考える理由。詳しい話は別の機会となるが、それまでにも必要に応じて知識を書いていく。

*10:ところで、方言区画の日本海側の状況って面白いと思いませんか? 北前船の影響もあると思いますが、『砂の器 』で有名になった出雲のズーズー弁もあります。

*11:2018/3/10追記。実は元データの時点でも九州で長崎Bだけは多かった。

*12:白地図データはhttp://www.craftmap.box-i.net/より。

*13:多い北海道は旭川の201サンプルを含むが、新しい北海道移民などが入っているため注意が必要。しかし、東北と北陸からの移民が多いと聞いてるが、D1b1が悩ましいほど多く、逆にD1b2は少ない。アイヌ及び渡党の子孫の影響か?

*14:日本海側で使える充分なデータのある場所はβ版富山しかなく、これが局地的傾向か日本海側全般に拡がる傾向か明らかでない。富山以外の日本海側サンプルを合計してみたが、わずか17サンプル中D1bは5ですべてD1b1a。ただしSatoが出しているサンプル数530の金沢データ(D1b1を調べていないため使えず)では、D1b1aの内部比率は93/173=53.8%とごく普通の比率に落ち着いている。D1b1aがそれなりにいるのは確かだが、他もいるだろう。

*15:この南東北データは青森以外の東北すべてを指す。ただこれは大部分宮城のデータ。

*16:韓国の済州島にもこのC1a1はいたが、その論文のC1の図で日本の集団の中の普通の位置にいた。するとこのC1に関しては日本起源と考えられる。

*17:日本人で調べられてるのはたいてい東京のサンプルだから、沖縄や瀬戸内海で調べると多少違う年代の出ることは考えられ、それがその地域で増え始めた時期を大まかに示す、ということになるだろう。関東は何故かC1a1の少ない地域であるため、そこに特別な理由の絡む可能性にも注意したい。

*18:実は、日本のC1a1に近い親戚がまだ中国の未分類C集団にいる可能性が残っている。この場合、C1a1はオーストロネシア語族と一緒に移動した可能性も出てくる。ただしC1a1が先に沖縄に来て生き残っていて、この時期に沖縄でオーストロネシア人と出会って混合し移動し始めた可能性もあるが。

*19:ただし他にC2やNなどの渡来人もいる。またO(x47z)にも、古くに日本にやってきた、オーストロネシア語族系などの「縄文渡来民」と呼ぶべき存在が含まれていると考えられる。

*20:あんまり差がないのは、まだ新しくない渡来人がまだ含まれているためもありそう。Oから、東に多い47zを意識的に取り除いたことで、わかりにくかった西高東低傾向が見えてきたわけだから、同じことを繰り返せばもっと強い傾向になるわけですよ。

*21:これはHammerのデータで確認できる。

*22:これをオーストロ・タイ語族とする説もある。しかし、タイカダイをオーストロネシアの一員に含んで台湾語群より後で分岐したとする説(これとか)もある。どちらにしろタイカダイはオーストロネシア語族に近いようだ。

*23:なお、大陸にいた時点ではオーストロネシア語族(さらにオーストロ・タイ語族)のさらに祖先言語とすべきところか。タイカダイとまとまる先で、さらに他の語族(オーストロアジアやモンミエン)とまとめる説もちゃんとあり、このあたりやシナ・チベット語族などとまとまる段階こそが本当の問題かも知れない。そしてこのへんのレベルまで行けば日本語・韓国語などの分岐も視野に入ってくる。タイカダイのwikiにO1b1・O1a・O2がタイカダイって書いてあるけど、このOの残りにあたるのがちょうどO1b2なんです。

*24:C・Dなど大きな分類の総数も確定できたため、部分合計を確定させて内部配分を算出した場所もある。また、内部比率をβ版データで予測算出し直した(人数に直すと端数が出る)部分もある。

南太平洋バヌアツとトンガ、島民の祖先はアジア人

ニュース関係は時期を外すと書く機会がなくなるから書いておこう。

__10/8、忘れてたことと修正があるんで、少し直しました。男の子と女の子で性染色体の組み合わせが違うことを書き忘れてたり。

__10/12、最後のほうに、P・C1b2aなどの出てる地域と、Dと未調査地域の事情を書き足しました。

忙しかったり風邪引いてたりして、なんも書けなかったわ。(ここからは10/7に書いた)

それと、自分にとってもニュース関連のほうが、新しい知識だったり、書くモチベーションの持てる内容だったりする。

正直、他人にわかるように表とか引用内容や引用論文まとめるのは大変。それに、世の中には出てないかも知れないが、自分にとってはもう知ってる話なわけで、その部分で興味としてはもう低くなってたりする。自分はもともと最初に地理オタクというのがあって、変わった場所の話が好きだっていうのもあるし。

 

そしてこれも、ちょうどポリネシアの人類史に触れたところで、自分が書いた内容とリンクする話がまたもやタイミング良く出てきた、という、書く必然性を感じさせるニュースだったのだ。

論文はこちら。

Genomic insights into the peopling of the Southwest Pacific.
http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature19844.html

先に反応した記事があったから、敬意を持って貼っておこう。

 

南太平洋の島々に進出した、人類史上始めて遠洋航海をしたとされるラピタ人は、これまで考えられていたパプアニューギニア・オーストラリア系統ではなく、アジアの系統だったのだ。

そして現代のトンガ人は、このラピタ人に、パプア・オーストラリア系統が四分の一入っている、と。

 

ところで、この論文で始めて気づかされたことがあった。

Y染色体とX染色体は量が違う。塩基対の数で、Yは5100万、Xは1億6300万

だから、二つの人類系統が一対一で結婚して男(性染色体XY)の子孫を残すとき、分量で見た染色体の比率*1は、二つの人類系統50%ずつの混合ではなく、染色体の量の違う分、女の側の比率が高くなるんだとさ。(特に、性染色体にある情報を見ている場合は注意が必要のようだ)

言われてみればそうか、という話だわ。遺伝的に男と女は平等じゃなかったんだ。*2

 

で、オマケ。オリジナルコンテンツ。

この地域の奇妙で特徴的なY染色体のデータ見たことあったな、と思って引っ張り出してきました。変わった面白いデータだと思いつつ、今まで表にしたこと無かったんで。

元はKarafet先生の二つの論文。問題のバヌアツやトンガのデータもあります。

最初の論文のデータがほとんどだが、珍しいハプログループPを調べなかったことが問題で、後の論文でこのPを確定してる。表の中で(P)がついているのがPの出てる後の論文のデータで、とりあえず他の場所はPが出ていない。*3

Major east-west division underlies Y chromosome stratification across Indonesia. - PubMed - NCBI

European Journal of Human Genetics - Improved phylogenetic resolution and rapid diversification of Y-chromosome haplogroup K-M526 in Southeast Asia

f:id:digx:20161007191520g:plain
説明。これらはすべてKarafet論文のデータで、中国などは他の論文のデータのほうが詳しい。アエタ族はフィリピンにいて最初の論文のデータではどういうわけかフィリピン全体ひとまとめだった。スマトラからボルネオまでが、氷河期にスンダランドで陸続きになった西インドネシアスラウェシからモルッカまでが東インドネシアで、フィリピン(+アエタ)ともども陸続きにならなかった。ブーゲンビルニューギニア島の東にあるがそれほど離れていない島で、国としてのソロモン諸島に入ってないが地理的にはソロモン諸島に属する。バヌアツからは到達に遠洋航海術が必要となる別文化の地域だが、データでここまでがメラネシア。このミクロネシアは国だがより広範囲の地域でもある。トンガからがポリネシア。最後にこのポリネシアの合計を付けた。なおラピタ文化の範囲は、パプアニューギニアの周辺ビスマルク諸島から(ミクロネシアは除いて)サモア諸島に達する。*4

何が変かって、この地域は、普通は分析不足でしか出てこない(ついでにFも)が、ごろごろ出てくるんです。M・Sもこの地域特有。フィリピンのアエタ族とか、ほとんどこの両者ってどういうことかと。*5

さすがにこれは分岐図を確認してほしい。自分も、ややこしい位置づけのKが含んでる可能性をあらためて確認した。
f:id:digx:20160713190336g:plain

で、問題の、Y染色体で台湾から移動したアジア系って何を指すか。

この答えは、Oの一部、ということになる。これがオーストロネシア語族にあたります。

論文にこんな地図付いてます。

f:id:digx:20161008010300g:plain

ニュースの論文で問題となってる台湾からの移住は図Cで、O1a2-M110・O2a2-P201・図BにもいるO1a1a-P203が該当者、ということになる。(その他、今までに出てきてないハプログループと変異の関係を説明しておく。M・L・Jは一番基本レベルを指している。S-M230はS1a1bでH-M69は現在はH1a。Oの残りは、O1b1a1a-M95、O2-M122、O1a-M119。……ということは、同じ時期に移住していてもOの下位系統はバラバラなわけだ)

トンガのOは少なすぎるように見えるが、これはサンプル数が12と少なすぎて正しい割合が出てないのかも知れない。地域差だとか、複雑な混血の影響とかもあり得るんだけど、あんまりつっこめない。サンプルが少なすぎてそんなに数字を信頼できないから。

 

ついでに、これらがスンダランド関係のデータでもある。

氷河期の状況を問うなら、図A図Bを見ましょう。また表を見て、切り離された地域である西インドネシアデータを見たり、あるいは離れていてもその近くにあった東インドネシアやフィリピンを眺めて(こちらは少し古い状況の反映ということになるはず)、そしてその後の変化(図C以降)を差し引きましょう。

するとスンダランドのY染色体構成員は、おもだったところで、C・K・M・S・若干のFやP、そして図Bにある一部のO(O1a1a-P203、O1b1a1a-M95、O2-M122、O1a-M119)、ということになるわけです。

よく見ると、Pは東インドネシア+フィリピンの「近い離島地域」だけで出ている。C1b2aも西インドネシアで出ずそれより東の離島地域から出ている。この状況はこの両者の拡がりかたと関係するはず。

Oの一部以外は日本など東アジアにいない系統ばかりであるため、少なくとも男に関して、スンダランドは東アジアにあまり影響した様子が見えないわけだ。(Cも下位系統が違う。ただし確定されていない部分もあることに注意が必要か)

だがここで、この論文で調査されず触れられなかったDの事情も書き足しておこう。

D1a以外のDも、この地域で氷河期でも陸続きにならなかった離島地域で出ている。

まずは西側、ビルマの南からスマトラ島の間にあるアンダマン諸島で出ている、詳細分析がされていないオンゲ族のDだ。

そして次に、フィリピンでも南の多島海地域にあるマクタン島のD2で、これはマクタン島のアロイ一族が自らお金を払ってDNAの分析をしたから発見されたものだ。*6

さらに、広い意味でミクロネシア地域にあたるグアムにも、いつ頃移動したのやら、詳細分析のされていないDがいる。*7

 

Karafet論文もオセアニア地域に数多ある島々のすべてを網羅してるわけではないし、調べられていてもサンプル数の少ない場合も多いため、まだまだデータに脱落のある可能性はあると思っておかなければならないだろう。

実際、フローレス原人も出たフローレス島とか、アロイ一族のいるフィリピン南方多島海地域だとか、この地域には適当に孤立して特殊な古い集団が残りそうな地理条件の離島群がたくさんあるのだ。

もちろん、過去にはいたが単純に残らなかった集団もあると思わなければならない。西インドネシアにはいないけど離島地域にいる集団がいくつかいるのだし。

*1:ADMIXTUREのような染色体の比較は、この分量で調べてる。

*2:なお、女の子供の性染色体はXXだから比率は50%ずつでいい。

*3:後の論文はデータ総数は多い(同じデータを使ってる場合もある)が、K2以下しか調べておらず、しかもNOの段階までしか調べていなかったりする。そのため前の論文と組み合わせて解釈する必要あり。スラウェシ(P)のところにある「CFJ etc.」は後の論文で解析されなかった部分で、上に並んだ以前の論文のデータから、C・F・Jの可能性があるとわかる。ちなみに後の論文のデータでスラウェシ以外の未解析部分は、どこもほぼCにあたるようだ。またNOと出ている部分は、この地域ではOだと見ていいようだ。(ただし元の調査からサンプルが増えている場合、そこにNがいないと断言できるわけではない)

*4:その他注意部分。この当時のFはHの一部を含んでいるため確定できない。まあしかし、東南アジアはFが出るところです。C以下は、C1b2a-M38以下とC2しか調べられていないため、それ以外を「C xC1b2a xC2」と表記している。ちなみにインドネシア地域には他にC1b1a2-B65だとかC1b1b-B68がいて、大陸ではインド系のC1b1a1-M356なども出る可能性がある(ISOGG)。またオーストラリアアボリジニのC1b2b-M347も調査から外れており、これはちゃんと不在証明して欲しかったところか。

*5:アエタ族のKはP378ばかりで、これはMのレベルと並ぶK2b1cあたりに該当するようだ。なお、ISOGGによればアエタ族にもC1b1a2-B65がいるとのこと。まあサンプル数少ないんで脱落はあるでしょうし、他の論文見たら地方性もあるようで。

*6:Karafet論文のフィリピンデータで調査されたのは首都のあるルソン島だけ。アエタ族に触れてる別の論文を紹介したが、そこでもミンダナオ島など一部が加わってるだけだ。

*7:Dも、太平洋への移住者集団に少しは加わっていたと考える必要があることになる。ただし、意外と新しい時代に移住した可能性もあるが。

ユーラシア東部およびアメリカ先住民の移住シナリオ

忘れないうちに、この東アジアを舞台とした移住の題材を片付けないと。

 

この前の時は染色体全比較の地図(ADMIXTURE)出したけど、こんなサイトもある。

http://admixturemap.paintmychromosomes.com/

元の論文は A genetic atlas of human admixture history

ここで日本人の形成はuncertain(あんまり確かじゃない)になってる。

残念?

いや、日本人の形成がわからないということは、とりあえず、渡来人の単純な侵略だとか、わかりやすくデータに表れるような区切りのはっきりした大量渡来はなかったことを意味している

実は、日本語(現在は別言語扱いの琉球語とかとセットで日本語族とされる)が、起源のよくわからない孤立した言語であるということからも、日本人の形成が単純でないことは予測されていた。
さらに日本周辺を言語的に見ると、アイヌ語韓国語朝鮮語族)・ニヴフ(ギリヤーク)語あたりまでも、すべてそれぞれに関係性不明孤立した言語とされる、日本の周囲まで巻き込んでナゾの状況だったりするのだ。
つまり、これら日本近辺の言語はそれぞれどれも、周辺のシナチベット語族ツングース語族などとも比較して、わかりやすく他の言語との関係性が見いだせるような単純な関係が想定できない、という不思議な状況を示しているわけだ。

ここには、法則性が薄く時代性だけで表現された、「古アジア諸語(古シベリア諸語)」などの表現もある。

そしてこれは、モンゴロイド」が否定され、想定される人の移動ベクトルが正反対に逆転したことで意味合いの大きく変わったアルタイ諸語などの問題にも繋がっている。つまり、本当に「アルタイ語族」のようなものがあるとすれば、日本語や朝鮮語などのほうがシベリア方面よりも上流のより古い分岐にいたことになるわけで、それだけ長い時代を経て痕跡も薄く繋がりがわからなくなってたんだ(日本の周辺は、分岐が古すぎて関係性の理解しにくい言語だらけなんだ)、ということになる。

このあたりは言語学の、日本語の起源 - Wikipediaの問題だから、基本的なところは一度調べてみてください。*1

つまり、単純な、弥生時代一度の渡来(征服)ではなさそう、ということだ。

どうも古代人は、もっと昔から海を越えていて、わりと頻繁に小規模のゆるやかな交流があった、ということのようだ。

なお、もっと新しい、歴史に記録される移住(百済滅亡後の移民など)もあり、それに該当すると考えられるデータが出ている場合がある。

外部から日本列島に人が入ってくる場合、海があるため、一度に入ってくる人間の量が少なく制限されていたことは大きな意味を持っているだろう。

大陸で新技術が登場したときも、学んで取り入れる時間的余裕があり、それで文化や習慣が変わるわけだ。

ちなみにこれ、以前の武器による傷のある人骨の話とも関係してる。

石の鏃が弥生時代になってからも縄文時代と変わらず使われ続けていたことは、使ってる人間が縄文の頃から入れ替わらず存在し続けていたことを意味している。

 

では続き。実は昔、書いて長くなりすぎたから適当なところで記事を切っていた。

f:id:digx:20160820130103j:plain
これはYan2014の既出画像。今回の問題はこの図のQとC3(C3-Nが現C2b、C3-Sが現C2c1に該当)だ。

この図に限らないが、この時期の海水位低下まで踏まえて図を描いてれば、もうちょっと違った解釈も見えてくる。まあ、海水位上昇との直接的な関係性の見える共通祖先年代値が計算されたのは最近で、この図のC3は、もっと古い年代に北へ移動したことになっている。*2

ここで、まだ寒くなっている20000年前前後の最終氷期最寒冷期(LGM,Last Glacial Maximum)以前に、より寒い北方向へ移動することは、通常では*3あまり考えられない。
同じ狩猟採集対象、すなわち同じ気候環境を追うことを考えると、より寒い北への連続的移動は考えにくいのだ。
またLGMでは、氷河など不毛の極寒冷地(雪の降らない場所では地面そのものが冷えその水分を凍らせる)が最大に拡がって、人と動物の行き来と生活を邪魔している。

なお、この隔離状態は同時に野生動物に、(発見されるまでは)狩猟されない安全な避難地を提供してもいる。

LGMの植生地図NOAA Paleoclimatology Program - Ray 2001 Paleovegetation Mappingより。画像は加工した。*4
f:id:digx:20160828022509g:plain
東(東南)アジアとユーラシア北方は、厳しい環境の地域が中央にあって分断状態だったのだ。*5

この氷河期に、南アジアから東アジアは、世界的に寒冷化する中でも自然環境の良い、いわば氷河期の植物のパラダイス状態だったのだ。*6
しかし北方でも、広いツンドラ地帯に適応したマンモスのような巨大動物たちと、それを獲物として追う狩猟民族(いわゆるマンモスハンター。ただし、マンモスだけを捕まえていたわけではない)の古代北方ユーラシア人(Ancient North Eurasian,ANE*7)がいた。

しかし彼らは遺伝的には、植生区分上でも地続きだったヨーロッパ集団*8にやはり近く、後のアメリカ先住民*9との繋がりもあったが、東アジアとの関係性はほぼない、ということになる。

別のマンモス論文。白からオレンジはマンモスだが赤は人のいた証拠のある場所coniferousは針葉樹。Treelineは樹木限界(樹木の存在する限界の場所)。数字はマンモスの個体数。
見慣れない地図だが、中央ちょっと下が北極で、一番右上端にひっくり返った日本がある。
f:id:digx:20160831123555j:plain

"35 to 30ka"(35000~30000年前)のところに赤(12)の極北北極圏ヤナ川の遺跡があり、"20 to 15ka"の後にその近所のベレレフ(Berelekh)遺跡が現れることに注意。

ただし、未発見の遺跡はまだあるだろう。問題となるのがまさに最大海水位低下の時期だけに、海に遺跡が呑まれている可能性も考える必要がある。

最近も新発見のニュースがあった。これはエニセイ湾だからずっと西。

実はこれ、人は人でも何者が付けた傷かはわからない。実は、ネアンデルタールなど化石人類のいた可能性のある場所では、どの人類の遺物(遺跡)か決め手がない場合も多いんです。

次はこの年代区分を半分にしたもの。方角がわかりにくかったので(読む文字も少ないし)こちらは90度回転させた。年代による赤(人)の移動に注意
この図によれば、マンモスはずっと北の果てでなんとか生き延びていたようだ。
人は一時的に極北に進出したが、LGMの寒さは避けた*10ようで、人の居住地の北東アメリカ方向への移動は、おそらくLGM以降だ。

f:id:digx:20160831123612j:plain

参考。古いが、日本語で書かれたマンモスの話。木村 英明:シベリア旧・中石器文化の遺跡の年代からマンモス絶滅の理由を読み解く

ここで、北から日本へのサハリン経由北海道ルートも重要な場所にずっと見えていることに注意。これは、この年代の日本への進入者は何者だったのか、という問題と結びついているのだ。

 

またQ(を含む古代北方ユーラシア人)は、LGM以前の少しは暖かいうちに東北アジアまで到達してたのか、それとも後なのか、その到達のタイミングと規模と影響範囲は問題となる。
これは、アメリカ先住民の移住問題と同時に、(Qがほとんど見あたらない)サハリン北海道ルート問題ととも関係しているのだ。

なお、アメリカ先住民のQも、多数派のQ1a2以下の(M3などの)系統と別に、グリーンランドの遺跡で見つかったQ1a1系統がいる。この両者はどちらもユーラシアでも遺跡から見つかるため、分岐はユーラシアと考えられ、すると両者の移動した時期も違うのではないか、ということになる。
ちなみに、アメリカ先住民は大きな語族ごとに到着タイミングが違うのではないか、という話もあるんです。また、氷河期終了後でもベーリング海峡を(相互に)渡ることはそれほど難しくなく、エスキモーイヌイットユピク)などは両大陸にまたがって存在している。アリューシャン列島のアレウト族エスキモー・アレウト語族)もいる。

f:id:digx:20160722140506g:plain
なお、この図の情報は少し古い。中国のQもこの図よりは多く、南部でも2%ぐらいはいると既に判明してる(以前の記事)。既に図にベトナムはあるが、タイのアカ族が50%以上の比率を持っていたり、それ以外の東南アジアからも次々と発見されている。インド洋のコモロ諸島からも見つかる(マダガスカル移民との関係か、あるいはインド洋交易と関係あるのか)とか、Qの分布は予想を超えているのだ。昔の調査地も分析内容も穴の多い数十人程度のサンプリング調査じゃ、僻地とか低比率の集団をまともに調査できてなかったわけで、そもそもQを全く調べてない調査も数多く存在する*11。するとアイヌでも、また極東アジア地域でも、ちゃんと調べると出てくるのかも知れないわけだ。

 

というわけで資料として、東ユーラシア(+ロシア)Y染色体ハプログループのデータを、あんまりいい調査がない中*12、いろいろ引っ掻き集めておいた。

論文たくさん。で、古くて大雑把な解析もあったり内容がややこしいため、データの詳しい説明は最後に付ける。なお、最後のアルファベットは論文著者名の略字で、ついてない場合後でtotalしてる。同じ民族でも調査によって違うハプログループが出ている場合がある(しかも調べている変異の違う場合もあって、"その他"もあったりややこしい)ので注意してほしい。

f:id:digx:20160926221713g:plain
一部にロシア人(R1a1・N・I・R1b-M269の順で多い)など西からの新しい移住者の影響があるようだ。また満州族清王朝アムール川流域まで支配していたため、その影響もある模様。シベ族満州系だがこれは西の新疆のデータ)

ここでR1b-M269は、非常に古くから多彩に分岐していたヨーロッパなど世界の多数派*13であるだけでなく、少なくとも一部はコロンブス以前に遡るはずのアメリカ先住民のRまでもほぼこのM269なのだ。するとシベリアのR1bも、ロシア人だけの影響とは言い切れず、このアメリカ先住民の先祖と関わる可能性があり、この問題でもM269は徹底的な分析が必要となる。(ちなみに、図中アルタイKumandinのM73はM269の隣の珍しい分岐。このアルタイからウラルの地域(ロシア人にもM73がわずかにいる)は、M269とM73の前段階の共通先祖が近くにいた可能性のある地域でもある。なお、このアルタイがアジアの一番東でアメリカ組のミトコンドリアXのいた地域でもある)

この図のQは、一つ前の世界地図以上に極東アジアにいないように見える。しかしここには、低比率のQをちゃんと調べて確認している調査自体が少ないという、調査の仕方による問題もある。(なお、片っ端からデータを集めたが、一部に極めてサンプル数の少ない調査も含んでいる。サンプルの少ない調査は、正確な数値が出にくく、データの解像度も低すぎて低比率の集団は出てきにくい)

また、調査によっても出てくる物が違っているのが見て取れる。Qは条件的に、低比率でしかもシベリアでの登場の古いハプログループであり、僻地に偏って残っていると考えられ、すると調査対象の選択によっても結果が偏りやすいわけだ。しかもこの場合、まだ調査されていない集団から固まって出る可能性もあることになる。

なお、ニヴフ(サハリンにいる)の"Q or R"の部分は、QとR1bに可能性があると考えられ、どちらが多めに出ても重要であり、ちゃんと調べて欲しいところ。(これもQを調べていない調査で、それどころかR1a1にあたる変異だけ調べて基本的なRを調べず、QR共通先祖のPを調べている。ちなみにこれは日本人の論文Tajima2004のデータで、ニヴフTのTはこのTajimaのT。なお、次などにある末尾HのHammerの満州データは、RやQのレベルだけ調べそれ以下は詳しく調べていない。知りたい肝心なところに届かない調査ばっかりだ)

参考に同地域のミトコンドリアも再び。この説明は以前の記事を読んで
f:id:digx:20160624003153g:plain

 

次の図はアメリカ移住論文から。この図ではLGM前後の時点で人はベーリングにたどり着いた(遺伝的にシベリア人と分かれた)としている。そしてこの左下にもサハリンが見え、そこへ人の移動の矢印が引かれている。Yana Rhinoceros Hornは前述のヤナ川遺跡。この図のような、ヤナ川遺跡とアメリカ集団との連続性は見つかってないわけですが。(現在この遺跡近辺にいるのはユカギール・エヴェンなど)
f:id:digx:20160820150710j:plain
アメリカ先住民と東アジアとの関係性を踏まえると、この混合と発散は、実際にはどのあたりで起こったと考えられるのか?
みなさんも考えてみてください。

f:id:digx:20160912202413j:plain
この地図は海の深さ100mの線なども引いてある。氷河期にはオホーツク海でも海水位低下の影響があるが、オホーツク回廊あたりの傾斜は急で陸はそんなに拡がらない。このオホーツク回廊の北の高地は、現在世界で一番寒いと言われるオイミヤコン村とかのある環境の厳しい地域。

ヤクーツク(ヤクート人などがいる)東のベルホヤンスク山脈(最初のほうの氷河期植生地図でもこの山脈が氷河になってる)からオホーツク海のところが重要な地理障壁で(大河は冬に凍るから渡れ、道として使いやすい)、その東はむしろベーリンジアやアラスカに近いのがわかる。

このとき、乾燥してる場所は雪が降らないせいで氷河も発達せず、気候が厳しく居住は難しくてもそれほど移動を妨害しないことに注意。そして逆に、そこまで極低温じゃなくても、海の近くは湿った海風で雪が降りやすくなる。氷河は、夏に雪が融けずに残る寒さは必要だが、それ以上の極端な寒さは必要なく、湿度が増えると雪が増えてその影響で増えるわけ。(雪の多さの実際の例が日本。夏に気温が上がるから雪が融け残らない。現在の地球温暖化で南極の氷河が増えたりしているのも、この雪の量が理由だろう)

そしてこのヤクーツク地域は、間に山はあるがアムール地域とも近いため、それなりの交流も期待できる場所だ。

東アジアのミトコンドリアABCDはここから山を越えて北に進出したのか? しかしCDはいいとしてABは現在あんまりおらず、それぞれ事情が違うのか。Y染色体Nの北方進出と繁栄が氷河期終了後にあったため、そのときペアとして繁栄したミトコンドリア(むしろそれがCD中心か)もありそうだ。

 

で、このアムール地域までQが来てたかは重要なところ。問題のニヴフ以外のデータは、Qがここまでは来なかったことをほのめかす。

しかしアメリカに到達するためには、オホーツク海周辺までは来ていたのではないか?

アメリカ先住民は東アジアからのミトコンドリアABCDばかりだから、やはり地理障壁のあるシベリア中央部からの影響はあまりなかったと考えられるわけだ。

そこからミトコンドリアX及びY染色体QがLGM前に進出してきていたとしたら、一番寒い時期に環境の厳しさでその分布が断ち切られ、ちょうど現在のような飛んだ分布になることも起こりそうだ。

ミトコンドリアXがアメリカで増えた年代は、ABCDとあまり変わらず結構古いようだ。だから、同じようにベーリング海峡を越えたと考えられ、大西洋を越えた可能性は薄いようです。(ただしまだY染色体R1bは大西洋越えをした可能性を残している)

しかし、ミトコンドリアU(マリタ遺跡から出てる)とかは移動しなかったのか、数がわずかでいなくなってしまったのか?

そしてY染色体Qは、やっぱりLGM以前に西から進出してるのか?

アメリカ先住民のY染色体R(ほぼR1b-M269)は、後の移住者と区別が付かず、事情がややこしい。しかし少なくとも、拡がり具合も全く違うQ・R・C2は、同じ時期の移動ではなさそうだ。

アメリカのデータも簡単に出しておこう。出典はMalhi2008Zegura2004
f:id:digx:20160928164423g:plain
実際の論文データではC・Q・Rの基礎レベルでしか分類されておらず、本文中でP39とか具体的な内容に触れている。また、その他空白部分が多いのは、アメリカ先住民との関係性が薄い新しい移住者として、最初から除外されているからだ。(なお、ワユ族のP39でないC2を報告しているのはZegraの論文)
アメリカ先住民のRは、別の複数の調査によると、ほぼR1b-M269だ。ただし古いR1aなどの先住民がいる可能性は否定されていない。
なお、CQR以外に、極端に古いわけではないがそれでもコロンブス以前にアメリカに到達した、バイキング(ノース人)が祖先と考えられるIなども、後の移住者と区別が難しいが、いるかもしれない。(アメリカはまた後でやる)

 

そして逆に、アジアにいる系統がアメリカにいない理由は何だ?

というか、ミトコンドリアABCDと一緒に移動した東アジアからのY染色体は、とりあえずC2だけしかあり得ないように見えるが、他にはこの地域にいなかったのか?

Nは移動時期がもっと遅かったんだろうが、日本のDは遺跡からも含めて全く出てこないのか?

この時期どこまで行ってた?

(なお、ミトコンドリアのMは北アメリカ西岸の遺跡から出てる

 

順調に長くなって、ついに10000文字越えた。

切りが付いた感じなので今回はこのへんで。

ずっと下書き状態で、いい加減オープンにしたいんで、間違ってたら後で直す。

 

最後に、めんどくさいシベリア関連論文のまとめ。表の上の登場順に並べました。

  • 末尾F (Fedorova 2013) Autosomal and uniparental portraits of the native populations of Sakha (Yakutia): implications for the peopling of Northeast Eurasia.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23782551
    Oはそれ以上分別されてないが他は良い。
  • 末尾Dg (Duggan 2013) Investigating the Prehistory of Tungusic Peoples of Siberia and the Amur-Ussuri Region with Complete mtDNA Genome Sequences and Y-chromosomal Markers.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24349531
    Oはそれ以上分別されず、またFまでのチェックだったためその他扱い(FGHなど)にした部分あり。ミトコンドリアの時も使った論文です。*14
    10/9追記。Sebjanエヴェンにある「C*?」は、詳細データを見ると「?」になっている部分があり、C以上は判別できず、まだC2の可能性を含んでいると考えられる物だ。ただし、インド系のC1bはロシアのKostenki遺跡から出ており(以前の記事で触れてる)、ツンドラ地帯のハンター(古代北方ユーラシア人)がいた領域からならば、出てもそれほど不思議ではないと思われる。
  • 末尾H (Hammer 2006) Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16328082
    日本が主役の既出論文。Rは分別してくれないが、その他の基本はすべて押さえてくれてる。なお「O*」は、O2-M122・O1a-M119・O1b-P31は否定されているが、O1(F265など)の段階はチェックされていない。
  • 末尾X (Xue 2006) Male Demography in East Asia: A North–South Contrast in Human Population Expansion Times.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1456369/
    Pをチェックし、それ以下はR1a1-SRY10831だけ確認している部分あり(シベ族)。このデータにもFGHIに相当するだろう「その他」がある。また「O*」はHammerと全く同じ。
  • 末尾T (Tajima 2004) Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages.
    https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/14997363
    これも既出論文で、ニヴフのためだけに持ってきた。Pをチェックし、それ以下はR1a1-SRY10831だけ確認しているため、「Q or R xR1a1」とした部分あり。OはO1(xO2-M122,xO1a-M119)です。このデータにもFGHIJに相当するだろう「その他」がある。
  • 末尾K (Kharkov 2014) Gene Pool of Buryats: Clinal Variability and Territorial Subdivision Based on Data of YChromosome Markers.
    https://www.researchgate.net/publication/262959135_Gene_Pool_of_Buryats_Clinal_Variability_and_Territorial_Subdivision_Based_on_Data_of_Y-Chromosome_Markers
    ブリヤートのみだが良い。
  • 末尾DL (Dulik 2012) Mitochondrial DNA and Y Chromosome Variation Provides Evidence for a Recent Common Ancestry between Native Americans and Indigenous Altaians.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22281367
    アルタイのみだが良い。
  • 最後の、末尾にアルファベットを付けていないロシアのデータは(Kushniarevich 2015) Genetic Heritage of the Balto-Slavic Speaking Populations: A Synthesis of Autosomal, Mitochondrial and Y-Chromosomal Data.
    http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26332464
    これは一部だけの抜粋。ただ、一部に100%にならない計算ミスらしきデータがあったため計算し直してる。

 

*1:ちなみに、この人の移動ベクトルの逆転は、日本語のオーストロネシア語族説とアルタイ語族説の関係も変えています。人の移動ベクトルが「南から北へ」で一致してしまったわけだから、もはや二つの説は完全には対立しないんです。最近ずっと、太平洋に拡がったオーストロネシア語族の話をしてたけど、この人たちに関係する移動はその時期の台湾ルートだけとは限らなかったりするわけです。

*2:ただしこの両者の分岐年代ならば、この図よりも古い34500年という数字だった。

*3:夏だけ北へ移動することはあり得る。また、侵入者に追われるなど競争が激しくなったとき無人地帯へ進出したり、獲物が減少したり取り尽くしたりして獲物のいる場所を探して別の地域に移動したり、干ばつなどで水を求めて移動することはあると考えられる。

*4:ほぼ同じ図がwikiにあるが、色替えに失敗して同じ色になってしまっている区分があったり分類がわかりにくかったため、もっといい画像を探し、結局同じ学者の作ったものを見つけ、わかりやすいように自分が加工した。

*5:この障壁の影響でシベリアのマリタ遺跡と東アジアの人間に遺伝的関係が見あたらなかったわけだ。

*6:ソースが探せないけど、アジアでは多様な植物が滅びずに氷河期を乗り越えた、という。

*7:この略称、紛らわしいことに古代中近東のAncient Near EastでもANEになってしまう。困ったことに、古代のancientとアジア・アフリカ・オーストラリア(派生したオーストロアジアとオーストロネシアも紛らわしい)・アメリカ(大陸名と国名で指す範囲が違う)は頭文字が全部Aだし、ヨーロッパとユーラシアとイーストとEarly(EEFとか)もEだったり、いろいろ難しい。

*8:まだヨーロッパ人と言うには早い。この後中東から農耕文化(EEF:Earle Europian Farmer)がやってきます。

*9:ちなみに、「アメリカ先住民(ネイティブアメリカン)」は南北アメリカ大陸全体(北極海カリブ海などの島々含む。グリーンランドも)の先住民を指す。そしてインディアン(アメリンディアン)はその中の特定の集団を指す。中米の先住民はインディオと呼ばれる。また、アメリカ合衆国で先住民と言う場合には、太平洋にいるポリネシア系住民も含まれる場合がある。

*10:寒い冬は南下し、暖かい夏だけ狩りのために北へ遠征する可能性はある。発見された極北の遺跡も季節的なものかもしれないのだ。

*11:まさに日本はQがほとんど出てこないため、調査を省かれちゃったりする。

*12:ロシアにいるアイヌなど、一度も調査対象になっていないらしき民族も結構ある。ウィルタ(Orok)のデータも見なかった。なおこの地域には名前の紛らわしい「Oro」(トナカイ)民族がいくつもいて、表のオロチョンOrochon(Oroqen)は別の民族の一つ。別にOrochとかUlchもいて本当に紛らわしい。

*13:ツタンカーメンまでもM269だ。

*14:なお、エヴェンキの一群にあるStonyTunguskaは、英語の文字通りの「石だらけのツングースカ川」(ロシア語でPodkamennaya Tunguska)のこと。ちなみにこのあたりがツングースカ大爆発の起こった場所だったりする。